“彼女”との別れ

 彼女と付き合い始めて、しばらくの時が経った。


 それなのに、俺はいつまで経ってもその実感が湧かなかった。

 「友人」から「恋人」と言う関係に名前が変わっただけ、としか思えなかったのだ。


 以前と同じように毎日を一緒に過ごして、互いに笑い合って、居心地の良い日々を過ごしている。それは「友人」である頃から何一つ変わっていない。 あえて言うならば、以前との違いは彼女を夜抱くようになったくらいだ。


 ――恋人とは、夜の関係があれば成り立つのか。もはやそれはではなく違う関係の名前ではないのか。


 そんな迷いが、脳裏を巡っていた。俺はまだ「恋愛関係」というものが分からず、ただ流れに身を任せているだけだった。


 彼女も無理に恋人らしく振舞うことを強要しなかったので、傍から見たら二人の関係が「恋人」になったことに気付かないかもしれない。


 そんな変わらない関係が彼女を傷つけていることに薄ら気づいていたが、俺は彼女に何もしてあげられなかった。俺だけが、居心地の良い時間を過ごしていた。



 そんなある日のこと。いつものように俺の部屋で彼女と過ごしていた、何気ない一日だった。


「君は、これからどうしたいの?」


 どこか悲しいような瞳で、彼女が言う。俺はなんて答えたら良いか分からず、口を閉ざした。


 ――彼女と、これからも一緒にいたい。それは彼女を傷つけ続けることと同義だ。俺は彼女が傷つく姿をこれ以上見たくない。彼女には、いつも笑っていてほしい。


 脳裏でそんな葛藤をしていたからか、俺は気の利いた返事が思いつかず、結局口を閉ざしたまま黙り込むことに決めた。


 ――二人の関係は、彼女に任せよう。彼女から言い出した関係なのだから。


 そう無責任なことを考えながら、次の彼女の言葉を待った。彼女はそんな俺を見て、ひきつったような笑顔を見せる。


「別れ、よっか」


 彼女から発せられた言葉は、想像していた通りのものだった。その一言に、俺は不覚にも少しだけ安心してしまった。


 ――これで、これ以上彼女を傷つけなくて済む。


 最低な自分に、俺は自己嫌悪を抱く。彼女を傷つけることで自分が傷つくのが嫌ななのだ。相変らず自分勝手な性格に、我ながら呆れるしかなかった。


 せめてもの贖罪として、俺は彼女の言葉を受け入れた。本当は一緒にいたいけれど、これ以上俺のわがままで彼女を傷つけてはいけない。


「分かった」


 俺は、これで最後だから――と彼女を抱きしめた。華奢な彼女が、余計に小さく思えた。


 “愛せなくて、ごめん”


 そんな意味を込めて何度も謝る。それと同時に、もう彼女の横にいられないのだと胸が苦しくなり、気付いたら涙が頬を伝っていた。


 ――これで、良かったんだ。これが、彼女のためなんだ。だから、早く彼女を開放してあげないと……。


 そう思っていても、彼女を離すことが出来なかった。未練たらしく、「友人」に戻れたら――なんて調子のいい考えも浮かんできた。


 俺は慌てて、彼女をこれ以上傷つけないと決めただろう、と脳裏でそれを否定する。悪いのは、彼女を幸せに出来なかった自分だ。彼女を手放すことになった自分を恨むしかない。


 彼女はそんな俺を突き放すように、背中に回る俺の腕をほどいた。俺はハッと我に返る。

 彼女は儚い笑顔を浮かべて、優しい声色で言った。


「いつか、心から愛せる人に出会えるといいね」

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