第2話 幼姫

 捕った鯨をいかにして分けるか。


 光定みつさだと算段を付けていた助三郎すけさぶろうは、ふと船倉から覗く小さな頭を見つけて、首を傾げた。


民部大輔みつさだ様。姫様も、船に乗せたので?」

「あ」


 いかん、忘れていた。


 光定は、残りの雑務を家臣に任せると、慌てて船内に駆け込んだ。

 今朝方、船に乗せたのは鶴丸だけではない。兄から、大事な娘を預かっていたのだ。


初姫はつひめ。そんなところで、何をしておる?」


 光定は、船倉の入り口に座り込んだ人影を見下ろした。

 一心不乱に両手を動かしていた娘は、光定の声に反応して振り返る。


 薄暗い船倉の中。突如、まばゆい光が差し込んだような気がして、光定は目を細めた。


(母親の血だな。小夜さよ殿の若い頃に、よく似ておる)


 父親の顔と思い比べて、ついそんなことを考える。娘は父親に似たほうが幸せになるというが、あれは嘘だなと、光定はつくづく思った。


「てっぽうを、ぶんかいしておりました」


 舌っ足らずな声に頷きながら、光定はそっと初を抱き上げた。


 冷や汗が止まらない。


 なに? 鉄砲? なぜそんなものが、ここに? そもそも、なぜ六歳児が鉄砲の分解を?

 様々な疑問を抱える光定の前で、初は鉄砲のからくりを眺め回しては、しきりに唸ったり、首を捻ったりしていた。


「このこうぞうでは、すぐにいたばねが、はずれてしまいます」


 昔から奇矯なところのある娘だが、さすがにこれはどうしたものか?


 うんうん唸る初の手から、光定はやんわりとからくりを取り上げた。


「これ、やめぬか初。そんな危ないもの、触ってはならん」

「あぶなくなどありませぬ」


 乳臭い頬が、ぷくっと膨れる。こういう顔をするあたりは、やはり六歳の童である。


「あぶないのは、このふねのほうです」


 光定は、駆けつけてきた助三郎と顔を見合わせた。

 どういう意味かと、目で問いかける。助三郎は、ふるふると首を左右に振り、四角張った顔に困惑を浮かべた。


「……初。この船は、先月できたばかりだ。造りもしっかりしておる」


 どこにも危ないところなどないぞ。


 光定は諭すように言うが、初は納得しなかった。


「いいえ。このふねには、こうぞうてきなけっかんがあります!」


 光定の手を振り払い、甲板に降り立った初は、船内へと飛び込んでいく。

 いったい何事かと、光定は初の後を追った。


 薄暗い船内を、天井の隙間から漏れる日差しを頼りに歩く。

 初は、船底へと続く梯子段の前に立ち、光定たちを手招きした。


「みてください。はりが、ゆがんでおります」

「何とっ!?」


 光定は、慌てて船底を覗き込んだ。


 七百石積みの大船だ。梁に歪みなどあっては、一大事である。


 灯明を持った助三郎が、急いで船底に駆け降りる。

 各部に緩みや歪みはないか。どこか異常な音はしないか。


 丹念に調べて回った助三郎は、光定たちを見上げて首を振った。


「初。どこにも、歪みなどないぞ」

「いいえ、ゆがんでおります。よくみてください」


 何やら確信ありげな初に、不安に駆られた光定は、自らも船底に降り立った。


 助三郎から灯明を受け取り、目線の高さに掲げる。


 船底には波を受けた船体が、ぎしぎしと軋む音が響いてた。水が漏れているような気配はないが、板一枚を隔てた向こうは海だと思うと、寒気を覚えずにはいられない。


 妄想を振り払い、光定は船体を支える梁に顔を近づけた。


 船底に近い下船梁と中船梁が、波を受けるたび、小さく振動している。言われてみれば、少し歪んでいるように見えなくもない。


「これくらいなら、心配はない。儂は、これより大きな船に乗ったこともあるが、皆、似たような作りをしておったぞ」

「これまではだいじょうぶでも、このさきもだいじょうぶだとはかぎりません。はりがゆがんでいるいじょう、いつかはこわれます。そうならないよう、かいりょうするべきです」


 初の断固とした物言いに、光定は興味を覚えた。


 奇矯なところはあるが、同時に発想の豊かな娘でもある。話を聞いてみるのも、一興やも知れない。


「では、どのように改良する? 梁の間に、筋交いでも入れるか?」

「それでは、せんたいのいちぶにおうりょくがしゅうちゅうしてしまいます。じゅうようなのは、ちからのぶんさん。その二つのはりを一つにとうごうし、ふなぞこをほきょうするかたちにかえるのです」


 光定は、船底を見やった。

 おうりょく云々というのは良くわからないが、初の口にした構造は、だいたい想像できる。


「……人の肋骨と、同じような造りか?」

「そうです。はりだけでなく、せんたいをこうせいするいたもつかって、ふねぜんたいをささえるのです」


 興奮した様子の初は「せみものこっくこうぞうです!」と、何やら不可思議な言葉を口にしている。


 光定は、もう一度、船底を見回した。


 確かに、初が言うとおりの造りにすれば、船の強度は上がる気がする。だが、梁を変形させるのだ。船の値段は跳ね上がる。それに、今まで試したことのない構造の船を造るとなれば、船大工たちにも練習が必要だ。


 小さな船で試作品を作り、試行錯誤を重ねて改良する。そうして出来上がった船は、最終的にいくら掛かるか。


(いや。船が沈むことを思えば、安いか)


 以前、嵐に遭った船が、船内の梁が折れて沈んだという話を、聞いたことがある。船の積荷が丸ごと海に消え、船主は莫大な損失を被ったと。


 この船は、主に安宅荘の産物を運ぶために造った船だ。万が一、沈みでもしたら、安宅家だけでなく、領内の職人や商人も損失を被ることになる。場合によっては、破産する者とて出るやも知れない。


「どう思う、助三郎?」

「たしかに、これだけの大船となれば、この梁の作り方はまずいやもしれませぬ。詳しいことは、船大工に聞いて見ねばわかりませんが、試してみる価値はあるかと」


 ならば決まりだ。

 さっそく新しい船を作る算段をつけ始めた光定に、助三郎は「しかし」と水を差した。


左近太郎さこんたろう様が、何とおっしゃられるか。この船を作るのも、だいぶ渋られておりましたし」

「……あの吝い屋か」


 光定は、口うるさい弟の顔を思い出した。


 悪い奴ではない。童の時分からの付き合いだけに、気心も知れている。だが、あの財布の固さだけは、どうにかならぬものか。


 新たな船を作るより、その建造資金を出させるほうが、よほど骨が折れそうである。


 いったい、どうやって説得したものか。頭を悩ませながら、光定は初を抱えて外に出た。


 甲板からは、日置浦の賑わいが一望できた。


 西は九州から四国、東は関東を越え、陸奥からやって来た船もある。一際目を引く大型船は、はるばる明より訪ねて来た貿易船だ。


 今や日置川は、川というより船の巣窟だった。


 川縁には無数の小舟が引き上られ、大きな船は重なり合うようにして、湊に並んでいる。そうまでしても湊に泊めきれぬ船が川面に浮かび、沖に伸びる石堤の外にまで溜まっていた。


「もはや、日置浦と安宅湊だけでは手狭ですな。何か策を考えねば」


 助三郎の呟き。

 今も無数の舟が、ひっきりなしに河口へ出入りする様を眺めながら、光定は答えた。


「堤を広げる。それから、周参見の湊を拡張するそうじゃ。氏長うじながが、手はずを整えておると」


 また一つ、安宅家は大きくなる。


 光定は、湊の賑わいに心が躍るのを感じた。

 二十年ほど前まで、ここは寂れた湊町に過ぎなかった。それが今では、これほどの活気を手に入れている。


(兄者と青涯殿のお陰じゃ。儂は、何もしておらん)


 どちらか一方でもいなければ、今頃どうなっていたか。


 幼き日、互いに身を寄せ合い、息を潜めるように暮らしていたことを思い出す。

 あの辛く、苦しかった日々が、今では嘘のようだ。


 船縁から身を乗り出した鶴丸が、手を振っている。浜辺に集まった領民たちに、鯨を自慢しているのだろう。

 初の手まで引っ張り出した鶴丸を、水主たちが慌てて止めるのを見て、光定は笑った。


 まさに、この世の春よ──


 かつて、この熊野の地で栄華を誇り、衰え、そしてまたよみがえった。熊野海賊衆が名門安宅家は、以前よりもはるかに大きくなったのだ。


(このまま、ずっとこういう日々が続けば良いのぉ)


 自分たちは、これからどうなるのか。どこへ向かっていくのか。

 ほんのわずかな不安と、はち切れんばかりの期待を抱え、光定ははしゃぎたてる童たちを眺めていた。

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