No.4-18

 目が覚めた。

頭痛がする。酷い頭痛だ。頭の奥で誰かが鐘を鳴らしている。何のために?

何か良いことでもあったか。まさか!

じゃあ何か悪いことが……つまり、弔いの鐘だとでも言うのか!? それこそ、冗談じゃない!

あれは夢だ。そう、戦場での日々の、夢。暗闇に浮かび上がる眩い殺意のその記憶は遠く夢の果てに収まっている。だが彼女は『まだ』生きている。一体、誰が、彼女を殺させるというのか。

夢は記憶の整理の際に生じるものだと言う。私の脳が記憶の倉庫を整理するその時に出てきたのがその二つだ。つまり、戦場の記憶と彼女の記憶。私は脳が辿った連想ゲームの単純なコースを想像することが出来た。戦場で無限に発生する無残な死体と、彼女の今の姿。本質的に彼女達は同一のものである。つまり、未だ死んでいないが、実質として死んでいるというもの。死にゆく途上に在る者。

「うう、ううう……」

 私は自然と、それがさも当然であるかのように涙を流した。頬に水滴が伝っていく。これは涙だ。生理的には全く疑いようのないその水滴。けれども私は、私が彼女を思って涙を流すことが許せなかった。

『何処の誰か。知らない誰かならばいい。彼女は十全に不幸である。だが、他でもないお前に』

「涙を流す権利なんて、ない」

 私はそれを理解した瞬間、誰の感情でもない、破壊衝動で心を埋め尽くされた。

手始めに、目に入ったコップを壁に投げつけた。陶器製のそれは音を立てて壊れる。

次に本棚を見た。生物学と文学と哲学がないまぜになって置かれている。未だ流れ落ちる涙への例えようのない嫌悪感から、私は本棚を殴りつけた。木組みのそれはべりべりと何かが剥がれるような音と共に壊れていく。

地面に転がる本の群れ。チャールズ・ダーウィン『種の起源』が目に入る。そして同時に、私が本と一緒に並べ立ててその存在を忘れ果てていたものが姿を現す。

それは、私が軍を抜ける際にどうしてもと懇願して持ち出した、兵士用の簡易医療キットだった。書類サイズでA5程度の箱に、あらゆる場面を想定して作られたアイテムが収められている。

私は震える手でそれを開いた。中には、複数の医療器具と、小さな拳銃が収まっている。

私は反射的にその拳銃を手に取った。兵士が普段使うそれよりも小さなその拳銃は、今の私にはとてつもなく大きいもののように思えた。私はそれに銃弾が収められていることを確認し、安全装置を外した。激しい動悸と手の震えがありながら、一連の動作は驚くほど自然に執り行われた。

私は銃口を、自らの脳髄に向ける。

『人が拳銃自殺をする時、確実に死ぬにはそれを口にくわえ込まなければならないともし何処かで知っていたとしても、何故か自身のこめかみに銃口を添える。不思議なことだ。君もどうやらそうらしいな』

 今なら理解出来る。人は、自分が死ぬその瞬間まで、自己の生を諦められない。死ぬその瞬間でさえ、生きることを考える。かつて彼女は、エダは言った。

「かつての兵士……つまり、何らかの理由で戦場に行くことになった兵士が死ぬその瞬間、彼等は母や恋人の名前を口にすることがあったそうだよ」

 皮肉なことに、私が死のうとする時。つまり今私の脳裏に浮かぶのは、他の誰でもない彼女……イーデン・スタンスフィールドなのであった。

やがて手の震えが徐々に大きくなっていくと、私は拳銃を放って、医療キットの中に収められたモルヒネ(鎮静剤)入りの注射器を取り出し、腕にそれを突き立てた。

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