No.7-24
私は公園を出た。
まだ休暇はある。私にはまだ彼女と和解するだけの時間が、私には残されている。
私は、まずエス・エルと連絡を取ろうと考えた。正確にはエス・エルのその最上部に座しているであろうトーゴーとの連絡を求めた。そうなると結局、私がトーゴーと初めて会ったあの場所に行く以外に、私が行使し得る手段はないように思えた。
例のチャイニーズレストランは、その日も混み合っている。私の住む辺りにも同じような料理を出す店があるが、確かにここほどは美味くない。
それでも店員の一人が私を見つけ、声をかける。しかしその店員が向ける表情は、接客用に作られたあの判を押したかのような張り付いた笑みではなく、戦場にある兵士だけが作り得る、冷徹さを滲ませたものだった。そして私はそれを理解した上で、こう言った。
「話があるんだ。君のところの偉い人と、話がある」
「ああ、それでしたら裏口に来て下さい。私からも、とても大事なお話があります」
その会話が行われて、私はその店員のいう言葉通りに裏口へゆっくりと歩みを進めた。
「おい、分かっているんだろう? 曹長。お前が今やろうとしていることが、その内心はともあれとても危険な行為で、私は兵士としてお前を通すわけにはいかないんだよ」
「おや、そのようにすぐに正体をばらすのか。マジシャンの緻密さを君はもっと見習うべきだ」
「それがお前の遺言か?」
「コマンドとしての助言だよ。君が何年生の兵士なのかは、私も知らんがね」
「曹長、本題を言え。殺しじゃないことだけは分かる。だが私はたんなる兵士で、護衛だ。お前を仮に刺すか撃つかしたとして、適切な治療を施す自信は、ないんだぞ」
「では君の指揮系統の最上位まで、話を入れて欲しい」
「……保証は、しかねる」
「それでもいい。私はそれなら足抜けするだけだ」
「そんなことが可能だと思っているのか?」
「加減と後は慣れの問題だ。物事、完全スッキリなんて割り切って進められるとは、私は思わないからね」
「要件を言え。曹長」
「曹長から執行部へ話がある。それだけだ」
「成程。たったそれだけか」
「たった、それだけだよ」
これ以上の処方は、私の手元には残されていないのだろうと思われた。そして、トーゴーが私の想像する軍事指揮官であるなら、この程度の適当なやり方でも、飲み込んでくれるだろうと考えた。
これは甘えだ。頼っているとも言っていい。あの陸軍大将の、上級士官にあるまじき細やかさの、その何か漠然としたものに対する期待。戦場では信じてはならぬ、けれどもここに居る時には信じたくなる……そうした感情の動作。
兵士は言った。
「では、見えないよう工夫をして帰ってくれ」
「無理を言う。私は人間だ」
「何を言う、曹長。お前はもはや人間などではない。お前はコマンドだ。勝手にやれ、そして勝手にどこかで死んでいけ」
「私も同じ言葉を返そう。勝手に戦い、勝手にどこかで死んでいけ。君と私とは、その終着点に違いなぞないのだから」
そうした一連のやりとりの後、いくらかしてエス・エルから一つの電話機が送られてきた。
私は、誰の目にもつかないであろうと断言できる場所で、連絡をとった。相手がそれに出たのは、電話をかけてすぐのことだった。
「大変、不愉快だ」
電話口にいる少女。メグミ・トーゴーは自身が不機嫌であるということを隠そうとしない。
「すいませんね」
私は悪びれもせず、そう答えた。
「私からお願いがあります」
「最悪の場合は組織が割れる、そういう類の行為をしておいて、よくもまあ」
「もうやめましょうよ、そういうの。きっとそうなんでしょうけれど、怒らなきゃ駄目だから怒るというのは、理解している相手同士では非合理的だというものです」
「随分と生意気を言うじゃないか」
「過程を省きたいだけなんです。お互い、分からない仲でもない」
「それがもし仮に、一方通行ならどうする」
電話口の相手は笑っていた。それだけでも十分だ。
「実際のところ、これがもう最後です。その線を超えたら、どちらにせよこんなことはないでしょう……これも、どこに確証があるんだ? という話ではあります」
「じゃあなんだ。この結果として君が私とその戦線の方に傾くというのであれば、君は私にその生涯と呼べるものを、捧げるとでも言うのかね」
「……私にとって、生涯というフレーズに馴染みはありません。けれども、もしそうなったなら、何をどうしてもそのようになるでしょう。ならざるをえないでしょう」
相手は。陸軍大将メグミ・トーゴーは、気軽な調子でこう言い放つ。
「その言葉は決して軽くはないぞ」
こほん。彼女はわざとらしく、一度小さな咳をした。
「では、要件を聞こうじゃないか」
こうしてエス・エルとの話は済んだ。あとは、彼女と私の関係性の領域だけで全てが完結する。そこには、私の決断と、彼女の決断以外には何も残らない。
そのはずであるのに、私はこの状態。彼女と私の、生き方の線が何処かで逸れ、そして以降交わらなくなったこの関係性の精算をしようというのが、非常に何か重く感じ取れて遅々として物事は進まなかった。
あれだけ私と彼女は、楽しげに会話が出来たというのに。彼女は心を開き、私はそれに溶け込んで、兵士フラン・モンタギューは消え果てて、そこには人間フラン・モンタギューだけが残るはずであったのに。
私は、彼女が帰ってきたその時。幾度となく彼女に声をかけた。
彼女は、応えない。
これを繰り返すのも、私は苦ではない。しかし、時間が迫っていた。
ある時私は、彼女の部屋。扉越しにこう言葉をかけた。
「次の日曜日。そこがタイムリミットなんだ。その日の話を、させて欲しいんだ」
私が言うと、扉の向こうで彼女が歩いてくるのが分かった。
「本当にやめるのなら、本当にやめちゃえばいいじゃない」
「君が望むなら」
「望んでいるわ。今すぐででもね」
「本当かい。本当にそう、言い切れるかい」
「何を、疑うことがあるの」
「……私は、君のことが、好きだ」
私は彼女の言葉を待たずに、言葉を繋げていく。
「君と、その生活が好きだ。君のその、ある時に見せる無軌道さが好きだ。純な感情に、邪な思考を介在させない、その小ざっぱりとした態度が……好きだ」
「それはあなたの思い込みかもしれないわよ」
「仮にそうであったとして、何が問題なんだ。虚像は人それぞれの中にある。その美しい幻想を共有できれば、それが現実である必要なんて、どこにもないじゃないか」
「どんなに美しい幻想も、現実じゃなければそれはすぐに壊れるわ」
「なおせばいいんだ。また、作ればいい。私はそれを、不可能だとは思っていない」
私は、言った。
「次の日曜日。廃兵院がある通りの花屋『ボッカ・デラ・ベリタ』の前で君を待つ。昼間の三時まで、私はそこにいる」
そこに来てくれ。そう言って、私は最後に結びの言葉を付け加える。
「お願いだ」
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