No.3-3

 後方へ下げられてからというもの、私は不愉快な思いばかりをしたが、その中でも一つだけ、凍りついた私の心を溶かしてくれるような、温かみのある喜ばしい出来事があった。

 私がいざという時(例えば、ゲリラ組織に唐突に攻撃を受けた場合等)のために基地内の構造を把握しようと探索をしていた時のことだった。

 基地内の端。もっとも外に近く、それでいて人気のない場所で、後ろから何かが迫る音がしたので、私は腰の銃に手を伸ばし、すぐさま振り向いた。

「フランさん!」

 フラン・モンテギュー。それが私の名前だ。もっともこれは戦場において識別番号ぐらいの意味しか持っていない。ただ数字だと覚えにくいので、それぞれの兵士の人種的特徴に合致するような名前を生産時につけられるというだけだ。

 現に、この基地の男達は皆私のことを物珍しさ(それに加えて、性的な好奇心)から私のことを人形とか、そういう風に呼びつけることの方が多い。

 しかし、その声の相手はあくまで私のことを名前で呼んだのだ。戦場における識別のために使用される、その名前を。

「お前は誰だ」

 私は相手の顔も見ずに、そう言い放った。

「私です。私ですよ! 覚えていませんか?」

 相手は名乗りもせずにそう口にするので、私はその顔をじっと見つめて、それが一体何者なのかを考えた。

 相手は、女性だった。東洋人風の黄色みがかったその肌に、ぱさついた黒髪。茶色くて、吸い込まれそうな程綺麗な瞳……私は確かに、その姿に見覚えがあった。

「お前、ミオか?」

「そうです! ミオです。ミオ・アズマです!」

 彼女、ミオ・アズマと私は、かつて兵学校で同期だった。大体の兵が過去の、まだ兵士が置き換えられていなかった頃の兵士よりもずっと優秀な成績を収めるのに対して、彼女は私達どころか、過去の兵士よりもずっと劣悪な成績ばかり叩き出していたので、常に教官にしごかれていた。

 そんな彼女ではあったが、兵学校の中では人気があって、配給の中にある甘い物や訓練先で拾った綺麗な石など、しょうもないものをプレゼントされていた。彼女はそんな風なくだらないものであろうとなんであろうと、受け取るたびにぴょんぴょんと跳ねて喜ぶものだから、皆こぞって彼女に物を与えていた。そのことが教官にバレて、全員で腕立て伏せを千回やらされたのも、今となっては良い思い出だ。

 兵学校に居た(私を含む)皆は何故彼女をそこまで可愛がっていたのか。それは勿論彼女がどこか小動物的な可愛らしさを持っているというのもあったが、何よりも彼女は『戦場に出ればまず生き残れないだろう』と思われていたからだろう。

 彼女は、銃を撃てば全てが外れ、体格が小さいせいで体術では誰にも勝てず、挙句射撃直後の熱くなった銃身を触って火傷してしまうような徹底した無能力者っぷりを誇っていて、兵学校卒業寸前にはある程度マシになっていたものの、それでも他の兵と比べればやはり、彼女は数段見劣りする兵士であった。

 しかし、現に彼女は今私の目の前に居て、こうして生きている。そして私の知る限り、同期の他の兵士は皆戦死か、或いは行方不明になっていた。

「よくお前が無事でいられたな。戦場に出れば一番初めに死ぬだろうと皆思っていたよ」

 私が素直にそう告白すると、彼女は笑う。

「そうですよね。だって、私だってそう思いますもん。私は多分運が良かったんだろうなって……他の皆はどうなりましたか?」

「私も全員知るわけじゃないけどな……アリシアのことは、覚えているか?」

「覚えています。あの色黒の子ですよね」

「あいつはアルタ平原で死んだよ。それにエミリアは覚えているかな」

「覚えています。仲良しでした」

「あいつはこの戦争で行方不明だ。きっと帰ってはこないだろう。

 私が知っているのはこれぐらいだ。途中で部隊の再編成が何度もあったから、あの頃の連中はもう散り散りになってしまった。でもまさか、ここで旧友に出会えるとはな」

「はい! 私もそう思います。私はもう、あの時の人達は皆死んでしまったかと、そう思っていました」

「でも、私達はここで出会うことが出来たんだ。その幸運を祝して今夜にでも酒か何か飲まないか? 丁度手持ちに良いウィスキーがあるんだよ」

 私はそう言って彼女の顔を見たが、彼女は表情を曇らせ、ほそぼそと拒絶の言葉を口にする。

「……ごめんなさい。私、夜はずっとお仕事をしてるんです。ですから、本当に、その、私も本当はそうしたいんですけれど」

 彼女はまるで私に怯えるかのような口ぶりでそう言うので、私は出来るだけ軽く、何もなかったかのように返答をしようとする。

「いや、いいんだ。唐突に誘ってしまってすまない……でも、ここに居るのなら、またいつか話す機会もあるだろう。その時には、ゆっくりと昔の話と、今の話をしようじゃないか」

 すると彼女は、昔に見た時と同じような、屈託のない笑顔を浮かべてくれた。

「はい、そうしましょう! 色んなこと、一杯お話したいです!」

 私はその日の探索を終え、一人で少し酒を呷ろうかと考え始めていた。長く戦場に居たというのに、ちょっと昔のことを思い出しただけで随分とセンチメンタルな気分になってしまった。

 私はその場で踵を返し、立ち去ろうとした。すると、彼女は私の背中に向かって、こう語りかける。

「絶対、絶対お話しましょうね!」

「勿論!」

 そう言葉を返しながら、内心では彼女に対して何か違和感のようなものを感じ取っていた。彼女そのものは昔と変わらず天真爛漫で、可憐であるというのに、その表情には、その言動には、何か翳のようなものがあるように思えてならなかったのだ。

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