十一話 自供

 



 いつもファッションにこだわっている奈津は一見、家事は何もできないように見えた。だが、それは偏見だった。奈津の作る料理は旨かった。


「冷蔵庫の余り物で一品料理を作る。それがホントの料理上手って言うのよ」


 ピンクのエプロンを付けて包丁を動かす奈津が、自慢気に言った。奈津は褒めると図に乗り、蘊蓄うんちくを披露しないと気が済まないタイプだった。


 ……そう言えば、“女将が居なくなって、ご飯はどうしたのか”の問いに、“自分で作って食べた”と調書にあった。……昔取った杵柄か。


 努は家に帰るのが楽しみになり、相棒の須藤とも飲みに行かなくなった。須藤には申し訳ないが、奈津の手料理を肴に、晩酌する方が余程よかった。……そう言えば、こんな時に使うぴったりの四字熟語があったな。……〈美酒佳肴びしゅかこう〉だ。ん? 俺も、奈津の蘊蓄ご披露に感化されたか?――そんなある日。


「ね、新婚旅行を兼ねて長崎に行こうよ」


 帰宅したばかりの努に、出し抜けに言った。ネクタイを外しながら、乗り気のない顔を向けると、そこには、いつものように口を尖らせた奈津の顔があった。


「新婚旅行って、まだ結婚もしてないじゃないか」


「そのうちするんだから、婚前旅行。ね?」


「ったく、休みの日ぐらい家でゆっくりしたいよ」


「いつもゆっくりしてるじゃん。行かないならご飯作らないから」


「エッ!」


 反射的に奈津を見ると、そっぽを向いていた。食べる系のワードに努は敏感だった。


(……痛いとこ突くな)


「今晩からボイコットだ」


 奈津は不貞腐ふてくされると、部屋を出て行った。――結果は目に見えていた。




 二十年振りの長崎だった。駅前の光景は一変し、「千草」があった場所は花屋になっていた。奈津に教えて貰った真犯人宅は、古い佇まいを残していた。呼鈴を押すと、背の高い女が格子戸を開けた。


「二十年前の千草の件で――」


 努がそこまで言うと、女は一瞬目を丸くしたが、覚悟を決めたかのように、夜会巻きに結った白髪交じりの頭をおもむろに下げた。




 通された和室から臨む、庭の景観はなかなかのものだった。竹垣に蔓を伸ばした赤や青の朝顔。風鈴や葦簀よしずが夏の風物詩を演出していた。――努の前に麦茶を置くと、女は語り始めた。


「……千草に金ば借りとったとです。毎日のように催促されて、挙げ句の果てには、期日までに返さんかったら近所にバラすばいって、脅しよったとです。当時、編物教室ば営っちょりましたから、近所にバレたら生徒さんのおらんごとなって、廃業せんばいけんごとなります。そげんなったら食べていけましぇん。近所にバレる前に殺すしかなか。そげん思うたとです。

 あの日は「千草」の定休日で、朝から土砂降りでした。チャンスだと思いました。『今夜、金ば返すけんで先に飲んどかんね。万が一にも寝てしもたら困るけんで、鍵ば開けといてくれんね。一緒に飲もうで、祝い酒ばい』そげん言うて安心させて、一升瓶ばあげたとです。

 眠った頃を見計らって、軍手と腰ひもばポケットに入れると、亡くなった亭主の黒い雨合羽ば被って、人っ子一人歩いとらん土砂降りの中ば急ぎました。仮に誰かに見られたっちゃ男だと思うに違いなか。そげん考えでした。

 鍵の掛かっとらん「千草」の戸ば静かに開けると、案の定、座卓に頭ば載せて寝ちょる千草の背中を、客間の電灯が照らしちょりました。軍手ば嵌めると紐ば両手に巻き付けながら、抜き足差し足で千草に歩み寄ると電灯ば消しました。

 雪見障子からの外灯が千草のうなじば白く浮かび上がらせちょりました。狙う場所ば決めると、紐ば千草の首に巻いて一気に絞めました。千草は両手で私の軍手ば掴み、両足ばバタバタさせちょりましたが、私は躊躇ちゅうちょなく、力の限りに紐ば引っ張りました。やがて、うーっ……。と微かに唸ると動かんごとなりました。

 庭に出ると、土砂降りの中、スコップで穴ば掘りました「千草」には何度となく遊びに行っとるけんで、スコップがどこにあるか知っとったとです。千草の首に垂れた紐を握り、引き摺って穴に埋めました――」




 一気に話した永井美也子は、深い溜め息を吐くと項垂うなだれた。


「二階に居た子供は気にならなかったか?」


「……ああ、なっちゃん。あん子は千草ば嫌ろとったけん、もし見られても通報しぇんと思っちょりました。それが証拠に、二、三日家で預かった時、言うちょりました。『おばちゃんとこに預けてほしかった』って。余程、千草に酷いことばされたとやろね。……ところで、今頃になって、なんして分かったとですか?」


 美也子は垂れた瞼を上げた。


「いや、そん人は、あんたが犯人だと知っとったとですよ。二十年前の事件当初から。ばってんが通報しぇんかったとさ。逮捕してほしくなかったとやろ。感謝せんばたい」


 咄嗟とっさに答えたせいか、努は無意識のうちに九州弁になっていた。


「……そげんですか。ありがたかね。どこのどなたさんか知らんばってんが、礼ば言っといてくだしゃいましぇ」


 美也子は浴衣の袖で、目頭を押さえた。


「時効は既に成立しています。出頭するしないは、ご自身で決めてください」


「……はい」


 美也子は深く頭を下げた。




 奈津を待たせている喫茶店に急ぐと、口を尖らせたお得意の顔が窓越しにあった。

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