03-烏賊
3回目の生き返りの、5日目の昼。遮るもののない鋭利な直射日光が、顔と言わず腹と言わず足と言わず、全身に重度の火ぶくれを生産し続けている。見渡す限り水しかない世界で、脱水して死ぬ苦しみ。海水には、仰向けに浮かんでいればすぐには死なない。飢餓と渇きと孤独と暑さと痛みと恐怖で気が狂うまで、この苦しみから解放されることはない。うつ伏せになればいつでも溺死できるが、死の回数を増やすばかりで結局、なんの解決にもならない。一日でも長く生きて、通りすがりの船かどこかの岸に。死体で打ち上げられて埋められてしまったら大変だし、死人を拾ってくれる酔狂な船もないだろう。ただ、この状況があと何年、あと何十年何百年続くのか、考えただけで狂気に取り憑かれそうになる。
目を開けると、悪魔のような晴天。栄養不足で日光に焼かれ続けた網膜は、霞んだ青空を俺に映して見せた。たとえ今救助されたとしても、助かる見込みはなさそうだ。身体を動かす余力さえ、もう残ってはいない。前回は3日で死んだから、この状況では驚異的な「長寿」と言える。うん、大往生だな。そんなバカなことでも考えていないと、二度と復帰できないほどの完全な狂気に取り込まれてしまいそうだ。
肉体は何度よみがえっても、記憶は継承されている。過去にも何度か精神をやられたことがあったが、ほとんどが頭に物理的な傷を受けたせいだ。絶望がもたらす精神異常が、次に生き返ったときに継承されるかどうか、まったくわからない。思い出しただけで気がふれるような記憶を持ってしまったら、俺は永遠に狂人として生き続けなくてはならないかも知れないというわけだ。想像するだけで恐ろしくて爆笑してしまいそうなその事実。げらげら笑う海上の火ぶくれ死体。俺なら絶対に拾わない。
天にまします我らが神よ、願わくば大海原を漂う哀れな魂をお救いください。御許に魂を引き上げて、二度と生き返ったりせぬように。天国なんて贅沢は申しません、地獄でぜんぜん構いません。今よりひどい状況は、地獄でもなかなか体験できないでしょうから。お願いです。俺なんか悪いことしましたか。いや、したことはしてますが、たくさんしてますが、それは何度か死んだあとの話でしょ。どうして他の人と同じように、一回の死で許してくれないんですか。何度も何度も殺して。だから俺はあなたが嫌いなんですよ。なんで俺だけ。俺ばっかり。このまま永遠に海に浮かんで苦しみ続けろってのか。ひひ。いひひひひひひ。
激痛。水につかった背中を、突き刺さるような痛みが走る。気がふれかけていた俺の意識はぎりぎりのところで踏みとどまって、次に圧倒的な恐怖に包まれた。背中に手を回そうにも、スタミナ切れで腕も動かない。サメか? そう勘ぐった次の瞬間、同じような痛みが次々に水中から襲い掛かった。
驚いた俺は、咄嗟に片腕を腹の上まで動かしていた。腹の火ぶくれがつぶれる痛みより、腕に絡みつく3本のぬるぬるした突起物に俺は卒倒しそうになった。
イカだ。巨大というわけでもない、30センチくらいの奴だ。そいつがどういうわけか、俺の腕をつかまえて、硬いくちばしでムシャムシャと肉を食っている。振り払おうとしたが、火事場のバカ力もさすがにそこまでの余力は残していないらしい。まさか、イカにに喰われて死ぬなんて。身体中に絡みついたイカは容赦なく俺の皮膚を食い破り、恐ろしい速度で肉をついばみ続けている。
死ぬ。そう思ったが、なかなか意識は途切れなかった。無数のイカが掴みかかる、無数の吸盤を全身に感じて。胸を一突きにされたほうが、どんなに楽だろう。ああ、神様、これがあなたの答えですか。本当にひどい仕打ちを。暗転。背中にも腕にも足にも頭にも、首にも尻にも肩にも踵にもイカが。ああ、やっと痛みが和らいだ。五感から開放された。沈む。
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