第40話 逆転の一手
なぜだ。なぜ上手くいかない!
初は、焦っていた。縁談を潰すための試みは、ことごとく失敗に終わっていた。
茶を点てれば、斬新な手並みだと感心され、書を書けば見事な筆致だと称賛される。悪評をばら撒くはずが、逆に安宅家の姫は、大変な器量の持ち主だと噂される始末。
何もかもが裏目裏目に出る現状に、初は恐怖さえ感じていた。
「俺が……俺がいけないのか? この溢れる才能が、俺を凡人にとどめてはくれないというのか?」
菊に冷ややかな目で見られるが、初は気付かない。ひたすらに、己の不運を嘆き、懊悩する。
「かくなる上は……」
畳の上をのたうち回った末、決意も新たに、初は立ち上がった。
やってきたのは、館近くにある馬場だった。
ここでは、毎日のように家臣たちが武術の鍛錬に精を出している。
剣、槍、弓、鉄砲に馬。それぞれに安宅家が雇った専属の指南役がおり、若い家臣たちが稽古を受けている。
初は物陰から、そっと馬場の様子をうかがった。
たまに犬追物とかをやっているので、ここにはあまり近づかないようにしている。犬を追いかけまわした末に殺すというのは、見ていてあまり気持ちの良いもではない。
馬場には、十五人ほどの人影があった。
いずれも十代前半から半ばほど。どうやら今日は、家臣の子息たちだけで稽古をしているらしい。中には、亀次郎と六郎の姿も見受けられる。
馬場の片隅では、侍女たちが昼食の握り飯を準備している。
鉄砲や弓を使う気配がないのを見て取り、初は馬場へ近づいて行った。
「おや、初ではないか?」
子息たちの稽古を指導していた直定が、初に気付いて近寄ってくる。
「珍しいな、お前がここへ来るなんて」
馬場では、信俊とその郎党たちも、稽古に励んでいた。
槍と長巻を使った打ち合いから、一瞬で間合いを詰め、組討ちに持ち込む。訓練用の木剣とはいえ、相手を滅多刺しにする信俊の姿からは、鬼気迫るものが感じられた。
「私も、たまには稽古に参加しようかと思いまして」
「お前が?」
直定は、怪訝な顔になる。
いくら武家の娘には武芸が必須と言っても、男と混じってまで稽古に励む者は少ない。
初も、普段は菊や侍女たちと模擬戦をし、たまに頼定の指導を受けるくらいだ。
「やめておけ。女が男の稽古に混じるのは、危険すぎる」
「ですが、兄上。戦となれば、童とて武器を取って戦うのが戦国の習い。城を攻められている時分に、危ないなどと腑抜けたことを言っている余裕はありますまい。いざというときに戦えるよう、私も普段から鍛錬を積んでおきたいのです」
「しかしな、お主はまだ十二歳。そのように幼い身体で、男たちと戦うというのは……」
「なぁに、それだけ立派に育っておれば、十分十分」
いつの間に現れたのか、聖は馬場を囲む柵に腰かけながら、歯の抜けた顔で笑った。
侍女たちから強奪してきたらしき握り飯を頬張り、指を舐めながら言う。
「何事も、備えが肝心ですからな。姫様が稽古に参加したというのは、なかなか良い心がけ。ここは一つ、手合わせしてみればよろしかろう」
「聖殿、そのように無責任なことを言われては……」
「良いではないですか、兄上」
信俊は、被せるように声を張り上げた。
馬場の片隅で訓練をしていた信俊は、郎党たちをぞろぞろと引き連れて、歩いてくる。いずれも、身体のあちこちに青痣や傷をこさえ、片目が腫れ上がっている者までいる。
一人、綺麗な顔をした信俊は、手拭いで汗を拭きながら、
「そやつの言う通り、
信俊は、にやりと笑うと、舐め腐った顔で初を見下ろした。
「女子のお座敷武芸など、物の数ではない。そやつも一度、戦こうてみれば、すぐに己の実力がわかりましょう」
信俊の言に、集まってきた家臣の子息たちからも、同意の声が上がった。
「女と戦ったって、しょうがないよな」
「あいつら、弱っちい癖に、口だけはうるさいんだよな」
「そうそう。姫様も、馬鹿なこと考えてないで、部屋で貝合わせでもしてたら」
笑い声をあげる子息たちに、信俊は満足げな笑みを浮かべた。
「さあ、来い。この俺が、直々に相手をして」
初は、手に持った訓練用の長刀を投げ渡した。
無手で構えていた信俊は、思わず長刀を受け取る。
きょとんとする信俊の脛を、初は蹴り上げた。バランスを崩した信俊の腕を取り、そのまま大外刈り。
不意を突かれ、地面に叩きつけられた信俊の喉元に、初は長刀を突き付けた。
「おや、私のお座敷武芸も、兄上には通用しましたな?」
にやりと笑い返しながら、しめしめと初は内心でほくそ笑んだ。
これぞ、お転婆ぶりをアピールして、男子の夢を打ち砕こう作戦である。
ここにいる子息たちは、初の婚約者候補だ。
お淑やかで、男を立ててくれる妻を求める子息たちに、自分の悪いイメージを植え付ける。そうすれば、あとは勝手に、自分の悪評を広めてくれるはず。
案の定、子息たちは呆気にとられた顔で固まっている。
よしよし、と笑みを深めながら、初は真っ赤な顔で怒り狂う信俊を見下ろした。
「どうしたのですか、兄上? そんなところに寝ていては、稽古ができませんぞ」
「貴様っ!」
長刀を払いのけ、立ち上がろうとした信俊の頭が蹴り抜かれた。
地面を転がった信俊は、白目を剥いて倒れる。気を失っているのか、大の字になった身体が、ぴくぴくと震えていた。
「おや、これは失礼。てっきり、野良犬か何かかと」
信俊を蹴り飛ばした菊は、しれっとした顔で言い放った。
あまりの事態に、初は開いた口が塞がらない。
え、なんで? どうして? なんでこうなってるの?
様々な疑問が、頭を駆け巡るうちに、信俊の郎党たちが菊と対峙していた。
「貴様、
「初姫様の侍女といえど、ただでは済まさんぞ!」
「ただで済まさないのは、こちらも同じです」
めらりと、菊の背後で白い炎が燃え上がった気がした。
普段から冷たい光をたたえる瞳には、常以上に剣呑な輝きが宿っている。
「女は弱いだの、口うるさいだのと。そこまで言われて、わたくしどもが黙っていると、お思いか?」
気付けば、昼食の準備をしていたはずの侍女たちが、菊の周囲へと集まっている。
皆、手に手に棒や木刀、中には手拭いを投石紐代わりにして、振り回している者までいる。
視界の片隅で、亀次郎が天を仰ぐ。
菊は、侍女から長刀を受け取ると、いきり立つ男たちに向けて、言い放った。
「わたくしどもの武芸が、お座敷遊びかどうか。その身で、とくと味わいなさいませ」
信俊の郎党の一人が、気勢を上げて斬りかかってくる。
大柄な男の一撃を、侍女たちは二人掛かりで弾き、攻め返す。
「さ、姫様。ご指示を」
「いや、あの、指示って?」
「これは戦です。我らの大将は姫様なのですから、戦の指図を」
ちょっと待って。
初は真剣に問いたかった。なぜ、こんな事態になったのか。
棒が唸り、投石紐が吠え、木刀と長刀が鍔迫り合う。
巻き込まれないよう、馬場の外へ避難しようとした亀次郎は、後頭部に投石を受けて倒れた。六郎は、おろおろしているうちに、組み伏せられ、腕を極められている。
直定は、もはや収拾不能と、事の成り行きを見守っている。
状況が混迷としていく中、空の青さに現実逃避する初の耳には、聖の不気味な笑い声だけが聞こえていた。
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