第3話 きらいきらい

 実家に着いたのは日付が変わる頃だった。


 一度覚めた酔いが電車の揺れで戻ってきて、頭がグラグラして気持ち悪かった。




 父とは、両親が離婚してからずっと会っていない。




 父に向けて、特に思うことはない。



 故に、父が死んだことについて感情が揺れることはないし、実父の死に対し悲しみが伴わないというのが、私たちの関係の全ての証明だった。



 私はただただ情報量の多さだけにため息をつき、処理落ちしそうな頭で、顔色の悪い母の話を聞くしかなかった。


 母は油とほこりが絡まり合うダイニングテーブルに両ひじをついて指を絡め、そこに憂う頭を沈めていた。



「あんたはあの人の子供だから、葬式に出るかはあんたが決めなさい」


まずそう前置きしてから、今まで私に話さなかった父のことについて話し始めた。



 父と母は仕事の取引先として出会ったこと。

 営業成績優秀な母に父が目をつけて交際が始まったこと。

 父の両親に紹介してもらったときになんとなく違和感を覚えたものの初めての交際で流されて結婚したこと。

 私たち双子を妊娠して片方が男の子だと分かったときに父と父の両親がすごく喜んだこと。



 双子のうち、男の子の方が死産したこと。


 そのことを、ひどく責められたこと。


 父の両親から嫌がらせを受けるようになったこと。


 父はかばうどころか、不倫をして出て行ったこと。


 父と再婚相手の間に子供が出来ず、私をよこせと何度も押し掛けようとしてきたこと。


 母は私に気付かせないように、あらゆる手段を使って追い返していたこと。




 知らなかった。

 すべてを知らなかった。

 何もかもを知らなかった。


 子供に一切気付かせないように大人の悪意から守るなんて、どれだけ大変だったんだろう。


まだ一緒に住んでいるときの母のぐったりとした顔が、目の前の顔色の悪い母と重なる。


「……まあ、私の力というより、奴らの運が悪すぎたってのもある。私がいない時間に家に電話しようとしたら電話が壊れたりとか、車であんたを連れていこうとしたら車のあっちこっちから異音がしたりとかしたらしくって、初めは私が何か仕組んでるんじゃないかってカンカンに怒ってたんだけど、だんだん気味悪がって関わってこなくなってさ。因果応報ってあるんだと思ったね。それか、死んだあんたの兄ちゃんが守ってくれてるんじゃないか、なんて……」



 母は目を伏せたまま口だけで笑った。涙が口元のしわをつたう。


「だから、私は……決めるのはあんただけど、行って欲しくない」


 あの淡白な母が顔を歪めて泣くのを、私は初めて見た。


 ずっと悪い夢を見ているようで、でも涙で湿った空気の感覚が妙に鮮明で、親不孝な私は初めて母が人間だったことを知ったみたいで、父の話よりもそれがショックだった。


 だからと言って、私はいまさら母をきらうことを辞められない。


 それでも、言った。


 それがいつもの建て前だと思いたいが。


「行かないよ」


 今まで気付かなくてごめん。今までちょっと避けててごめん。守ってくれてありがとう。そこまで言いたかった、いや、言うべきだったのだけれど、声にならなかった。


 とっくに終電なんてないので、私は実家に泊まることになった。


 実家のお風呂につかりながら、きいちゃんのことを考えた。


 こんなときだけど、色んなことがあり過ぎてこのままだとどうにかなってしまいそうで、とにかく明日母に聞いてみようと思った。


 お風呂から上がってから、朝になっても忘れないように左の手首にマジックで「きいちゃん」と書いて、頭を乾かしてかび臭い布団に潜った。

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