15-天国
寝かせてくれ。動けないんだ。このまま、そっと静かにしておいてくれ。
どこか遠くで、ター、ター、と呼ぶ声がする。マーか。いや、生きているわけがない。もうだいぶ前から、俺は話すこともできないほど衰弱してしまっている。
それでも遠くで、ター、ター、と俺を呼ぶ。鳥の声だろうか。先に逝ったマーが、俺を天国に呼んでくれているのだろうか。
ぼんやりと、目を開けてみた。マー、お前、ずいぶん痩せたな。かわいそうに。
「ター、どうしよう。もう雪がないよう。お湯、沸かせないよう」
雪がない、か。そりゃ困ったな。まるで春じゃないか。
「春……?」
こくん、と、マーがうなずく。変な夢だ、と俺は思う。夢なら、起き上がって外まで出られるかもしれない。
俺はゆっくりと、仰向けになった身体をうつ伏せにしてみた。かさかさになった皮膚が寝床の枯草に擦れて、妙な音を出す。左腕はまだ、狼に食われたままだった。残った右腕は、骨と皮だけになって枯れ枝のようで、よく燃えそうだった。
寝床を這い出してみる。夢のくせに立って歩けないのは残念だったが、片手と両膝で、なんとか這っていけそうだ。眩暈で崩れそうになると、左肩をマーが支えてくれる。洞窟の入口まで、産道を出る新生児のようにのろのろと這って、俺は、若草の萌えはじめた早春の森へ出た。
まだ夢だと思っていた。信じられない。圧倒的な生き物の気配。食える草、食える生き物、暖かい太陽。天国じゃないか、ここは。
マーが飛び出して、目の前で跳ねていたバッタを捕まえた。羽と足をちぎって、ポケットにしまう。おいおい、そいつが食えるってこと、誰に教わったんだ。野草の芽を摘んできたマーは、うれしそうに俺の元に駆け戻ってきた。
「ター、ねぇ、これ食べれる?」
俺は黙ってうなずく。よほどの毒草でないかぎり、大抵の若芽は食っても問題ない。マーは摘んだ草をいそいそとポケットにしまっている。よく見れば、その手指にはたくさんの火傷痕があった。火の扱い方が分からないまま、たき火を消すまいと熱い薪に何度も手を突っ込んでしまったのかもしれない。かわいそうなことをした。
きっと、いつもの水場には雪解け水がきらきらと流れているはずだ。あとは、俺たち同様に浮かれて出てきた熊どもにさえ気をつければ、次の冬までは飢えと寒さから開放される。神様なんか信じるどころか憎むべき相手だが、このときばかりは心の底から感謝した。
ありがとう。マーを守ってくれて、本当に。
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