No.4-19

 私はあの瞬間。二つの選択肢を突きつけられたのだった。それはつまり、悪夢から覚めた悪夢じみた現実を前にして自らの生を終えることでその不条理から脱するか、或いはそのグロテスクな現実を受け入れ、私自身の持つ感傷全てに見切りをつけるか。そして私はあの時、明確に後者を選んだのだ。

次に行われた実験は『火炎放射実験』であった。兵士が最前線で重度の火傷を負った際に、最前線で行われ得る治療によってどの程度生体機能の回復が見込めるのかを図るためのものである。

「この実験の意図をお前は理解出来るか?」

 薄笑いの男の質問に対し、私は答える。

『ええ。つまり、最前線において同様の傷を負った兵士に対し、どの程度の負傷であれば治療の価値があるのかどうかを図るためのものでしょう。もし仮に、その兵士が今後所有者にもたらし得る利益を、治療にかかる費用の方が上回るようであれば、助かる見込みがあったとしても、その兵士を治療しないということが想定出来る』

「百点満点だ……だが、完璧過ぎる。今までのものも含めた全ての実験には意味がある、ということを理解出来ていれば問題はないんだ。つまり……」

「感情の整理がつきすぎている。あなたはそう言いたいんでしょう」

「分かりやすく言えば、そうだ……お前の経歴を考えれば、そのような解答を即座に導き出すということに抵抗があるはずなんだ」

「……例えば、その仕事の終わりにふと思い立って海岸へ出向き、そこで夕陽を見て感傷に浸るようなのは許されない。そんな風なことを、あなたは言わなかったかしら?」

「ああ、言ったね。けれども……」

『けれども? いえ。確かにこの言い回しには些か文学的に過ぎるきらいはあるけれども、間違えたことは何一つ言っていないはず。遅かれ早かれそうした開き直りの一つもしないことには、この仕事に就き続けることは出来ない。そうじゃないの?』

「……そうだな。そうだ。俺が口を挟むことではなかったな。すまない」

「いいえ。それよりも……実験を、始めましょう」

 そうして、実験は開始される。

いつものように、実験体は部屋へと運ばれてくる。普段と違うのは、標準的な兵士と同じように軍服を着させられていることであろう。しかし、軍服でありながら武装もなく、何かを背負っているでもなく、ただ軍服を着て放り出されているその様子は、今まで私が目にした彼女のどの姿よりも見すぼらしいもののように思えた。

実験体が実験室に入れられて数分もしないうちに、彼女に炎が浴びせつけられた。

またたく間に火だるまになる実験体は炎を身にまとったままその場に倒れ込む。そのまま放置すれば彼女は死亡するであろうが、『我々は』それをまだ許していない。鎮火の後にすぐさま彼女は集中的な治療を行う場所まで運び込まれる。

治療が終わり、その報告書が上がってくるまでの間、私は薄笑いの男と一緒にいた。

男は何か気まずそうな表情で、コーヒーを飲まないかと聞いてきたので、私は了承した。男は二人分のインスタントコーヒーを作り、そのうち片方を私に手渡す。

コーヒーを啜りながら私は、過去に行われた実験の記録に目を通す。

第一、衝突実験。第二、細菌感染実験。今に至るまでに行えた実験がこの二つだけであるということから考えても、彼女のような『廃棄品』を使用する実験を行う機会が、どれだけこの企業にとって有益かつ貴重なものであるかを伺い知ることができる。こうした人体実験の結果とそれに纏わる技術革新の成果は戦場だけではなく、民間においても流用されているのであろう。

つまり、人々の希望によってこの世界に産み落とされる彼女らは、一般の人々に代わって戦場に出て戦った末に、死ぬその瞬間まで搾取され、一般の人々に奉仕させられるのだというグロテスクな真実がそこに浮かび上がる。

やがて、先程行われた実験の結果が報告書の形式で私達の元に届く。軍服には難燃性素材が使用されているが、熱傷を完全に防げるものではないため、広範囲に火傷があり、また熱気を吸い込んだことによる呼吸器の損傷が見られる、と記載されている。

実験結果の記された書類に私は承認のサインをする。男も同じようにして、報告書をファイルにとじる。そうした後に私は部屋を出て、彼女の元へと向かう。

彼女は全身を包帯に覆われた状態で寝させられていた。元々、いくつか欠けていた指はさらに数を減らし、今回の実験で左目が使えなくなっている。

「イレ……ヌ……?」

 彼女の喉は熱気に焼かれ、発声もままならない状態になっている。それでも彼女は私の名前を口にする。

「無理に、話さないで下さい」

 私が言うと、彼女は右目を瞑り、ひゅうひゅうと息をしながら、言葉を紡ぐ。

「髪……」

 彼女はそう言った。私にはその意味が理解出来た。

戦場では伸ばすことを許されなかった髪の毛。彼女がここに連れてこられて初めて見出した希望の象徴は、少しも残されていない。軍用ヘルメットを被っていても、髪の毛が伸びていれば火がつく。

そうなった彼女に向けて私は、判決を下す審判のように無慈悲に、けれども深い慈悲をも同時に含ませながら……彼女に、言葉を伝えた。

「エダ……次で最後です。もう、頑張る必要は、ないんです」

 彼女は答えなかった。

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