10-7 裏切り

「僕は、あなたの傍にいるべき人間じゃなかった。それが、あなたに伝えられる、僕のすべてだ」


 カキドの穏やかな声色に、じわり――ジェラールの頭に、うっすらと平時の判断力が戻ってくる。



 見上げた先には、何百、何千回と見たカキドの顔がある。彼女の、どこか切なさを感じさせる笑みが。

 一方で、触れられていないにもかかわらず背中にのしかかる重さと、カキドの言葉もまた、動かし難い事実としてそこにある。


 ジェラールは、今度こそ頭が真っ白になるのを感じた。


 

 〈ひどい冗談はやめてくれ〉、〈からかうにしても、度が過ぎている〉と言わなければならない。それなのに声が出ないのは、カキドの態度があまりに真に迫っているからだろうか。

 そもそも、目の前のこの女は本当に、いつもジェラールの傍にいた、あのカキドなのだろうか?



 ジェラールの困惑を悟ったように、カキドは笑みを深める。喜びの色のない、奇妙な笑みだった。

 ジェラールは、この種の彼女の笑顔を、どこかで見たような気がした。それがどこだったのか、すぐには思い出せなかったが。


「独りにしないだなんて、おかしなことを言うね。僕ははじめから独りだ。ジェロア……ううん、〈ジェラール・ベロワイエ〉。あなたのことを姉弟だと思ったことも、本当は一度だってなかったよ」


 カキドは、そう言いながら、薄らと苦しさに汗ばんだジェラールの額を、頬を、ゆるりと撫でた。

 ジェラールを慈しみ、励まし、慰めてきたその指先は、ジェラールが慣れた感触にすがりつきたくなるより前に、ジェラールの目元へと滑り……そして、ためらいなく左目に差し込まれる。



 無理に眼窩を侵される、形容しがたい苦痛。カキドの妙な術に押さえられたままの体が、恐怖から逃れようと、反射的に暴れ出す。

 やがて、ジェラールの視界が奇妙に歪む。えぐり取られた義眼が、カキドの微笑みを間近に見た。



 対するカキドは、目を細め、義眼から眼窩の内へと根のように伸びていた幾筋もの光の糸を見やる。

 ジェラールが義眼でも支障なく生活できるようにと、ジェラールの健康管理を負うリャンが精巧に編み上げた義眼床だった。


 魔術で編まれた、網のような義眼床。

 神経と密接につながったそれらが、カキドによって強引に引きちぎられた刹那――痛みにも似た閃光が、ジェラールの意識を焼き切った。

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