第45話 祭りの後3

 同じ鉄でも、産地によって微妙に品質は異なる。中に含まれる不純物によって、鉄は簡単に性質が変わるからだ。


 鉄鉱石が採掘された土地によって、中に含まれる微量元素が違うし、製造工程によっても違いが生まれる。


 ならばいっそ、様々な土地の鉄を混ぜ合わせれば、それなりに使える合金が生み出せるのでは? というのが、初の発想だ。


 さすがに、高速度鋼とまではいかないだろうが、それなりのものが出来る可能性は高い。この時代に、現代並みの大量生産をする必要性もないから、炭素鋼でもなんとかなる。


 そうして、鍜治場にある坩堝製鋼用の炉を借り、雪に作ってもらったのが、この試作品だった。


 雪は一つ一つ、試作品を手に取りながら、違いを説明していった。


 明の鉄は、割れ難い。暹羅の鉄は、固いが脆い。安南は、質が悪い。


『これ、旋盤に使ってみて、どうだった?』


 初の質問に、雪は虚空を見上げた。言葉を探すように、瞳が左右に揺れ動く。


『……まあ、多少は削り心地が違う』


 顕著な性能差はなかった、ということか。初は、天井を仰いだ。


 雪を雇ってから、約一年。ほぼ手作業で、これだけの精度が出せるのだから、雪の腕は十分に一流である。それで満足な品ができないのなら、他の誰がやっても無理だろう。


『どうする。まだ続けるか?』


 悩む初を、雪は上目遣いに見つめる。


 鉄の化合は面白いので、まだ続けても良いという。もう何回か試作を繰り返せば、満足のいく品ができる可能性は高い。


 一方、ネジの製作に関しては、新しいやり方を模索しないことには、どうにもならないと雪は言った。


『うーん。技術的には、あと一歩のところまで来てると思うんだけどなぁ』


 初は、試作品を前に唸った。


 旋盤は、製造業の基盤だ。これが完成しないことには、どうにもならない。現代の品を再現したところで、精度が出せなければ、中途半端なものを作って終わりになる。それでは意味がない。


 できることなら、このまま試作を続けたいところだ。が、そうできない事情が初にはあった。


『……やはり、厳しいか?』

『何とかしたいのは、やまやまなんだが……こう、先立つものがなぁ~』


 雪を雇ってより、約一年。すでに青涯からもらった銭は、底を突こうとしていた。


 発電機と発動機の開発は失敗し、旋盤の製作は難航。特に痛かったのが、工具鋼の試作だ。まさか、炉を稼働するのに、あれほど銭が掛かるとは……。


 雪によると、炉を動かせるのは、あと一回が限度らしい。だが、それをすると、新たな旋盤を作る余裕はなくなる。海生寺からは、月々の給金が支払われているが、とてもそれだけでは試作を続ける余裕はない。


 八方塞の状況に、初は頭を抱えた。


 本当は、冶金技術そのものを見直すべきなのは、初もわかっていた。たとえ炭素鋼でも、製法を工夫すれば、かなりの強度と靭性を発揮する。初の知識と明の製鋼技術が合わされば、十分に可能だ。


 ただ、そのためには金も時間も掛かる。その余裕がないから、鉄を混ぜ合わせるなんて、迂遠な方法を試しているのだ。


 ネジにしたって、新しくネジ切り用の旋盤を作ればいいのに、その資金がないから困っている。


(そろそろ、源右衛門さんたちに渡した分の資金も、底を突くんだよなぁ……)


 こんなことなら、遠慮なんかせずに、顧問料でもふんだくっておけば良かった。いつの時代も、先立つものがない悲しみは同じである。


「……お主ら、こんなものを作って、何に使うのだ?」


 初と雪の会話を、興味深げに聞いてた光定が、首を傾げる。


 世の中の世知辛さについて考えていた初は、旋盤の重要さについて熱く語った。


 旋盤があれば、どんなものでも作ることができる。船の部品を加工するのにだって使える。工程さえ工夫すれば、複雑な仕掛けを安価に、大量に揃えることだって可能になる。その先にあるものこそ、産業革命だ。


 熱弁を振るった初は、額の汗を拭った。思いが募り過ぎて、ついつい四半時さんじゅっぷんも語ってしまった。


 表情を変えない雪の隣で、光定は根気強く、初の話に耳を傾けている。休憩所の隅では、なぜか不機嫌な様子の沙希が、頬を膨らませていた。


「──とまあ、そういう次第で、旋盤は世の中を支えるありがたーい代物でして、」

「それを作るのに、銭がいるわけだな」


 光定の一言に、初はうなだれた。床の上に座り込み、がっくりと肩を落とす。


「鍜治場の仕事で得られる給金だけでは、如何ともしがたく」

「それだけ使える品なら、うちから銭を出したいところだが……氏長の奴がな」


 安宅家の金蔵を預かる周参見左近太郎氏長すさみさこんたろううじながは、徹底した倹約家として知られている。その鋭い目は、領地の隅々にまで行き届き、わずかな無駄遣いも見逃さない。


 安宅家の中に、氏長を恐れていない者はおらず、光定とて例外ではない。唯一意見できる安定は、氏長に全幅の信頼を置いているので、実質、独裁者のようなものだ。


 初は、昔から氏長と折り合いが悪かった。安宅家の姫として、相応しい振る舞いを求める氏長に対し、初は常に反発している。

 氏長が、初が作るもののために銭を出すとは、とても思えなかった。


「青涯和尚には、頼んでみたのか? 初は、青涯殿とは気安い仲であっただろう」

「いや、海生寺に頼るのはちょっと」


 初は、言葉を濁した。


 海生寺には、近隣諸国から助けを求める民が、ひっきりなしにやってくる。飢饉や戦で焼け出された者たちが、最後の望みを託すのが海生寺だ。


 貧民や苦しむ者たちの救済のため、海生寺は食糧の配給や、医師の派遣などの慈善事業を積極的に行っている。そのためには多額の費用が掛かり、その資金の捻出に、青涯は常に頭を悩ませていた。


 青涯が生み出した産物や農業の改革によって、海生寺にはかなりの資金力がある。それでも不足しているほどなのに、そこへ行って銭を貸してくれというのは、いくら初でも躊躇われた。


「ならば、青海殿はどうじゃ。あの御仁は、お前を高く買っておる。紀州屋の商売も順調らしいし、頼めばいくらでも」

「青海さんは、ダメです」


 初は、きっぱりと断言した。


 この二年で、青海はさらに商売の手を広げていた。安宅荘の産物の販売に加えて、金融業にも参入している。


 業績は順調なようで、以前まではちょくちょく安宅荘にも帰ってきていたのだが、今は堺の本店に詰めっぱなしだ。安宅荘での商売は息子に譲り、しばらくは堺での仕事に専念するらしい。

 そんな状況でも、青海からは息子を通して、頻繁に文が届いた。


 何か新しい発明はないか。新たな特産品の開発はどうなっているか。その後、熊野権現からのお告げはあったのか等々。


 最初は、真面目に返していた初も、あまりに数が多いので辟易している。近頃は返信も、十回に一回くらいしかしていないのだが、それでも文の数は一向に減らない。


 青海は、初の知識が、熊野権現の加護だと思っている。青涯と同じく、神が衆生を救うために初を遣わしたのだと、心の底から信じ切っているのだ。


 初の力は、万民のためにある。だから青涯のように、力は惜しみなく使うべきだと、ことある毎にせっつかれて、初は参っていた。


 初とて、領民たちを助けることに否やはない。自分の知識で、人々の生活が楽になるなら、これに越したことはない。

 だが、こうも立て続けに、あれをくれ、それをくれと言われては、初も戸惑うしかない。


 青海は、自分のことを打ち出の小槌か何かと、勘違いしているのではあるまいか?


 初の仕事は現在、鍜治場だけでなく、安宅荘の造船にも及んでいる。海生寺で、子供たちの授業もしなければならないし、喜多七たち領民からも頼みごとが舞い込むので、それに対処する時間も必要だ。

 この上、青海の要求にまで応える余裕は、今の初にはなかった。


(あのとき、適当に誤魔化したのは失敗だったなぁ。未来の知識なんて、言わなきゃよかった……)


 悔やんでも、後の祭りである。


 こんな状況で、青海に資金の援助など頼んだら、またどんな無理難題を吹っ掛けられるか、わかったものではない。

 安宅荘から日本に産業革命を起こすという初の目的は、ただでさえ滞っているのだ。これ以上、面倒事を抱えたくはなかった。


(それに──)


 初は脳裏に、青海の顔を思い描いた。その熱情に浮かされた瞳を思い出して、ぶるりと震える。


 はっきり言って、初は青海が怖かった。


 商売人としては間違いなく有能だし、貧民に施しをするような徳だって備えている。悪い人でないのは確かだが、初はどうしても、青海を心の底からは信用できなかった。


「ふうーむ。となると、残る手は、誰ぞ銭を出してくれる者を探すしかないか……」


 しばし考え込む様子を見せた光定は「よし」と膝を叩いた。


「初。お主、堺へ行ってまいれ」

「はい?」

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