No.7-21
ある朝のことだった。
その日の任務は当初想定されていたものよりもハードで、標的となった人物の抵抗によって幾人かの負傷者が出た。そのうちの傷が重い者は予め司令部、つまりトーゴーの側が用意していた人員に確保されたが、軽傷者はそのまま帰宅するべし、とされた。
私もその一人だった。
幾つかの傷があり、それらは私達兵士の基準で言えば些細なものであった。もっとも、普通の人間がそうなれば、結構な損傷として扱われるべきであろうそれらの傷は、彼女と私の住むアパルトメントに近付く頃にはもう血が流れないようになっていて……こうした要素から私は、私が戦争に用いられるために作られた存在であるということを再認識した。
問題は、私が帰宅する頃には既に太陽は堂々と天に輝いていて、そうした状況から察するに、恐らく彼女ジェーン・ドゥは既に帰宅しているか否か、という頃合いだったということにあるだろう。
実際、私と彼女とが住む部屋からは既に人の気配がすることが肌身で感じ取れる。きっと彼女だろう。だが、そうじゃないかもしれない。私はそう考えながら、部屋の扉を開いた。
「……ねえ」
彼女。ジェーン・ドゥは玄関に立って、私を訝しげに見つめる。
「フラン。あなた、どこに行っていたの」
彼女は真剣だった。
私は答えた。
「ああ、ちょっとね。夜に散歩をしていたら、柄の悪い奴に絡まれたんだ」
彼女が私の言葉を、はなから信じちゃいないというのが、その表情から読み取れる。しかし私は、話を続ける。
「こういうのは久しぶりだったからね。少し手こずったよ……けれど、何とかなった」
彼女は何も言わず、ただ私の方をじっとみている。
「……もしよかったら、傷をみてくれないか。私がやるより、君がやる方がいいだろう?」
「いいよ、私の部屋にきて」
彼女はそう言ったので、私は先に部屋へ行って彼女を待った。
彼女は医療キットを持ってきた上で、私にこう告げる。
「服、脱いでよ」
彼女は手際良くキットを開き、準備を始めたので私も服を脱いで彼女の手を待つ。
いくつかの箇所を消毒し、薬品とテープを貼る。考えてみれば、彼女がこのように兵士の頃の技術を私の前で披露するのは久しぶりで、私は彼女が私と出会う以前に兵士であったことを、今更ながら、思い出させられた。
一連の施術を終えると、彼女はキットを整理整頓したのちにそれをパタンと閉じた。そして、そのまま下をみて、うつむく。
「流石の手際だね」
私は何気なしにそう言って、彼女を褒めた。しかし、彼女は下を見る。言葉も返さない。
「なあ」
私がそこまで言ったところで、彼女は突き飛ばす。壁にあたって、鈍い音がした。
彼女は、泣いていた。
彼女は私をじっと見て、泣いていた。
「なあ、ジェーン」
「ねえ。フラン……なんで? なんでなの? なんであなたは、戦うことをやめられないの?」
「戦いなんて、大げさな言い方をするなよ。ただそのへんの」
「そのへんのチンピラがさ。拳銃……ううん。拳銃はいいよ。まだ分かる。でも、爆弾なんて使うと思う?」
「何を言って」
「私を何だと思っているの? 私は元衛生兵よ。見れば分かるわ。傷の種類から、戦闘の情景が思い浮かぶの。あなたは昨日の夜、どこかの鉄火場にいて、何かした。その詳細までは分からないけれど、あなたが戦闘に参加していたということだけは……分かる」
ねえ。なんで。彼女はそう繰り返す。何度も、何度も、唱えるようにそう話す。
「私はあなたが居てさえくれればそれでいいのに、あなたはいつもどこかへ行こうとしてしまうんだわ。ねえ、なんで。もう、やめてよ……殺しの果てに、何があるって言うの?」
「ジェーン。私はここにいるよ。ここにいて、君とお話している。どこにも行ってはいない。今、私はここに」
「いいえ。いないわ。あなたはここにも、そして戦場にも居ない。あなたはきっと『浮かんで』いるんだわ。戦場でも、ここでもない場所で浮かんで、その境界線を曖昧にして、そうやって、私が捨てて……と言っている何かを、ずっと持ち続けているの。どっちとも決めないでいて、その癖両方とも持っているのよ」
「私は、私は」
「なんだっていうの?」
「私はそうやって、生きているんだよ。生きるという営為のその、最後の……けれどもそれを失えば永久に完成しないパズルのようなものの、その最後の一欠片を、手中に収めていたいだけなんだ」
「そんなもの……そんなものはね、フラン。どこにもないのよ。人が何故生きているか、なんて言うような問いかけに、みんな何も答えずに、ここでは暮らしているの。そうやって、死ぬ間際になって、やっと何かを見つける。それまでの間、人は死ぬことも生きることも考えなくていいの。それが、ここなの。戦場ではない場所。生きることと死ぬこととを考えずとも生きている、そういう場所。だから、あなたはやっぱり『浮いている』んだわ。戦場における至上命題を、この世界に持ち込んで、そうやって考え込むうちに、この世界に戦場を持ち込んでしまう……」
「ジェーン。君にとって私は、なんだ」
決まっているじゃない。彼女は言った。
「最愛の人よ」
「私にとって君とは、同じ言葉を用いることになる。君こそが、私の最愛の人だ。だが、私が私に対する形容は違う」
一拍置いて、私は言葉を繋げる。
「私は、一個の拳銃だ。私は弾丸を吐いて人を貫く。しかし、安全装置を外して、引き金を引くのは……私ではない」
「嘘よ。あなたは拳銃じゃない……勝手に、誰が引くでもないうちに、それを引いてくれる誰かの元へ行く銃は、銃とは言わないわ。あなたは、オペラで出てくる悪魔が作った銃のように、誰かの元へと駆けつけ、そしてこう唱える。『引けよ。さらば開かれん』。それがあなたのロジックなんだわ」
「開かれたとは、私には思えないよ」
「それは、あなたの自己認識が間違っているから。あなたは銃ではなく、人なの。人だから、あなたには安全装置も、引き金もついてないんだわ。だから、あなたの弾丸は永久に出てこない。人は銃弾を自ら吐き出すのではなく、その道具によって吐き出すの。引かれることもなければ、開かれることもない……」
「……君の定義は、残酷だよ」
「実際に人を殺してしまう、あなたの冷酷に比べれば、ずっとマシだわ」
そう言って、彼女は居間にいって、泣いた。私はそれに、かける言葉を見出すことができなかった。
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