No.2-2

 私たちは、暗い独房の中に居た。三人とも衣服を剥ぎ取られ、全裸のまま、何も言わずにお互いの顔を見合っていた。

二人とも、酷い顔をしていた。顔のあらゆる部分が腫れ、青く鬱血していて、口の端や鼻の穴からは血が流れ出ていた。そのせいで、瞬きをするだけでも顔に痛みが走るような有様だった。

独房の中は、原始的な落下式便所と、鉄格子のはめられた小さな窓以外には何もなく、風も通らないため、常に湿気で満ちている。その上壁は古臭いコンクリート製のものであったため、至る所にカビや苔が生えていて、息を吸い込むたびに寿命がすり減るような感じがした。

「……全く、しくじったわね」

 心底うんざりした様子で、大尉はそう言った。

私達は実のところああいう目にあって今実際にこんな酷い場所に放り込まれて、それでようやく、自分達が大きな失敗をしたことに気が付いたのだった。

「あんたたち、今まで捕虜になったことはある?」

 大尉の言葉を聞いて、私は首を左右に振る。ナージャも同じだった。

「本来、捕虜ってさ。戦争中はわりと安全なのよ。後々捕虜交換の材料に使えるし、そうすれば上の方も資産を取り戻せるわけでしょ。余程重要な情報を握ってるとかでもなければ、尋問されることもない。戦争するよりよっぽど楽なんだ」

 ナージャは口を開く。

「じゃ、この現状はなんです?」

「上が私達を助けようとしない以上、取っておく意味もあんまりないってこと。行先は処刑台ぐらいしかないと思うわよ」

 大尉の言葉に、ナージャが返答する。

「捕虜……捕虜ね。大尉、今度の戦争の妙な部分。気付いてはいない?」

「妙な部分……? いつも通りの、泥水を啜るような、無味乾燥な戦争。それ以上でもそれ以下でもないんじゃないかしら」

「いえ。確かに、戦場だけを見ればそうかもしれない。ただ、何て言うか……殺意が、今までとまるで違うような、そんな気がするの」

 ナージャのその言葉に、私は違和感を覚えた。

戦場には常に殺意が満ち満ちていて、それ以外の何かが介在する余地など、何処にもないように思えたからだ。私達は相手を殺さなきゃいけないし、相手は私達を殺さなきゃいけない。それ以外に何があると言うのだろうか。

「ナージャ。戦場に殺意以外の何の感情があるの?」

「寧ろ、本当の意味で殺意を持って戦争してる兵士の方が余程珍しいのよ。実際のところね……例えば貴方、面と向かって敵を殺したことはある?」

「それは……」

 冷静になって考えてみれば、実際に面と向かって敵に銃を撃ったことは、私にはない。

私が首を横に振ると、今度は大尉に向かって同じ質問をする。

「私? 私は、何回かあるわ。正確な数は分かんないけどね。グレイビーチ、アルタ平原……他にも色々」

「実際のところ、私も敵の顔なんてロクに見たことがないの。せいぜい見れたとしても、死体ぐらいね。

 つまり、そういうことなの。私達兵士は相手を殺すと言っても、面と向かってやりあうことは物凄く少ない。自分の放った銃弾が相手を何人殺したか、なんて考えやしないし、考えたって分からない。だから、人を殺したことの罪悪感に苛まれることもないし、本気で相手を殺そうと思って銃を撃つことも、そう多くない」

 ナージャは滔々と、自らの考えを述べていく。大尉は目を閉じて座り込んだままで、その話を聞いているのか、それとも寝ているのか、一見しただけでは理解できなかった。

「だからね。私達兵士はお互い戦場で銃を撃ち合いながら、互いを本気で殺そうとは思ってないの。当たればいいな、でしかないのよ。勿論、本気で人殺しをしてる奴も居るし、狙撃手のように相手の顔を見なきゃいけないような不幸な連中も居ることには居るけどね」

 話が長くなっちゃったな、と言ってナージャは笑った。その唇の端に滲む血が痛々しかった。

「でも、今回の連中はちょっと違う気がしたの。何て言うか、皆が皆私達を心の底から憎んでいて、何とかして殺してやろうと。それも、出来る限り惨たらしく、苦痛の伴う方法で殺してやろうというような、そんな意志を感じたの」

「それは一体、どんな場面で?」

「あいつら、捕虜をとってないのよ。降伏した兵士たちを皆、殺してるんじゃないかしら」

 そこまで言ったところで、牢の奥から扉の開く音がした。湿った施設の中に響く、二つの足音。

「食事の配給かしら?」

 ナージャはそう言って、鉄格子の方を見張る。

その足音は徐々にこちらへ近付いて来て、やがて二人の兵士が、牢屋の前で足を止める。一人の兵士が盆を持ち、もう一人が長い警棒のようなものを手に持っていた。

 警棒を持った方が短く言葉を発した後に、鉄格子の底にある小さな開閉口から盆を差し入れる。それだけして、彼らは帰っていった。

 盆の上には茶色いペースト状のものと、薄く引き伸ばされたパンのようなものが載せられている。彼らの国民食であろうか。

 ナージャは兵士特有の軽口で、目の前にある食事を罵倒してみせた。

「あいつらは吐瀉物を食べる少食な生き物なのね」

 その言葉に、大尉が反応した。

「しかもトイレットペーパー付き」

 その下品なジョークで、私達は笑った。私達の間には、逆らい難い絶望がたゆたっていた。

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