No.1 イーデン・スタンスフィールド、アリシア・オルディアレス
No.1-1
西部戦線異状なし、報告すべき件なし。その小説は、この一節を以って終結する。今の仕事をやらされるようになる前までは、様々な詩や小説を読んだが、その数も減りに減って今残っているのはこの一冊だけだ。
今夜の寝床は海に程近い丘近くの平原に建てられた軍用テント。容易に畳むことの出来る固くて臭い簡易ベッド。全てはいつも通り。
テント一つにつき十人の兵士が眠っている。私も勿論その一人だ。今まで何度か死線を潜り抜けてきた。もはや、明日の無事を神に祈ることはない。既に『処女は散って』しまった。例え私が死んだとしても、無味乾燥な報告書の損失のただ一つにしかなり得ない。例えば私が生き残ったとしたとしても、世界には何の変化も生まれない。次の戦場、次の次の戦場が無限に迫り来るだけだ。
隣のベッドには、明日に迫る初の戦場を前にして、震え怯える新兵が居た。私は、シーツの裾をほんの少しだけ引っ張り、新兵に向かって小さな声で呼びかける。
「外、行かない?」
新兵は無言で頷いた。
私は、音を立てないようにベッドから降りて靴を履き、テントの外に出た。同じように、新兵も何処か腰の引けた様子で周りを伺うようにしてテントから出てくる。
「あっちに行こうよ。海がよく見えるから」
「で、でも。少尉に見つかったりしたら」
「外に出た時点でもう手遅れだよ。それとも、またベッドに戻って震えてる?」
私が言うと、新兵はぶるっと身体を震わせ、顔を横に振った。
「じゃあ行こうか。少尉に見つかったら、私が何とかするよ」
テントの設置されている場所から少し歩くと、一面に海を望む見晴らしの良い丘の頂点に辿り着く。普段から訓練や演習の合間を縫って、たまに一人でこの場所に来ていた。
空には満月が浮かび、海はその月の光を跳ね返し、その波間に真っ白な月の輪郭を浮かび上がらせていた。浜近くの家々も光に照らされ、まるで戦争と関係などないかのように、静かに佇んでいる。
「ねえ、あなた。名前は何て言うの?」
「アリシア。アリシア・オルディアレスです」
私達の名前は、製造時に人種的特徴と合致した名前がランダムでつけられる。彼女の名前はスペイン風だ。確かに、意識して見てみると、彼女の浅黒い肌と癖のない綺麗な黒髪は、それらしく見えないこともない。
「じゃあそうだな。私は……」
「イーデン・スタンスフィールド上等兵」
新兵は、私が名前を名乗る前にそう答えた。
「そうか。君からすれば私は先輩だものね。そりゃ、覚えてるか」
「はい。先輩の名前を覚えないと殴られるってみんな言ってましたから」
「それはいい心掛けだね。でも私はきっと、君の名前を明日には忘れているよ」
「何故ですか?」
「名前を覚えていると、死んだ時に気分が悪いんだ」
「やめてください!」
新兵は、その目に少しの涙を湛えながら叫ぶ。
「こら。あまり大きな声を出すな。君の言ってた怖い怖い少尉殿に見つかってしまうよ」
「……すいません」
「そうだね……辛気臭い話をしてたら、外に居る意味もないから。ちょっと昔話でもしようか」
「昔話……?」
「そう。昔話。私達がどうして生まれ、どうして今ここで兵士をやらされているかについて……」
「なんで、イーデンさんは」
「エダでいいよ。呼びづらいだろうからね……あと、なんで知ってるかについては、秘密かな……。ごめん、ちょっと意地悪だったね。でもここに長く居ると自然に知るようになる。あなたが二等兵を卒業する頃には分かる話よ」
ほんの少しの間をあけ、すうと小さく深呼吸した後に、私はまた言葉を紡ぐ。
「事の発端は、ある時ヒトのクローンが何の遺伝子的問題の発生しないよう生産可能になったという科学的大事件よ。勿論、倫理的な問題が立ち塞がりはしたけど、最終的には実利のほうが勝った。世界の先進国は皆少子化に苦しんでいたし、安価な労働力はどこも不足していた。ねえ、アリシア。人の手がもっとも必要になる作業って、どんな作業だと思う?」
アリシアは少し考える様子を見せつつ、ぼそりとつぶやくように言葉を返す。
「力仕事、ですか?」
「はずれ。正解はね、ちょっとだけ頭は使うけどある一定以上は頭を使わなくて済む、そんな作業が一番重要なの。その時代、人間は力も計算能力も機械には勝てなくなっていたけど、それでもさっき言ったような作業だけは人の手でやらざるを得なかったのよね。設計書通りにプログラミングを行うとか、工場で魚の骨を取るとか、そういうの。彼らは労働法も適用されず、人権も無視され、死ぬまで働かされ続けた」
アリシアは、自らも似たような立場であるにも関わらず、悲しむような表情を私に見せた。
「その時代にも終わりがきた。人権活動家たちがこぞって反対したの。それだけじゃ世間は動かないけれど、色々な意見を持つ集団がそれをきっかけに手を組んで、クローン人間の使役には多大な税金が課されるような法律が組まれ、世界中の国家に適用された。これで、クローン人間は居なくなったと思う?」
「そう、じゃないんですか?」
その回答を聞いて、私は小さく笑った。
「はは。もしそうだったら私達は今ここに居ないよ。実際はね、大金持ち達だけがほんの少しのクローン人間を保有したの」
「何でですか? 沢山お金がかかるなら、持つ理由はなさそうですけれど」
「沢山お金を払ってでも持ちたかったのよ、彼らは……自分で好きに乱暴することの出来る都合の良い相手がね。もう分かるでしょ?」
それを聞いて、アリシアは私から目をそらしたが、気にすることなく私は言葉を続けた。
「その中で、とある博士がクローン人間を使うのにもっとも適した仕事場を思いついたの。誰もやりたがらず、危険で、でも絶対必要で、機械では代替し切れない……多分、もう分かるでしょ。戦争よ。それも最前線で戦う、そういう役割」
アリシアは無言で、私の顔を見つめていた。
「当時の時点でクローン技術が女性に特化されていた……というより、男性より女性の方が研究が進んでいた。だから、このクローン兵士も女性を前提として作られた。元々都合が良かったのよ。生理、妊娠の機能も自由に出来たし、その体格のコントロールも育成手法も、その精神構造すらも研究され尽くしていた。後はそれらを全て兵士に適合するよう作るだけ……こうして、私達は生まれたの」
「……私達、人を殺すために生まれてきたんですね。虚しいです」
何を今更、とも思ったが、それは言わないでおいた。
「虚しいかどうかは君が自由に決められるけど、楽しんでる奴だって居るし、崇高な義務だと思っている奴も居る。言葉には気をつけたほうがいいよ……もっとも、私はどちらでも構わないんだけど」
「すっきりしてますね……羨ましいなあ」
「君もいずれ、生きることの意味とか、そういうのを考えるようになるさ……そうそう。その博士、最後にどうなったと思う?」
「え? そうですね。表彰されたとか、大金持ちになったとか?」
「彼は、自らがサンプルで作り出した一人目の兵士と一緒に逃げ出したの。発見されたのは何年か経ってから。地位も何もかも投げ捨てて、誰も知らないようなど田舎で暮らしてた。勿論、クローン人間を保有していたわけだから、彼は多大な税金を国に払う必要があった。彼は、その税金を真面目に払おうとしていたし、事実彼の能力なら払いきれる……けれど、それでスキャンダルになったら困ると考えて、彼は国際法廷に連れて行かれ、処刑されたの。罪状は、なんだと思う?」
「……分かりません」
「『人道に対する罪』よ。笑っちゃうわよね。どの口が言うんだか」
海岸に打ち寄せる波の音が、私達にまで届く。
「ごめんね。結局、暗い話になっちゃって。それでも気は紛れた?」
「はい……最低でも、ベッドの上に居るよりは、ずっと」
私は彼女の言葉を聞いて、随分上手い返し方をするなと、少し感心した。
「さ、良い子はもう寝る時間だよ。兵舎に戻りな。『狼』がすぐそこで、真っ赤な口をあけて待ち伏せしているからね」
彼女は私の言葉を聞くと、顔を真っ青にして、兵舎へと駈け出した。その姿を見届けた後、私は『狼』に向かって語りかける。
「いい加減出てきなよ! 居るのは分かってるんだからさ!」
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