4-1話 アーリアンとアルカディア

 対峙するアーリアンとアルカディア。

 アルカディアは予期せぬ闖入者である相手のことを即座に観察し、首から提げた三本のロザリオを見出した。教会の者であるようだった。即ち敵だ。

 これが彼女の領地である東で彼を見かけたのであれば、その場で邪眼を掛けてじっくりといたぶり殺すのが常だったが。

 いま、アルカディアは敵地の真ん中にいて。ここから一刻も早く逃げなくてはならないのだった。焦燥が顔に滲む。前に進んでも、後ろに下がっても、敵。

 しかし、一方のアーリアンは。

「どうしたの、。なぜレナの城から?」

 たどたどしくもそう尋ねたのだった。

「彼女がこんな小さな娘を子飼いにしているなんて、初めて聴いたな……。痛ましいその顔の傷……まさか、蒼血啜りにやられたの?」

 とっさに首を振ったアルカディアだったが、その間に状況を整理する。そして気付く。


 アルカディアの顔を知っている者は、この世にレナとイロナしか存在しない。


 つまりこれは脱出の好機だ。アルカディアはこの少年の無知に感謝した。アルカディアが持つ銀髪赤眼を見る者が見れば、彼女が魔性の者であることは一目で分かる。そうなれば教会の秘儀で消されて終わりだった。初めて遭遇したのが修道士見習いであったこと、彼が何の疑いもなくアルカディアを人間と信じたこと。全てがまるで天恵のように感じられ、アルカディアは天を仰ぎ、初めて居もしない神様に感謝した。

「ああ、ありがとう。あなたが来てくれて助かったわ」

「蒼血啜り、こんな幼気な娘までその牙に掛けていようとは。師父の大義も、あながち間違いではなかったのかも……。お嬢さん、お名前は」

「師父?」

 アルカディアはすぐに、蒼血啜りと自分との間に割って入った修道士のことを思い出す。

「拳の?」

「そう、そうです! ご無事かどうか……ご存じではありませんか。突然発憤して、城まで駆けだしていってしまわれたので、慌てて追いかけてきたのです」

「さぁ。私も彼が乱入してきた混乱に乗じて逃げ出してきたから。あとのことは知らないわ」

 アルカディアは答えて、目の前の少年が余計なことを口走る前に歩み寄って手を取る。すると少年の頬に差した赤みが、更に増すのが見て取れた。与しやすし。これを利用しない手はない。アルカディアは少年に擦り寄って、ため息を吐くように囁く。

「残念だけど、あなたの主は死んだわ」

「……なにを言いますか。師父の鉄拳は無敵です。何者をも打ち倒して、私を救って下さった」

「でも、私は見たわ。あなたの師父とやらが、五本の炎剣に心の臓腑を貫かれるのを」

「……!」

 アーリアンが総毛立つのが、繋がった手のひらから伝わってくる。どうやらこの少年、ロザリオの加護により邪視は効かないようだが、それを使うまでもなく彼の心を掌握できそうであった。

「私、アル……アルミナよ。あなたは」

「あ、アーリアンと言います」

「そう。じゃあアーリアン。ここから逃げるのを手伝って。一刻も早くここから離れないといけないの」

 擦り寄るアルカディア。純情なアーリアンにとって、それは劇毒だった。

「しかし……師父を置いては」

「バカね。あなた一人が飛び込んでいったところで、嵐の中にバッタが一匹飛んでいくようなものよ。弾き飛ばされて、もみくちゃにされて、それで終わり。分かるでしょう? だから、今やるべきことを考えて」

「……そんな。師父の最期を、見届けることすら叶わないなんて」

「そうよ。でも仇討ちは叶う。里に下りましょ。それで事のあらましを報告するの。今、蒼血啜りは弱りに弱っているわ。あなたの師父のおかげでね。千載一遇の好機よ……」

 アーリアンの心が揺れているのが、彼の瞳から伺える。師父を追いかけるだけだったひな鳥が、心を復讐に燃やす火の鳥に変じていくその様が、手に取るように分かる。数秒にも満たない時間の後、アーリアンは決断する。

「ともに里へ。そしてできる限りの情報を下さい。師父の仇討ちと……民草の望みを叶える時です」

「良いわよ。助けてくれてありがとう」

 里の方へと歩き出したのはアルカディアからだった。アーリアンはそれに引きずられる形になる。

 しばし、手をしっかりと繋ぎ、無言のまま二人は歩いた。沈黙がもたらす静寂、それが背丈よりも高い薔薇の生け垣の中では、非常に不気味なものに感じられる。しかし声を上げるのもまた憚られた。二人とも知っている。城の中ならばどこにでも現れる、イロナという目と耳の存在を。

 故に生け垣を抜けて、門が見えるまで、二人は一言も発さなかった。

 二人とも緊張のためだった。アルカディアのそれは、脱出が成るかどうかに対する不安から来る物で。

 アーリアンにとってのそれは、息のかかるような距離に年の近く麗しい少女がいることに対する、それだった。











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