第2話 「家族構成:×× ××(○・××)、佐藤××(○)」

「乾杯!」


 繁華街の居酒屋チェーン店で、新入社員(仮)懇親会は行われた。


 私は昼に目が覚めて、少し憂鬱で二度寝して、また目覚めてからも時間ギリギリまでベッドでスマホを触りながら腐っていた。それから支度をして開始時間五分前に到着したのは奇跡だなと思う。



 私は一番下座に座った。横には田辺ゴウキという体育会系っぽい人が掘りごたつ席なのに胡坐をかいている。

 視線を前に向けると細身の津川マサキが、そしてその隣には幹事の岸元――もとい西元イツキが座っている。


 一度会っただけの人と懇親会をするのだ。


 さぞぎくしゃくするのだろうと身構えていたが、それは杞憂に終わった。


 とにかく幹事の西元イツキの話の振り方や気配りが的確だった。


 彼は内定式での全員の自己紹介の内容を覚えていて、出身大学から地元の話、趣味なんかの話をそれぞれ振って、その全てを褒める方向に持っていった。


「田辺くんってラグビー部だったの、確かに強くて頼りになりそうなオーラあるな」


「津川くんの大学めっちゃ名門じゃん!」


「佐藤さんって料理が好きなんだね、料理得意な人って頭いいらしいよ」


 褒められて気分が良くなった私たちは、どんどん酒を飲んで、どんどん自分のことについて話した。


 その度に西元イツキはそれぞれを褒めつつ、自然に料理を取り分けたり、メニュー表を邪魔にならない位置に置いたりと、隙なく働いていた。


 私は人のグラスの空きを気にするくらいしかできず、そして隣の田辺ゴウキが笑う度に膝が私の脚に当たるので、ちょっとだけ居心地が悪くてそわそわした。


 すると、突然西元イツキがこちらを向いた。なんだ?と思っていると西元イツキはにっこり笑い、


「折角だし席替えしよ!」


と提案し、結果的に西元イツキは私の隣に来て、


「ごめん、気付かなくて」


と小声で言った。


 どうやら田辺ゴウキの膝が私に当たっているのに気付いて席替えをしてくれたらしい。

 私は「いやいやこちらこそ」とカミカミで答えながら、心の中で「西元くん、店に着く前に大学デビューの意識高い系勘違い男だったらウケるなとか思ってごめん」と謝罪した。




 西元イツキは隣に来てから、女の子なのにビールを飲んでくれて嬉しいと言い、食べ物何が好きなの、ああ、あのだし巻きが美味しかったよ、と遠くのだし巻き卵を取ってくれ、いっぱい食べる人っていいね、と笑い、地元他県だけど今大学の近くに住んでるの? 俺実家が佐藤さんの大学の近くなんだと話した。


それを聞いて向かいの田辺ゴウキが、


「送りオオカミ!」


と下品に茶化したけど、西元イツキは


「四月から同僚になる人にそんなことしないよ」


と鮮やかにかわしていた。



 ラストオーダーの時間が来るのがこんなに早いと感じたことはなかった。

 手放しで楽しかったわけではないが、本来こういった場が苦手で、いつもじりじりと狭められて窒息しかけて挙動がちぐはぐになって恥をかいたと苦しむ、あの拷問がないという安心が私を普通の二十二歳にした。


 料理は大味でそんなに美味しくなかったけど、西元イツキが勧めただし巻き卵は美味しかったし、お酒も結構進んでいい気分になっていた。


「二次会とかないの?」


 そう言ったのは一番酔ってテンションが上がっている田辺ゴウキだった。


「カラオケとかなら行く」


 趣味は音楽で某サブカル系バンドが好きと言っていた津川マサキが便乗し、二人の視線が私に向く。


「私は門限が……」


 十時なので、そう言おうとして、違和感に気付く。






「佐藤さん、一人暮らしなんでしょ? 門限とかあるの?」






 そうだ、一人暮らしの私に門限なんてない。門限というのは往々にして親兄弟から言いつけられるもので、私は母とは離れて暮らしているし、母からそんなことを言われた覚えはない。


「一人っ子だし」


 西元イツキが穏やかな笑顔のまま言った。

 確かに、内定式の自己紹介で兄弟の有無を聞かれて私はそう答えたし、履歴書の家族欄にも兄弟の名前なんて書かなかったはずだ。


 私はいったい何を言っているんだろう。


「やっぱり門限なかったです」


 違和感の原因を突き止められないまま私がそう言うと、酔って冗談を言ったと思われたのか、みんなが少しずつ笑っていた。


「いや女の子を連れまわすのはよくないって。二次会は今度にしよう」


 西元イツキが気を利かせて、結局懇親会はお開きになった。


 私はぼーっとしたまま、西元イツキと同じバスに乗って、「すみません、気を遣わせちゃって」と謝った。


「ぜんっぜんいいよ。元々二次会はナシの方向で行こうと思ってたし。ちょっと物足りないくらいが一番楽しいんだよね」


「ありがとうございます」


「なんかぼーっとしてるけど大丈夫? 酔っちゃった?」


 私は黙って頷いた。


「帰れそう?」


「私の次のバス停から徒歩二分なんで、大丈夫です」


「よかった。俺はその二個先。気を付けてね」


 西元イツキは最後まで丁寧で親切で、でもリア充らしく最後に謎の握手を求めてきた。リア充のこういう所が謎なんだよなと思ったけれど、西元イツキには感謝していたので素直に応じた。

 酒に酔った西元イツキの手は少しだけ汗ばんでいて熱くて重くて、いつもさらさらしているきいちゃんの冷たくて軽い手とは全然違うな、と思った。


 きいちゃん。


 バスを降りてから、酔いが一気に覚めた。


 私はさっき、きいちゃんのことを忘れていた?


 それだけじゃない。私は履歴書にきいちゃんのことを書かなかった。


 そもそも私は、一人暮らしで……。


 同じバス停で降りた人たちが突っ立ったままの私を追い抜いて行く。後ろで自転車のベルが鳴る。左横の車道をスピードを出し過ぎた車が通り、夜の煙たい風が私の髪を乱す。私は嫌な考えを振り払うようにマンションまで走った。


 震える手で鍵を開けると、そこには電気がついたまま、静まり返った部屋があるだけだった。


「きいちゃん?」


 震える私の声を邪魔するように、スマホが鳴った。


 鞄をあさり、目だけで画面を見ると「母さん」と表示されていた。


「もしもし」





「もしもしユキ? あのね、あんたの父親が死んだらしい。そのことで、……葬式とかに関係することでちょっと話があるんだけど、こっちに帰ってこれる?」

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