第39話 続・策略
不覚であった。
まさか、不味い料理を作るつもりで、あれほどの絶品料理を作ってしまうとは。
現代において、実家の厨房を預かること十数年。
和食、中華、フレンチにイタリアン。長年に渡る料理屋でのバイト経験の数々が、無自覚のうちに食材を台無しにすることを拒否したのだろう。
「げに恐ろしきは、己がうちに流れる料理人の血か」
初は、唇を噛み締めた。
まあ、こればっかりはしょうがない。食べ物を粗末にするものは、食べ物に泣く。
良い教訓だったと思うことにしよう。
縁側に腰かけた初は、一心不乱に手を動かしていた。その周囲には、色とりどりの布地が広がっている。
ちくちくと布同士を縫い合わせていく初に、菊は不審げな顔をした。
「姫様、それは何を?」
「見てわからんか、刺繍だよ」
布地に針を刺しながら、初は答えた。
裁縫もまた、武家の子女の嗜みである。
とっかえひっかえ着物を新調する安宅家と違い、たいていの武家は、擦り切れるまで同じ布地を使いまわす。和服自体が、縫い直すことで長期間使用する前提になっているので、針仕事は妻の大事な仕事である。
最後の糸を通し終えた初は「できたっ!」と、刺繍を施した布地を掲げた。
「どうだ、菊」
初が差し出した布地に、菊は微妙な顔をした。
初が縫い上げたのは、陣羽織だった。
真っ赤な布地に、色とりどりの水玉模様。衿の部分には猪の毛皮を張り付け、背中には金糸で「日本最強」と刺繍が施されている。
「……これを殿方に差し上げるので?」
言外に、やめておけと告げる菊に、初は陣羽織を裏返すよう促した。
布地をひっくり返すと、黒地に白糸で描かれた「天下一品」の文字が現れる。なんと、リバーシブル使用である。
半眼となる菊に、初は満足げにうなずいた。
この微妙なセンスと、色使い。絶妙な古臭さを感じさせる文字のチョイス。
我ながら、完璧である。あまりにも見事過ぎて、初は自分の才能が恐ろしかった。
こんな頭の悪そうな陣羽織を喜ぶ人間など、この世にいるわけ──
「おおっ、これは良いですな!」
「朱色に、金糸の文字が良く映える! これならば、戦場でもさぞ目立ちましょう」
「なにより、この文言が良い。日ノ本で最強とは、まさに我ら安宅海賊にこそふさわしい!」
「いやいや、裏側の天下一品のほうが、さらに勇ましさが感じられるというもの!」
わいわいと騒ぎ立てる家臣たちに、陣羽織を羽織った頼定が、面映ゆそうな顔をする。
「だから、やめておけと申しましたのに」
呆然とする初の隣で、菊が言わんこっちゃないと嘆息した。
この時代の武士は、総じて派手好きである。
戦場で功名を得るには、周囲よりも目立たなければならない。それ故に、皆、趣向を凝らした衣服や鎧を身に着ける。
初が作った陣羽織は、この時代の男たちの美的感覚に、ジャストミートしていた。
「こんな良いものを縫ってくれるとは。初、お主は良い妻になろうぞ」
頭を撫でる頼定の手に、初はなすがままとなった。
長年、弟や妹の衣服を繕ってやっていた経験は、伊達ではなかった。
まさか学校の給食着や道具袋を作っていた経験が、こんなところで生きるとは。
「無駄に高い主夫力が憎いっ……」
初は、こぶしを握り締めて悔しがった。
後悔していても仕方ない。早く次の手を講じなければ。
翌日、安宅湊近くの河原で、初は踊り狂った。
舞も、武家の子女の嗜みである。客人をもてなし、夫の無聊を慰めるための必須技能である。
近々、安宅館では、家臣たちを集めた春の宴が行われる。
そこで無様な舞を披露し、男たちから幻滅される。そのためには、入念な下準備が必要だった。
「わあっ、姫様凄いですね、その踊り!」
「姫様、足音がとても楽しそう!」
見学に来た沙希と凛が、初の踊りを褒めそやす。
昔は、一方的に悪感情を抱いていた沙希も、今では立派なお姉ちゃんだ。目が見えない凛のため、初がどんなふうに踊っているのか、耳元で教えてやっている。
初は踊った。踊り続けた。
高校で一時、籍を置いていた現代舞踊部での経験を思い出す。
ヒップホップ、ブレイキン、ジャズ、そして、コンテンポラリーダンス。
手を、足をくねらせ、幼い肉体を躍動させる。己の内から湧き上がる衝動が筋肉へと伝わり、全身を使って、その想いを表現する。
結婚したくない。嫁に行きたくない。
己の内側に、未だこびりついたアイデンティティ。身の内から溢れ出す、切なる願いを込めて、初は扇を振り回す。
周囲には、いつの間にか大勢の領民たちが集まっていた。
老人が手を合わせて合掌し、若い男と女が頬を染める中、初の踊りは激しさを増す。
バックステップからのムーンウォーク。手足を振り上げ、着物の袖で揺らめく炎を表現しながら、円を描くように一回転。
持てる限りの技芸を凝らし、最後に扇を一振りして、初は動きを止めた。
周囲の者たちは、まるで何かに気圧されたように動かない。
初の荒い息遣いだけが聞こえなる中、一人の老人が立ち上がった。
ふらつく足で、一歩二歩と進み出た老人は、戦慄く指先で川面を指さした。
「魚じゃ……魚が川をのぼってきおったぞ!」
「え?」
振り返った初が見たのは、川を遡上する大量の魚たちだった。
鮎に川鱒にアマゴ、春を告げる渓流魚たちが、大群をなして川面を埋め尽くしている。
「こんな凄い群れ、見たことないぞ」
「こりゃあ、今年の漁師は大変だぁ。こんな山ほど魚が獲れちゃあ、寝る間もないだろうよ」
「初姫様じゃ……初姫様の舞が、魚を呼び寄せたんじゃ!」
集まった領民たちの間に、どよめきが広がる。
初は、困惑していた。
なぜだ? なぜ、このタイミングで、魚の遡上が起こるんだ。
「凄い凄い、姫様! 姫様って、魚も呼べるんだね!?」
「
姫様、姫様、と寄ってくる沙希と凛に袖を引かれながら、初は乾いた笑いを浮かべた。
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