3-2話 盾にして看守
それから、とイロナは付け加えた。
「あのトマソンとか言う若造、もしかすると少しだけ、注意が必要かも知れません」
「あんな若造が? 何を企てようって言うんだい」
「そこまでは。ただ、民衆の支持を一身に受けて、日夜村人から情報を集めているようです」
「なんだ、そんなことか!」
幽閉の疲れからか苛立った様子で、レナはイロナを遮った。
「捨て置け。思い切りやり込められた相手のことだ。大方あたしの鼻を明かしてやろうと、躍起になってあたしのことを嗅ぎ回っているんだろうさ」
「ええ、私どももそういう見解です。しかし、どうでしょう。もしかすると」
イロナは、恐る恐る言った。
「彼は、アルカディアお嬢様について、調べているのかも知れません」
「だとしたら尚更だ! 何も手出しする必要はない」
レナは激しく鎖を打ち鳴らした。
「アルカディアについても、あたしについても、いくら探したって何も残っちゃいないはずなんだ。なにせ全ては百三十年前に起こったことだ。あたしについてはまだしも、あの娘のことを語り継ぐ者などいやしないさ。そうだろう」
「それは……」
イロナは屋敷幽霊だ。同じ時をレナと過ごし、アルカディアを追うために存在してきた。
その長い長い時間を経たという自負が、イロナを突き動かした。
「断定しかねます。ご主人様、どうか私どもに、里へ下りる許可を頂けませんか」
「だめだ」
「どうしても耳が欲しいのです。そうすれば、いざというときに後顧の憂いを立つことも出来ましょう。どうか」
「だめだね」
レナはにべもなく、イロナの提案を退けた。
「お前は一度、ヤツに散らされているだろう。そのことを忘れてはならないよ。屋敷の加護から離れて、たったひとりぼっちになってしまったお前を、失うわけにはいかないよ……」
「ご主人様。私どもの力を侮っておいでですか。あれは不意を突かれただけのこと。そういうものだと相対していれば負けはしません。この霊剣と屋敷への忠誠に懸けて誓いましょう」
「ならば言い方を変えようかい、従順なしもべ。あたしのそばを離れるな」
絞り出すように言うレナ。
「全員で行っちまうのはごめんだ。あたしを一人にしないでおくれよ」
「ご主人様……らしくもない。左様に弱腰な態度を見せるなど、お仕えし始めてから初めてのことではありませんか」
「その他人行儀なのを、止められるものなら止めてくれ、イロナ! これ以上、血を分けたにも等しい知己を失うことは、想像するだに恐ろしいんだよ。あたしがお前を呼び出したとき、最初に立てたお前の誓いはなんだい、言ってごらんよ、ほら!」
レナが激しい口調で問い詰める。するとイロナの顔は、本当の意味で苦渋に歪むのだった。決して笑うことのなかった瞳までもが、心痛のあまり細く歪められる。
「……はい。我が身は御身の剣にして瞳。屋敷を守る盾にして砦。そしてただ――六百人ちかくの、御身の看守でございます」
「そうだ。忘れちゃいなかったようで何よりだよ。あたしゃ罪人だ。罪人を一人投げ出して、どっかに行っちまう看守がどこにいる?」
「しかし我が身は盾でもあります」
「盾に、耳は必要ない」
そう言ったレナは、長い時間の幽閉に参ってしまっている様子がにじみ出ていた。
しかし、芯の通った言葉だった。
「トマソンとやらが何を企てていようが、この屋敷とお前とあたしがいれば、護りは盤石だ。そうだろう? 剣の腕には自信があるんだろう?」
「……承知しました。彼にはこれまで通り目をつけておきましょう」
イロナはついに折れた。しかし彼女の懸念を伝えることを忘れなかった。
「奴が暴挙に出たその瞬間に、そっ首焼き斬れるように」
「それでいい。引き続き頼む」
「かしこまりました。ブラッドペリ公……」
イロナはくるぶし丈まであるプリーツスカートの裾を摘まんで、重々しく一礼した。
「……イロナはお側におります。レナお嬢様」
「よしてくれ。捨てた名だよ」
レナは自嘲気味に吐き捨てる。
しかしその冷血な相貌には、明らかに涙の潤いがあったのだった。
その頃トマソンが、何を為そうとしているのかも知らずに。
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