2-2 兄弟

 フラメリア支部は、マケイアだったがために、生まれてすぐに親に捨てられた者や、事情を抱えて居場所を失った者たちが身を寄せ合い、満たされない部分を補い合う――いわば、大きな家族のような共同体だ。

 今でこそ、魔術師連合の下、各支部内の師弟関係も体系化され、こういった傾向は薄れつつあるものの、かつて魔術師の組織と言えば、大抵はそんなものだった。

 フラメリア支部においては、組織の規模がそれほど大きくならなかったことから、伝統的な形が維持されてきた。


 フラメリアの魔術師たちは、師匠弟子、上司部下である以前に、互いに血のつながらない兄弟だ。その頂点に立つ支部長は、親しみを込めて、皆の兄――〈長兄様〉と呼ばれている。



 カキドは、ジェラールを〈長兄様〉と呼ばない、数少ない人間の一人だった。

 幼い頃から、本当の姉弟のようにともに育った二人は、他の支部員以上にお互いを近くに感じてきた。

 ジェラールは〈長兄〉でありながら、今でもカキドを姉のように慕い、カキドはジェラールが支部長になってからも、弟のように〈ジェロア〉と呼んでくれている。



 そのカキドがジェラールを〈長兄様〉と呼ぶのは、思うところがある証拠だ。

 ジェラールは、カキドが置いた仕事の山を眺めた。心なしか、いつもより量が多い気がする。


「意地でも俺を執務室の外に出さないつもりだな? わざとらしく長兄様だなんて言いやがって……」


「何言ってるのさ。けじめだよ、けじめ。一番近い部下である僕が〈長兄様〉とべたべたしてると、下に示しがつかないじゃない? それと、仕事が多かったのは、たまたまだよ。えこひいきはしない主義だからね」


「気分一つで、過労でフラメリア支部に殉じた屍の山を作っちまうと恐れられる気まぐれ長姉様が何を言ってるんだか。どうせ、まだ俺がこの前の話に納得してないと思ってるんだろ」


 カキドは、執務机に両肘をつき、困り眉をさらに困らせてジェラールの顔を覗き込んだ。

 長身のカキドが間近に寄ると、それなりに威圧感がある。だが、彼女の持つ迫力は、見てくれというより、彼女の内側からわいてくるものだった。


「〈部屋から出るな〉……なんて、急に言われたら、あなたじゃなくても納得いかないだろうけど。あなたなら、他の誰より納得いかないはずだ。何よりも大切な兄弟たちに、会うなって言ってるのと同じなんだから」

 

 カキドがそう言うのと同時に、ジェラールは、胸の内にひやりとした藍色のもやが流れ込んでくるのを感じた。

 もやは、寂しげで控えめでありながら、ジェラールに何かを問いかけようとする。それは、意思の〈塊〉――罪悪感を持ちつつもジェラールの心を探ろうとする、カキドの思いそのものだった。

 

 マケイアの精神構造は、一般民のそれとは異なり、個々の境界があいまいなところがある。マケイア同士であれば、互いの感情が、薄らとわかるのだ。

 互いの精神がつながること――魔術師たちは、それを『共鳴』と呼んでいる。ジェラールの精神は今、カキドの思いに『共鳴』したのだった。



 ジェラールはこのところ、安全のために部屋から出ないよう、カキドに言いつけられていた。

 支部拠点からの外出を伴う職務についている分、カキドの情報網は広い。魔術師を敵視する一般民の一団に、何やら怪しい動きがあったとの情報を得た彼女は、ジェラールの身を案じているようだった。



 フラメリア支部拠点が迷宮たる理由は、七年前、一般民に旧拠点を襲撃された一件にあった。

 その際、支部は、少なくない数の構成員に加え、支部長をも失った。生き残ったものたちは、幼かったジェラールを次の支部長として、破壊された旧拠点を捨て、隠れ潜みながら、新たな拠点を広げていった。

 その成果が、この迷宮――一般民社会の影に根を張る、煩雑な要塞なのだ。

 もちろん、旧フラメリア支部も、何の対策もとっていなかったわけではない。それでもあれほどまでに被害を受けたのだ。カキドが心配するのも無理はない。



 不穏な話が出たのは、確か一昨日の朝ごろだった。この話をしてから丸二日、ジェラールは執務室でのみ過ごしていた。

 食事や仕事、魔術に関する書物まで、必要なあらゆるものはカキドが持ってくる。

 執務机の下にある隠し魔法陣――床板の裏に描かれている――が私室に繋がっており、そこにはトイレやベッドもある。

 執務室と私室だけでも、最低限の生活はできるようになっていた。


 立場としてはジェラールの方が上ではあるが、年上のカキドはジェラールにとって姉のような存在であるし、ジェラール自身、カキドを心から信頼している。

 そのカキドが〈部屋から出るな〉と言うのならと、ジェラールは、おとなしく従っていた。



 とは言っても、一日を支部拠点内を歩き回って過ごすのと、執務室にこもって過ごすのとでは、まるで心持ちが違う。

 こと、ジェラールはあまり眠れないたちで、人より一日が長いのだ。

 ついでに言えば、普段のジェラールは、あまり執務室に帰らない。


 食事は皆とともに食堂でとり、夕方には皆に混じって体を清める。

 日中は、指導員らと一緒になって、部下に魔術の指導をすることもあれば、見習いの子らに魔術師の心得を説いたり、病人や怪我人、数少ない老魔術師などを見舞うこともある。

 お気に入りの場所は、共同のささやかな書庫だ。

 書庫では、他の支部員と同じように勉学に励むだけでなく、書類を持ち込んで仕事をすることもあった。



 ジェラールの師でもあった前支部長キースは、自分の持ち場にこだわらない主義で、部下を愛し、積極的に彼らに関わっていた。

 幼い日のジェラールは、彼とともに旧拠点内を歩き回り、さまざまなことを学んだ。


 他者との関わり方や、自分たちがこうして集う意味。マケイアという共通点を持ってはいても、ここにいる誰もがそれぞれ異なっていること。人をまとめるということがどういうことなのか、支部長として、人として、どうあるべきか――。

 当時のキースが何を思っていたか、今のジェラールにはわからない。ただ、彼の教えを受けたジェラールは、師と同じように、支部員とともにある長であることを望んでいた。


「大切なんてもんじゃない。兄弟たちは、俺のすべてだ。あいつらがいるから、今日までやってこられたんだ。……みんな、どうしてる?」


「だいたいはいつも通り。けど、あなたがいなくなって寂しがってる。それと、あなたが体を壊したんじゃないかって心配もしてる。適当にごまかしてるけどさ」


「ははっ、そうか。なんだか悪いな」


 兄弟たちの心配顔を思い浮かべ、ジェラールは軽く笑った。



 幼い頃から支部長という職に就いているのもあり、ジェラールはこれまで、何かと部下に支えられることが多かった。

 十七になり、もう十分職務をこなせるようになっても、年上の者たちの中には、ジェラールを子供のように案じている者が少なくない。

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