第1話・多治見宗助(49)の場合「時間停止」

 20XX/07/30/10:47


 山之上高等学校はすでに夏休みに入っていたが、教員も休みという訳ではない。多治見宗助たじみそうすけもまた、職員室で自らに与えられた仕事をこなすために学校に来ていた。とは言え多治見は特に部活の顧問はしておらず、この日は校舎の見回り以外に特にやることはなかった。


 面倒くさいなと思いながら重い腰を上げ、マニュアル通りまずは各学年の教室から見回りすることにした。


 多治見にはある楽しみがあった。各クラスの廊下に設置されているロッカー、そこに女生徒が置き忘れた体操着を一時拝借して自らが着用する事。

 ごくまれに制服を置きっぱなしにする者もいて、そんな時の多治見のテンションはマックスに達するのだった。しかし夏休み中はみな私物は持ち帰っていて、この時期のロッカーはほとんど空で、あるものといえば主要5教科以外の教科書くらいのものだった。


 2年生のあるクラスに足を踏み入れると、一番後ろの窓際の席に無造作に置いてあるノートに目が留まった。いつもの多治見だったら教室のドアを開けてざっと見まわした後は次に向かうのだが、何故かその時はそのノートが気になって教室の中に足を踏み入れた。


 そのノートの表紙には『超能力の使い方』と書いてあった。


 漫画か小説のネタ帳かと思いながら手に取り、表紙をめくると、中には興味深い事が書いてあった。冒頭には『超能力は誰もが持っている。ただ本能がそれを拒絶しているだけだ』とだけ記されていたが、そこからはにわかには信じがたい内容が・・・


 しかし元々オカルティックな話を信じやすかった多治見は、そのノートを一通り読んでみた。『瞬間移動発現方法』『予知能力発現方法』『透視能力発現方法』『念動力の発現方法』と続き、それらが簡単に使える事が分かった。


「やっぱり人は超能力を使えるのか」

その内容をすぐに信じた多治見は、さらに次のページをめくる。するとそこには『時間停止能力』と書かれていた。最後のページにはその発動方法が記されており、そこから先は白紙状態だった。


 『時間停止能力』に関しては特にその危険性が記されておらず、その内容をすっかり信じている多治見は、すぐにその能力のある使用方法が浮かんだ。もちろんそれは彼の趣味に関するものだった。


 多治見の趣味、それは盗撮だった。昨夜もこっそり水泳部の女子更衣室にカメラを仕掛けたばかりで、特に忙しくもない多治見は、それを早く見たくて仕方なかった。と、同時に誰かに気付かれてないかという不安もあった。


 ノートを握りしめたまま校舎内の見回りを足早に済ませ、プールへの見回りを最後にしようと先に体育館、武道場と回った。


 ここで多治見に別の不安がよぎった。もし仕掛けたカメラがすでに誰かに気付かれていた場合、突然カメラが消えたら真っ先に疑われるのは自分かもしれない。なにしろこんなノートを手にしているのだ。まずはこのノートを処分しなくてはいけない。


 そこで多治見が取った行動は、職員室のごみを集めて焼却場に行き、ごみを燃やす体でこのノートを燃やすというものだった。


 しかし多治見には欲があった。このノートに記されている能力を全て自分の物にしたかったのだ。多治見はせっかちで、トリセツを読む際、操作方法のみを開いて注意事項には一切目を通さないタイプの人間だった。そのため、この時も他の能力に関する危険性部分には一切目を通していなかった。


 最悪このノートの事が発覚しても白を切る方法として浮かんだのが、元々時を止める能力などなかったことにする事。そこに思いが至った多治見は『時間停止能力』から先のページを引きちぎり、そのちぎった部分だけを焼却炉に突っ込んだ。


 すでに『時間停止能力』の発動方法は頭に叩き込んである。後は実行あるのみだった。


 出来るだけ平静を装い、プールの入り口に向かう。が、しかし夜まで待たなくていい、今すぐ見られるという思いからか、自然と顔はいびつな笑顔になってしまう。


 プールの入り口にはコンクリートでできた8段程の小さな階段がある。そこまで来た多治見にまた不安が襲ってきた。普段は手ぶらで見回りしているのに、今日に限って謎のノートを手にそこに入って、下手に勘繰られたらどうしよう、そう思ったのだ。


 そこでそのノートは入り口に置いて行く事にした。幸いこの位置は校庭からも死角になっていて、グラウンドで部活動をしている生徒たちにも見られることはない。


 「見回りご苦労様です」

階段を上がったところでそう声を掛けてきたのは水泳部の顧問の先生だった。

「異常はなさそうですね」

心臓が飛び出るほどの鼓動を抑えながら多治見は返答した。


 その刹那、どこかからの凍る様に冷たい視線を感じて、その方向に勢いよく顔を向けてしまった。が、その時には誰も多治見を見ていなかった。

「どうかなさいましたか?」

「い、いえ、何も」


 気のせいか・・・そう思い直して、顧問の先生がプールの中にいる生徒たちに向き直った瞬間、多治見はその能力を発動させた。



「きゃー!!」

女子部員の誰かが急に大声で叫んだ。顧問の先生は何事かとその生徒の視線の先、自分の左側を見た。そこにはさっきまで立っていたはずの多治見先生が、般若のお面を被ったかのような表情で倒れていた。



 人は目に見えないものはないものと思い込んでいる。だが実際にはそうではない。目に見る事もその手で掴む事も出来ない、それでも人が生きる為にもっとも必要なものがある。それが『酸素』であり、空気そのものだ。


 自分以外の時を止めるという事は、その時動いているもの全てを止めるという事。音速で飛んでいる飛行機、枝から舞い降りる木の葉、そして風、つまり空気そのものも止まることになる。


 時を止めた多治見にまず襲い掛かってきたのは、空気が吸えないという事だった。なにしろ止まっているのだ。当然その肺に取り入れることは出来ない。そして、自身の体を取り囲んでいる空気もまた動くはずがない。能力の解除方法をうろ覚えで覚えてはいたのだが、空気が固まっているので解除の動作も出来ない。


 酸素を取り入れる事の出来なくなった多治見は、なすすべもなく酸欠の苦しみを味わいながらその命を引き取り、能力を発動した多治見の死後、その能力は自然と解除されたのだった。

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