3-7~9 挑発
ジェラールは、ウィリアムの性分を知りながらも、あえて茶化すようにこう言った。
「なるほどな。負かされて、班に居づらくなったわけだ?」
「いいえ、長兄様! 僕は負けてません! そんな雑魚下位魔術師と一緒にしないでください!」
ウィリアムが食い気味に応じる。
マケイアは生まれついて、扱える魔術の幅や、魔術の発動効率の差で、
とはいえ、上位魔術師とは比較にならないにしろ、一人前と認められるだけの下位魔術師であれば、その能力は見習いとは比べるべくもないはずなのだ。
まだ見習いであり、自らも下位魔術師でありながらも、一人前のワルターに対して〈雑魚下位魔術師〉だなんて――その見解が事実かどうかはさておき、いい度胸をしている。皮肉でなく、ジェラールはそう思った。
一方のワルターは、持ち前の短気さで、ウィリアムの挑発に応じる。
「なんだと? お前も下位魔術師だろうが! しかも、まだおねしょも――」
「はあ!? そ、そんなの〈ジジツムコン〉です! というか、初歩の『同化』魔術に失敗して、飴をくすねそこねた程度の人に〈お前も〉だなんて言われたくないんですけど!」
当人たちは本気で怒っているのだろうが、二人のやり取りを聞いていたジェラールはと言えば、ウィリアムが〈事実無根〉などという難しい言葉を使うようになったことに、ただ感心していた。
まだ十七のジェラールから見ても明らかなほど、ウィリアムの成長は早い。ウィリアムがワルターに魔術で〈負けていない〉というのも、ただの見栄ではないかもしれない。
ウィリアムは勉強家だ。知識量だけで言うなら、怠惰なワルターを超えていてもおかしくないのだ。
二人の言い争いは、終わる様子がなかった。放っておいたら、お互いの手札が尽きるまで、何時間もそうしているかもしれない。
ジェラールが、そろそろ仲裁に入ろうかと思い始めた時――ワルターが、懐から魔術杖を抜く。
一瞬にして、場の空気が冷えた。二人のやり取りを見世物として楽しんでいた無関係の者たちも含め、周囲の皆に緊張が走る。
訓練時や緊急時、その他の魔術を必要とする状況、あるいは特定の立場の者を除いて、独断で魔術杖を抜くのは重大な規則違反だ。
その杖を他人に向けたともなれば、厳罰は免れない。
だが、頭に血が上ったワルターに、そんな正論は通用しそうになかった。
魔術杖は、魔術行使の補助となるものだ。そのため、多くの上位魔術師に魔術杖は必要ない。上位魔術師であるジェラールもまた、魔術杖を必要としなかった。
手ぶらのまま、慎重にワルターの様子をうかがっていたジェラールは、食堂の入口の方を見やり――緊張を解く。どうやら、手出しする必要はなさそうだ。
後ろのカキドも同じ考えらしく、落ち着き払っている。
訝るようにジェラールの視線を追ったウィリアムは、ちょうど食堂にやってきた人物がいることと、それが誰であるのか見て取ると、魔術杖を抜こうとしていた手をあわてて引っ込めた。
ジェラールの意図に気づくと同時に、おそらくは、最悪のタイミングで魔術杖を抜いてしまったワルターの末路を哀れみながら。
「第一の符! 杖先に宿りたる
ワルターは、下位魔術師に教示される定型魔術の一つ、あらゆる雑多な魔術が属するカテゴリである『一般魔術』の呪文をすばやく唱えた。
彼の足元に、上向きの矢印のような形のルーン文字を中央に抱く八芒星を、二重円で囲んだ図案――魔法陣が浮かぶ。外周部には同じくルーン文字で命令式が刻まれているが、その情報量はごく少ない。
ふと。描き上がりそうだった魔法陣が、不安定に明滅しだす。
「あっ――」
ワルターが、小さく声を漏らした。驚きと恐怖の入り混じった声だ。
彼の瞳が、縋るようにジェラールを見た。刹那、二人の精神が『共鳴』し、ワルターの動揺が、波のようにジェラールに覆いかぶさってくる――。
その時だ。
離れたところから短い詠唱が飛んできたかと思えば、魔術杖を握るワルターの手元で、何かが弾けるような音がした。
直後、ワルターが杖を取り落す。
ジェラールは、隙を見計らってワルターの手首を取った。肉体が接触すると、彼の心の揺れも、一層はっきりと伝わってくる。
戸惑い、無防備になったワルターの心は、奥深くまでをはっきりと覗くことができた。彼の中にずっしりと横たわり、その人格の根幹をなしていたのは……。
ワルターの横暴な態度の裏にある卑屈さを垣間見たジェラールは、彼の腕を引き寄せ、耳元で囁く。
「しっかりしろ、ワルター。誰もお前を笑っちゃいないし、馬鹿になんてしないよ。お前も、大事な兄弟なんだから」
ジェラールは、言葉と〈声なき声〉で、ワルターの心に呼びかける。
精神共鳴の一形態である、精神への能動的な働きかけ――精神『干渉』。ジェラールの呼びかけは、荒れていたワルターの内側を穏やかに撫でた。
長い、長い一瞬だった。
カラン。ワルターの取り落とした魔術杖が、床に叩きつけられる音。明滅していた魔法陣も、床に溶けるようにして消えていく。
ワルターは、ぼうっと立ちつくしていた。瞳が薄らと潤んでいる。けれども、その表情は暗いものではなかった。満たされたように、静かに呆けているのだった。
事態を見守っていたウィリアムが、安堵のため息をもらす。
ワルターの魔術は、制御を失いかけていた。
魔術の失敗は、ワルター自身の能力不足のせいでしかない。しかし、そこに彼の動揺が加われば、術が暴走し、手に負えない状態になる可能性があった。ジェラールがワルターの精神に干渉し、真っ先に彼を落ち着かせたのも、そのためだった。
魔術の発動中に手綱を離すことは、大きな事故を招きかねない、許されないミスだ。魔術とは、そもそもが〈自然への挑戦〉だ。大いなるものに挑む最中には、決して油断してはならないのだ。
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