ゲームの世界へようこそ!

@Curver_0906

第1話

カーテンの隙間が一条の埃を照らしあげる暗闇にキーボードを叩く音が響く。パーソナルコンピュータの画面が、この暗闇の主を青白く染め、見ようによっては現代風刺芸術とも取れる落ち着かない美しさに彩っていた。暗闇の主は、指先と目線だけを器用に動かし、呼吸さえ忘れてしまっているのではないかと思うほど画面に集中していた。何をそんなに、その疑問に答えるかのようなタイミングで安っぽい作りの豪華なファンファーレが鳴り響く。そして、主はようやく画面から目を離し、伸びを一つ。

これでもかと伸び切った後にまた画面に向き直るが、先程とは異なり表情には、不気味な美しさというより無邪気さが滲み出ていた。

『……セルドラ、ソロ討伐終わった』

主は画面に、あるいは画面の向こう側にいる誰かに報告する。時刻は両の針がテッペンを越えて久しい。誰かからの反応を期待していた訳では無いが、ポンっと小気味のいい音が返ってくる。

『ええ!?アレをソロで倒したんですか?!』

画面の向こうの"モモカ"が驚愕の顔文字を添付した文章を送り返してくる。居ないとは思っていなかった。が、居るとも等しく思っていなかった。主らは顔も知らぬ友人であったが故に、何処かしら似通った性質を持ち、ともすれば林檎が地面に落ちるが如く、互いに惹かれ合っていたようにも思える。数多ある共通点の1つを例に上げるとするならば、暗い過去を乗り越えられぬままオンラインのゲームに逃げ込んだ同志であった。

主と"モモカ"が趣味のあれやこれやの話で盛り上がって早数時間。"モモカ"が切り出す。

『私、来月から学校へ行こうと思います。』

元から静かだった部屋が更に静寂を得る。『近所の高校で入学式があるんですよ』と続いた文字列の意味も捉えられない程の動揺。主の胸中に友の門出を祝う己と踏み越えられた友を妬む気持ちとが一度に同居する。どちらを受け入れるにせよ主は選ばなければいけない。慎重に、慎重に。しかし、慎重になるには時間が足りなかった。

『…なんで?』

万感の思い、その全てを込めた問い掛けに、親類の友は理解し見透かし受け止めて答える。

『アナタが居たから』

主と友との間では、確かに、これ以上の言葉は必要なかったのだろう。それでも、主は求めてしまう。求めようとしてしまう。だが、言葉を紡げなかった。もう、どうしようもなくなって、急激な眠気に身を任せる。

『……そっか。うん、おめでとう。』

おめでとう、これは誰の言葉だろう。キーボードを叩く指と内心とが離反していく。きっと眠気のせいだ。徹夜をすると不意にこういった現象に陥ることがあるのだ。少しづつ、自分に言い聞かせる。

『そろそろ、落ちますね。おやすみなさい。』

『…おつかれさま』

オンラインのゲームにおいてありふれたやり取りは、主の離反しかけた心と裏腹に、本音めいていた。



"モモカ"の独白から数時間が経った今、暗闇の主は強烈な眠気を感じつつも眠ることが出来ないままでいた。虚無感が身体の制御を蝕んでいるのだ。目を瞑っていても胸に口を開けたソレが主を現の世に縛り付ける。もはや鼓動の音さえ聞こえる程静かな部屋で耳を塞いで抗うも、虚無を埋める為だとでも言いたいのか、閉じ込めた過去が鮮明に思い出されていく。まだ、殻にこもる前の出来事が、再び心を傷付けていく。あの小春日和の陽気が、金木犀の甘い香りが、二人組の男に犯される彼女が、三人目に組み伏せられる主が、一歩を踏み出した彼女が、地面に血液の池を作った彼女が、それでも死にきれず藻掻く彼女だった・・・ものが。何度も見せつけられた。幾度も追体験した。数え切れないほどの絶望を、乗り越えられないほどの悲観を己の感情を、どうしたらいいのか分からなくって、吐き気を感じる間もなく嘔吐する。


口元と汗を拭い、呼吸を整えてから数年ぶりに自分と向き合う。

主の言外の言葉を"モモカ"が察せるように、この男にもまた"モモカ"の込めたメッセージが伝わっていた。だから、決断しなければならない。転身か。はたまた、停留か。どちらを選ぶにせよ地獄であろうことは用意に予想が着いた。選ばないと言う選択肢を選び続けたツケが回ってきたのだ。とはいえ、暗闇の主の答えはとうの昔に、あるいは彼女など居なくとも、多分決まっていたのだろう。身を起こすと窓を開け放つ。暗闇の主から"百合草 凪"に生まれ直した男を祝うかのように主の間だった部屋には、心地の良い風が吹き込んでいた。

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