エピローグ

終章

 記録の閲覧を終えた私は、ふうと一息ついて、インスタントの珈琲を淹れた。

安っぽい、しかし香ばしいその匂いが、私の想像力の翼を休める合図となる。

「所長。お客様がおいでですよ」

 製品資料室は表向き、過去の資料を再検討するという如何にもな名目でもって、一つの研究室として数えられている。その実態は、たんなる島流しの宛先の一つでしかないのだが、その中で俺は、一応ここの所長ということになっている。

「あ、誰だ? できりゃあ適当に追い払ってくれると助かる」

「相手はヤマモトさんですよ。カゲヨ・ヤマモトさんです」

「そりゃ、一大事だ」

 俺はそう言って、先程淹れたばかりの珈琲を一気に飲む。喉の底の方が焼けるような感じがしたが、気にも留めてはいられない。

私は手鏡を使っていくらか見た目を整えた後に、製品資料室を後にする。

「お久しぶりです。ツジさん」

 その女性……否。少女。少女としか思えないその人物。カゲヨ・ヤマモトは私にそう声をかける。

「いつもすいませんね。本来であれば、私が先回りして案内をしなければならないのに」

 俺が言うと、少女。カゲヨ・ヤマモトは微笑む。

「お気遣いなく……それより、向かいましょう」

 俺。資料再研究所所長。マサヒロ・ツジは、この製品を作り出している企業中央における派閥闘争に破れ、今はこうして閑職に就いている。しかし、このカゲヨ・ヤマモトは企業内部において独自の地位を持っているらしく、彼女は俺を再度、内部派閥闘争に駆り出そうと目論んでいる。

向こうは、俺が知る企業内部の派閥毎の色合いを知りたい。俺は単純に、企業の中で再度復権し、地位を持ちたい。

単純な利害の一致だった。

そうして同盟を組んだ俺と彼女とは、こうして時たま会合を持っては、大抵が相手持ちで何処かへ遊びに行く。大抵は歌劇や、或いはクラシック音楽の鑑賞であるが、その後には大抵、記念日にも行けるか行けないかといったような高級な食事も待っている。言ってしまえばそれも、俺の楽しみの一つだった。


* * *


「退屈な男だ」

 いつ会ってもそうだ。

『多国籍陸軍大将』メグミ・トーゴーはそう言って、大きくため息をつく。

「企業という砂上の楼閣の主たらんとしようとするその野心だけは買ってやるが、人間としては退屈極まりない」

 運転手。金髪の女性兵士アリア・クーベルタンはこう言葉を返す。

「つまらない人間でなければ回らぬ仕事というものもありましょう」

「まったく。私は幾度、このような夜を越していけば、私の思うところまで辿り着けるのだろうな」

 世間では、脱走した兵士が連合を組んでテロを行っているという話が今や公然のものとして語られるようになっている。市井の人々はそれを一般の殺人事件と同じぐらいには不安視し、一部では軍隊そのものの価値を再検討し、彼等の人権蹂躙の実態を問い質すべきだという議論も起きている。

「……慣れないよ。ここには空白しかない。そこに入るべき何かがいつも不在なんだ。しかし確かにそこには、不在があるんだ」

 車は高速道路に入る。この車両さえ、見た目こそ最新の車種そのものだが、中身は一切の電子機器を廃している。その強迫的なまでの警戒心は彼女、メグミ・トーゴーのものではなく、副官であるアリア・クーベルタンの持つ性質だった。

「ところで、閣下。最近何か本を読まれているようですね」

「ん。ああ? 最近はこういうものを嗜むようになってね。一種の退廃だが、世間は退廃をこそ求める。世間知らずというのが彼等の中ではもっとも恥ずべき観念らしい」

「以前は、第一次世界大戦を題材にとった小説を読まれていました」

「あれはね、悪くなかった。けれど、しみったれた話だね。私の戦場はああであってはならない」

「では、今は何を?」

「今は、ある国のテロリストが書いた本を読んでいる。悪くない」

 そう言うと彼女。メグミ・トーゴーはその作品の一節を謳い上げる。

「戦争は彼らを決して放免しないであろう。決して彼らは国に戻り得ないであろう。決して彼らは完全に我々に属するということはないであろう。彼らは常に戦線を血のなかに担うであろう」

 一瞬だけ、彼女は言葉に詰まった。

しかし、何かの判決を告げる審判であるかのように、その言葉は彼女の口から放たれる。

「戦争は終わった。戦士は相変わらず行進を続ける」

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