No.7-22
その日を境に、私と彼女との会話はほぼ、消滅した。
二人はお互いの存在がただそこにあるということだけを確かめ合い、お互いの顔を合わせては、どちらかが(――或いは両方が)気まずそうな顔をして、目線をそらして、互いの雑事を済ませる。
食事は、私が作っている。とは言っても、机上にそれを置いておくか、冷蔵庫に入れておくか。そういったもので、彼女はしばしばそういったものを無視して、自身で何か宅配サービスを頼んで……大抵はピザだった。それを食べて、済ませる。
そうした冷え切った生活の中にも、任務というもう一つの世界は入り込んできて、私はそれを隠すことを半ば放棄した。
ただ何も言わず、家を出る。その先には任務がある。それは大抵、殺しの任務だ。今や、人間フラン・モンタギューの生活は破綻の色を見せ始めていて、そこで生じたありとあらゆる負債を、兵士フラン・モンタギューが返済しているような、そんな生活の形態をとるようになっている。
いびつな構造だ。
これならばまだ……トーゴーが言っていた、カートゥーンを集めて暮らす兵士の方が、幾分かマシに思えてくる。それが虚構であれ、何であれ、積み上げていく生活は浪費を補填する生活よりもずっとマシだろう。私は人間としての実態や、或いは建前といったものを失いつつある。
ある作戦の後、私の持っていた電話機のみ返却せず、一定時間手元に置けと命令される。この明らかに例外的な措置は、トーゴーが私に何かを伝えようとしているのだという予測を容易に立てさせた。
「フラン、久しぶりだな」
電話の相手は、トーゴーだ。あの少女のそうした一連の動作の細やかさは驚くべきものであり、少女自身のその多忙さを考えれば、たかが一兵士。一つのユニットに過ぎないこの私に割くその労力は、私自身が提供し得る能力とは明らかに不釣り合いなもののように感じ取れた。
「君が壮健であれば幸いだ、フラン。私は君に期待しているんだよ」
「閣下」
「閣下はよせと言っている」
「では、トーゴー。あなたが私に割く労力。そうした細やかな気遣いは、明らかにオーバーコストだ。釣り合いが取れていない」
「私は、そうは思っていない」
「壮健です。心身ともに健康そのものです」
「ほう」
「と、言えば嘘になるでしょう。私は今、どこに立っているのか。それが、分かりません」
「君は頭が良いんだな。いつもそのような、世界解釈に関する問いかけをしにくる」
「世界というものを、放っておいてそのままにする……という、賢しい手段をとれないというだけのことです」
「君のスタイル、大変結構ではないか。私は君がそうしたゼンのような思考を巡らせる頭脳でもって、戦場を生き抜いてきたのだろうと考える」
「ゼン、かどうかは分かりませんね」
「では、兵士フラン・モンタギュー。私は君に『休暇』を与えよう」
「……は」
私の困惑をよそに、トーゴーは話を続ける。
「これは命令だ。かつての兵士にもあった制度で、君達には馴染みのない制度かもしれんが、これは今の君にこそ必要な措置だ」
休め。トーゴーはそう言った。
「なに、ついでだから金の手配もしておく。馬鹿馬鹿しいが、市井の人々というのはあれのために切った張ったをするらしい……君がそうした、しょうもないことで命を落とすとこちらが困る」
今の電話の相手……つまり、トーゴーと彼女の指揮する組織……彼女が言うには、
だと言うのに、トーゴーはそれを出すと言っている。言ってしまえば、兵士としての世界しか知らないのは、彼等も同じなのではないだろうか。
「いえ……それより、あなたの言う休暇。その間に、私の近辺に生じた問題を解決しろと。そのようにお考えなんですね?」
「……一ヶ月だ。その間に、考えをまとめろ」
「どうにかしろ……というわけではなく、ですか?」
「もし仮に」
もし仮に、とトーゴーは繰り返す。
「もし仮に……君が今回の件で、我々の戦線から離れると決断したとして、それを君が固く決心すると言うのなら、私達はそれを止めようとはしない、ということだ」
その言葉の裏にある、言わんとする暗示を、私は即座に理解した。
彼等の言う戦線を離れるということは、このエス・エルの秘密を握る人間を無関係者とするということであり、それが即座に私を野に放つという話に結びつくことはなく、寧ろ私と……そして彼女の生活が彼等エス・エルの監視下に置かれるのだということを、意味しているのだろう。それは逆を言えば、ある一定の線までの私と彼女の生活を保障するという意味にも捉え得るが、何であれ私は、人間としての(――今や破綻しつつある)生活を、人質に取られたということになる。
私は答えた。
「休暇。ありがたく頂戴致しましょう……その上で、結論を出します。お気遣い、感謝します」
では。そう言って私は電話を切る。電話機はいつもと同じ処置で破壊され、戦場と私とを結ぶ一つの線は一度、途切れた。
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