Gift

都茉莉

Gift

 一面に真白な雪が敷き詰められている。

 夕暮れ。雪はもう止んでいたが寒さは続いている。そんななか、外套も纏わずに佇む男がいた。

 夕陽に焼かれた雪は赤く染まっている。男自身も夕陽に焼かれて赤い。男が屈むと、さらさらと黒髪が揺れた。髪が顔にかかるのも気にせずに赤い雪に手を伸ばす。それから、雪を掬い上げて大事そうに抱いた。


 この光景を、少女は決して忘れない。




 セシリアは小さく息を吐いた。心臓がいつもより早いのが自分でもわかる。

 主に呼び出された理由に心当たりはなく、いったい何が目的なのかてんで検討もつかない。

 セシリアがアーノルド家に仕えるようになってから、二ヶ月がたった。仕事には慣れたし、同僚とも上手くやっている。今までに取り返しのつかないような失敗をした記憶はないし、他意がないわけではないが表に出すようなヘマはしていないはずだ。

 何か気付かないうちに気に障ることをしてしまったのだろうか。

 一年の短期契約とはいえ、早々に主との関係を拗らせることはしたくない。どうにか対策を立てようにも、原因がわからないのではどうにもならない。完全にお手上げだ。

 もう一度丁寧に身だしなみを確認してから姿勢を正す。深呼吸をして、表情を引き締める。意を決して、品のいい扉を三度叩いた。

 入室許可の声を確認してから静かに入室し頭を下げる。


「セシリア・フィー、ただいま参りました」

「うん、楽にしていいよ」


 頭を上げると、この家の若き主、ノエル・アーノルドが悠然と微笑んでいるのが見えた。こんなに近い距離で顔を合わせるのは初めてだ。

 艶やかな黒髪、切れ長の目、すっと通った鼻筋……彼を構成する全てが、その表情までが整っていて、いっそ作り物めいている。表情から機嫌がうかがえるほど彼をよく知っているわけではないが、不機嫌は浮かんでいないように感じた。


「君にあげたいものがあるんだ」

「私に、ですか?」


 脳裏に同僚との他愛ない話が過ぎった。

 ノエルは定期的に「お気に入り」を作るらしい。期間はまちまちで、一年続いた時もあれば三日で終わった時もある。共通しているのは、女が姿を消していること。失恋で心を病んで宿下がりしたなどと噂されているが、真偽は定かではない。

 急死した姉を持つ身としては、最悪の想像が浮かんで仕方がない。まさかとは思いつつも、表情が引きつりそうになる。

 そんなことお構いなしにノエルはそれを差し出した。


「セシリア、君にはこれを持っていてほしいな。もちろん、肌身離さずね」

「剣……ですか?」


 懐に隠し持てる程度の大きさで、柄や鞘に不釣合いな装飾が施された短剣だった。断ってから抜いてみると、刀身は曇りなく輝いている。こんななりでも、きっと実用なのだろう。


「護身用の短剣だよ。綺麗な装飾を見てたら君の顔が浮かんでね」


 思わず買ってしまったなどと、なんでもないことのようにサラリと吐いた。計算尽くのタラシは全くもって心臓に悪い。

 動揺していると悟られるのは癪なので顔が動かないように意識を注ぐ。お礼を言って受け取った短剣は何故か重く感じられた。



 その夜、灯りもつけずに貰った短剣を眺めていた。鞘から出した剣は、血の味を知らないはずなのにセシリアを妖しく魅了する。

 ノエルの元から戻ってすぐ、同室の者に呼び止められた。呼び出しの内容を執念く尋ねられたので、渋々贈り物を貰ったことを話すと、やっぱりと頷いていた。納得のいかない表情をしていたのだろうか、彼女は聞いてもいないのに理由を話し出した。


「ノエル様のお気に入りは、皆外見が似てるのよ。特にその、栗色の猫っ毛は全員に当てはまるわ。誰かの影を追ってるんじゃないかって、専らの噂」


 こんな噂が出回っているというのに、多くの女性たちがもしかしたらと期待して、敗れていった。そして何人も見送ってきたという。


「決して本気になったらダメよ。絆されたところでバクリ、なんだから」


 あまりに真剣な表情で忠告するので、セシリアもつられて神妙に頷いた。

 それから、やけに明るい口調で贈り物の内容を探ってきた。どうもノエルは人によってあげるものが違うらしい。だからこそ、期待してしまう者が多発するのだ。

 短剣だと告げると、彼女は目を見張った。話をうかがうに、ほとんどが装身具で他でもカトラリーがせいぜい。短剣なんて異例中の異例だという。特別という文字が脳裏を掠めてドキリとした。

 他の人とは違う短剣なんて物騒なものを贈られたのは何故だろうか。主は何を考えているのだろうか。内面を見透かされているのではと疑心暗鬼に陥り、身動きができなくなりそうだ。

 指先でそっと刃をなぞると小さい痛みに続いて血が浮かんできた。ゆっくり口に含み、舌先で舐めとる。じわりと広がる鉄の錆びたような味の奥で仄かな甘みを感じた。



 多くの人で賑わう町をノエルと歩くのにもようやく慣れてきた。アーノルド家が代表するように、この辺りは有数の商業都市だ。甘味屋、雑貨屋、劇場……、大抵のものはここに揃っている。ないのは城くらいだ。ただ、豪商が多く住居を構えているので豪邸は建ち並んでいる。

 ノエルはよくお気に入りを連れ出していたようで、甘味屋やら雑貨屋やらの主人に励ましと少しの哀れみを貰ったのは記憶に新しい。

 だから、こんなことが起こることは想定内だったのだ。

 連れて来られた甘味屋の女主人は、結構なお年だった。彼女はノエルの隣に立つセシリアを見て目を細めた。


「ノエル様がアリシア様を連れてくるのは久しぶりだねぇ。元気にしてたかい?」


 セシリアはピシリと固まった。過去の誰かと重ねられることは想定内。外見が似ているというのなら、なおさら。

 でも、アリシアという名前はいただけない。姉と同じ名前なのはいただけなかった。

 ノエルの否定する声が遠くに聞こえる。間に見えない壁でもあるかのようだ。握りしめた拳が白い。


「ーーア。ーーリア。セシリア」


 はっと顔を上げるとノエルの顔が息のかかりそうなほど近くにある。反射的に飛びのいて、すぐにやってしまったと思った。


「……申し訳ありません、大丈夫です」


 取り繕った笑顔はぎこちないし、声は僅かに震えている。動揺しているのが丸わかりだ。


「不快な思いをさせてしまってごめんね。どこか静かなところへ行こうか」


 ノエルは気遣わしげに腕をとって、どこかへ進み出した。


 辿り着いたのは、小さな丘だった。町の中心地からは少し距離があるが、ちょうどノエルの部屋から見える位置だ。


「ここってーー」

「アリシアの話をしようと思う。聞いてくれるかい?」


 セシリアの言葉を遮ったノエルは見たことがないくらい真剣だ。セシリアは黙って頷いた。


「アリシアは最初の恋人だったんだ。十年前の雪の日、ここでいなくなった」

「その……アリシア様って、ローランド家のご令嬢じゃあ……!?」

「うん。そうだよ」


 ノエルの視線は空を彷徨いセシリアに注がれることはない。

 アリシア・ローランドの殺害事件はこの辺りで知らない人はいない。本人の知名度もさることながら、事件が滅多に降らない雪の日だったことも大きい。そのうえ、アリシアが亡くなったあと、後を追うように家が崩れていったことが気味悪さを助長させていた。


「といっても、あの時にはすでに振られちゃってたんだけどね」


 ノエルは苦笑したが、セシリアは姉を失ったときのことが思い出されて笑えなかった。心を占める人を失う悲しみを知っているからこそ、ノエルが理解できない。


「あとひと月で、ちょうど十年なんだ。もう吹っ切ったよ」

「あなたは……!」


 思わず詰め寄ったが、言いたいことはあるのに言葉にならない。苛烈な感情が腹の底で渦巻いて、今にもせり上がってきそうで、結局下から睨めることしかできない。

 ノエルは目尻を下げてセシリアの頭を撫でた。


「君がそんな顔をする必要はないよ、セシリア。それとも、慰めてくれるのかい?」

「冗談でも、そういうことはおっしゃらないでください」


 思っていたよりも固い声が出て口元に手をやる。

 バレてしまっただろうか。この身に渦巻く感情が、恋心なんて甘いものではなく、嫉妬なんて可愛いものではなく、執着なんてぬるいものではないことが。

 恐る恐る視線を移すと、ノエルは変わらない笑みを浮かべていた。


「冗談じゃないから安心していいよ」


 ちっとも安心できない彼の言葉には閉口するしかなかった。



 ひと月。アリシアの命日は奇しくもあの日と同じ雪になった。あの日と同じ情景は、セシリアの背を押すのに十分だった。

 いつものように用意したポットに無味無臭の白い粉を加える。この日のために用意していたとっておき。丁寧に溶かしてから、何食わぬ顔でノエルの元へ運んでいった。


「雪、降りましたね」

「ああ、十年ぶりだ」


 件の紅茶が注がれたカップに口をつけるのを確認して肩の荷が下りた心地がした。十年間、セシリアを縛りつけていた鎖が解けていくよう。


「あの日と同じですね。アリシア・ローランドが、亡くなった日と」


 ノエルは何も言わない。そろそろかと顔を見ると、楽しそうに笑っていた。ギョッとして思わず後退る。


「君が切り出すのをずっと待っていたよ、セシリア。セシリア・ローランド」

「どうして!?」

「私が何も知らないで君を雇ったとでも思っていたのかい?」


 セシリアは歯噛みした。賢くて、性格が悪くて、演技派のこの男が、何も知らないわけがなかったのだ。どうして思い至らなかったのだろう。一度養子になって姓が変わったくらいじゃ、この男の目は誤魔化せないと。だけど、もう遅い。


「その紅茶には毒が入れてあるの。即死することはないけど、致死毒よ」

「うん、それで?」

「それで、って!」


 話が通じなくて苛立つ。物に当たりたくなるのをどうにか堪える。一向に崩れる気配のないノエルの笑顔が腹立たしい。


「だから言ったじゃない。アリシアの命日で、しかも雪が降っている今日、君が動くと予想していたって。それなら対策しておくのが当然だろう?」


 解毒剤くらい飲んでおくに決まっている。楽しそうな笑みに変わりはないが、嘲笑された気がしてならない。セシリアはもう限界だった。


「命日命日命日って! あなたが姉様を殺したんじゃない!」


 ノエルはあっさりと肯定して、悲しげに目を伏せる。


「仕方がなかったんだ。アリシアが離れて行くから、仕方がなかったんだ」


 誰か他の人の物になるくらいなら、いっそこの手で殺してしまおう。そうすれば、彼女は永遠になる。


「彼女は私のものだ。誰にも渡したりしない」

「狂ってるわ」


 セシリアは嫌そうに吐き捨てた。そんなセシリアを見て、ノエルはまた楽しそうに笑う。


「知ってるよ、そんなことくらい」


 セシリアの腕を引いて身体を抱え込む。抵抗するが力の差がありすぎてびくともしない。作り物めいた顔がすぐ近くにあって、嫌悪で眉を顰めた。


「君のことを気に入っているというのは嘘じゃない。もちろん、アリシアに似てるからじゃないよ。どんな感情であれ、真っ直ぐ向けられたら嬉しいからね」

「純粋な殺意でも?」

「うん」


 何か状況を打開するものはないだろうか。辺りを見渡して、相手を探って、最後に自分に戻ってきたとき、短剣の存在を思い出した。ノエルに貰ったあの短剣だ。言いつけ通りずっと持っていた。

 思わず笑みがこぼれる。訝しがったノエルの力が一瞬緩んだ。その隙に短剣を手に取る。

 精一杯の力を込めて、目指すは左胸ーー心臓だ。あと少しで剣先が肉に食い込むその時、腕を掴まれ止められた。殺意を隠しもせず睨みつける。


「残念だよ。君も離れていくんだね」

「殺すために、近づいただけよ」


 相当危ない状況ということはよく理解している。短剣は取り上げられて、首にはノエルの手が回っている。息が苦しくて、視界が朦朧とする。そして、ついに意識が途切れた。

 ノエルは力なく崩れ落ちたセシリアを抱き上げ、首筋にキスをひとつ落とした。


 セシリアは姿を消した。他の幾人ものお気に入りと同じように。


「あーた、またいなくなっちゃった。せっかく忠告してあげたのに」

 両の手では数えきれないお気に入りを見送ってきた女の呟きは、闇に溶けて消えていった。

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Gift 都茉莉 @miyana

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