10-6 奇術

 カキドが長いため息とともにうつむくと、ジェラールの方から彼女の表情はうかがえなくなる。


「あなたがそんなふうだから、僕はここであなたを待ってたんだ。もしかしたら、来てくれるんじゃないかって。……おかしいよね、じっとしてろって言ったのは僕なのに」


 ほとんど独り言のような調子でそう言いながら、カキドは、気だるげに左手を持ち上げた。

 空の手のひらをジェラールに見せつけるように、宙でひらひらと振ってみせる。


 カキドがその手のひらを握りしめ、払うように右に振うと――ジェラールは、左手首をつかまれる感覚とともに、椅子ごと床に引き倒された。



 

 埃っぽい床に転がされたジェラールは、最低限の受身を取りつつ、すばやくカキドの足元に目を走らせる。


 突然の衝撃によって呼び起こされた、戦士としての鋭い思考・感覚が、〈カキドが自分に危害を加えるわけがない〉という確固たる前提すら瞬間的に消し飛ばし、この時のジェラールを支配していた。


 

 カキドは、ジェラールに指一本触れていない。その状態の彼女が、ジェラールに何かできるとしたら、魔術を使う他にない。

 術がその効果を失ってから数秒も経たない今なら、まだ、カキドの足元に消えかけた魔法陣があるはずだった。



 だが、ない。どんなに優れた魔術師であっても隠せないはずの魔法陣が、ジェラールの目の前で魔術を行使したばかりのカキドの足元には、浮かんでいなかった。


「っ、魔法陣がない……!?」


「これが僕だよ。あなたの知りたがった、本当の僕」


 カキドは、要領を得ないつぶやきとともに、ふたたび手のひらを持ち上げる。

 開いたまま振り下ろされた彼女の手の動きに合わせて、ややうつ伏せだったジェラールの背中に、ぐっと重みがのしかかった。

 腹のあたりを圧し潰さんばかりの力に、ジェラールは身動きもできず、小さくうめく。



 今度こそ、ジェラールはその目と耳で確かめた――カキドが、ルーン列を唱えず、魔法陣すら描くことなく、まったくしぐさのみで魔術を扱ってみせたのだと。

 カキドの使った術は、明らかに、ジェラールがこれまで目にしてきた魔術とは種類が違う。いいや、ルーン詠唱も魔法陣も必要としない魔術など、もはや……。



 起き上がれずにいるジェラールのもとに、カキドが歩み寄る。彼女は、ジェラールのかたわらに屈みこみ、あいまいに微笑んだ。

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