九話 本心

 



「姐さんは、よく子供の頃の話をしてました。五歳の時に母親を亡くしてからは、ずっと父親と二人で各地を転々としたそうです。初恋は、小学四年の夏休みだとも言ってました」


(! ……)


「そんなある日、こんな話をしてくれました」




『あ、そうそう。そう言えば、私が小学四年の時に近所で殺人事件があったわ。小料理屋の女将が殺されて、庭に埋められていたの。犯人は直ぐに捕まったけど、それは、犯行がバレてではなく、店から出てくるのを目撃されてだった。

 自供によると、女将に恨みがあった犯人は、女将を殺害するチャンスを狙っていた。犯行の日は、朝から土砂降りだったので、庭に埋めるには都合がよかった。柔らかい土を掘るのは容易いからだと。都合よく、玄関の鍵は掛かってなかった。泥酔して寝ている女将の首を絞めて殺すのは、簡単だったそうよ。そして、土砂降りの中、スコップで穴を掘って埋めた』




「それをヒントにして、段取りを組みました。パジャマと下着を脱ぐのは自分で考えました。その方が証拠が残らないと思って――」



 ……あの事件の犯人はまだ、逮捕されていない。殺害方法を渡辺に教えるには、犯人が逮捕されたことにする必要があった。脚色して事件の概要を話したのだろう。


 だが、なぜ殺害方法を教える必要があったのか……。例えば、何等かの理由で原口に殺意を抱いた。だが、自分の手は汚したくない。そこで、二十年前の事件の手口を教えて、渡辺に殺させた。


 つまり、渡辺が自分に好意を持っていることを知った上での、殺し方の助言だったのではないか……。努は、奈津への疑惑を払拭することができなかった。



 渡辺が逮捕され、事情聴取を終えて戻った岩崎は奈津に挨拶すると、身の回りの物をボストンバッグに詰めて原口の家を後にした。――奈津に電話をしてみたが、出なかった。



 数日後、原口宅に赴いた。葬式を終え、既に組を解散していた原口の家には明かりはなく、門前雀羅もんぜんじゃくらを張るがごとく、暮れ泥む街の中に色褪せて映っていた。インターホンを押そうとした時だった。


「あっ!」


 思わず声を出した。表札がなかったのだ。……もしかして、出て行ったのかと思いながら、インターホンを押してみた。やはり、応答がなかった。仕方なく自宅に帰ることにした。――すると、郵便受けに奈津からの手紙が入っていた。努は何かしら胸騒ぎがした。




《前略

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 お兄ちゃん 千草の話を一度もしなかったけど

 もしかして私を疑ってたの?》


(何? ……と言うことは、千草殺しは奈津じゃなかったのか?)


《確かに殺人計画は立てたけど

 ある人に先を越されちゃった

 と言うわけで 真犯人を知ってまーす

 教えて欲しかったら私の居場所を当ててください   かしこ》


 奈津の居場所は、便箋に印刷されたホテルの名前で直ぐに分かった。だが、何故か会いたい気持ちになれなかった。奈津が遠い存在に感じられた。


 ……俺もまた、千草を殺したいと思っていた一人だった。結婚をせがんできた時は、血の気が引く思いだった。その時、この女が居たら就職にも差し支えると思った。「千草」に行かなくなったのは、単に千草と別れたかったからだ。


 そんな時、千草が殺された。真っ先に頭に浮かんだのが奈津の顔だった。利発で機敏なあの子なら巧く処理するに違いない。案の定、事件は迷宮入りとなった。さすが、俺の敬愛する奈津さまだ。俺の身代わりをしてくれた奈津に感謝した。と、同時に、俺の分身のようにも思えた。


 ……それが違ってた。裏切られたような、莫迦ばかにされたような、何か胸の底に汚泥が溜まってるみたいで嫌な気分だった。


 それともう一つ。渡辺との関係だ。渡辺は片想いだと言っていたが、本当にそうなのか。男と女が一つ屋根の下で暮らしていたんだ、何もない方が不自然だ。努の想像は悪い方に膨らんでいた。――だが、結局、ホテルに電話をしていた。


「もう……遅い」


 口を尖らせた奈津の顔が浮かんだ。


「悪い、悪い。……俺のアパートに来るか?」

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