2-エピローグ

 トマソンたちが城下に降りる頃には夕刻になっていた。遅い時間だ。しかし村中が、神父たちの帰りに沸き立った。


「おお、神父様……ありがとうございます。あなた方の出立して以降、あのまさしく悪魔が挙げる声はまったく聞こえなくなりました」

「一体どのように、あの魔女を鎮めたのですか」

「それとも、もしや滅してきて下さったのですか」

「いかようにされたのですか。お聞かせ下さい! 私めが詩にしたためて、永久に語り継ぎましょう」

 期待に目を輝かせて群がる群衆。神父はそれに応えて、

「詩にはせんでよい。大したことは何もしていない……我々は穏健な解決を望み、彼女はそれを受け入れた。それだけの話だ」

「吸血鬼のヤツの方は。どうなりましたか」

「あれがすぐそばに居ると思うと、不安で夜も眠れないのですわ。まったく」

「吸血鬼については……」

 神父はいい淀む。群衆が息を呑む。

「心配はいらんだろう。耳を澄ませてごらん、もうあの身の毛もよだつような悲鳴は、一つも聞こえないではないか。蒼血啜りのレナ・ブラッドペリは、今回も自分の仕事を果たした。つまりそういうことだ」

「神父様、つまり……獲物を狩り終えたということは、これからもまた、吸血鬼を引きずって帰ってくる可能性があると言うことですか」

 村民の懸案事項は、つまるところそれに尽きるのだった。すぐそばに災厄である吸血鬼がいるという恐怖。それを神父がどのように解決してくれたのかに、期待が集まってる。

 その一点に関しては、神父は歯切れが悪くなってしまう。

「ああ……八割方、ではあるが」

「八割……! なぜです。解決をしてきて下さったのではないのですか」

「残念ながら力及ばず……折衷案を採らざるを得なくなった。こちらの陣営にも、被害が少しばかり出たのでね」

 そう言われて、群衆が神父の後ろを見れば、息を呑むのも無理はない。

 あの屈強なトマソン神父が、毒気を抜かれたように呆然としている。近侍であるアーリアンも、心配そうに師父を見上げている。

 群衆がざわめき出す前に、神父は声を張り上げて言った。

「さぁ、さぁ。我々も類い希なる化生との交渉によって疲れている。いったん修道院まで戻らせてもらいたいのだが、構わないかね。さぁどいてくれ、どいてくれ」

「待って下さい。トマソン殿は何をされたのですか」

「やはりヤツの力は健在なのですか」

「神父様」

「神父様!」

 呼び止める声がまるで聞こえないような素振りで、神父たちはその場を立ち去る。

 疲れている、と言ったのはあながち嘘ではないのだった。神父は邪視を防ぐために精一杯の理力を用いていたし、アーリアンが提げていたロザリオは中程でへし折れてしまっていた。トマソンについては、言うに及ばず。茫然自失の体で、何を問うても答えようとしない。

 そのトマソンが、やおら何かを口走った。

「……魔女め」

 もっとも側に仕えていたアーリアンが、それを聞きとがめた。

「トマソン様。今は休息を」

「アーリアン、今は口を開くな。お前のその顔を握りつぶしてしまいそうだ。正しい道に、だと? ふざけた口を……利くな!」

 トマソンは、アーリアンの声を聴いて発憤していた。

「ああ……くそ! 神父様まで俺が狂っていると認めやがった……。ちがう、ちがうんだ。俺はただ、民草を守りたかっただけなんだ。この修道院の理力を使って、守りたかっただけなんだ」

「よく存じております、師父。ですから今は、修道院に戻って、主に赦しを請いましょう。私たち皆で祈りましょう。そうすればきっと、師父が纏っているとされる化生の気配も霧散しましょう」

「アーリアン……」

 呟いたトマソン。次の瞬間、クルミの弾けるような平手の音が響いた。

「よくもいけしゃあしゃあと、そのような口がきけたものだな……!」

「トマソン! なにをする!」

 はたかれたアーリアンは、頬を押さえ涙を浮かべていた。

「師父……」

「化け物にへつらうなどと、聖なる任に従事する我々にあってはならない罪業だ。わきまえろ、小僧!」

「トマソン。そのことを恥と思うなら、それ以上なにも言わないことだ。恥を、罪を。上塗りすることになるぞ」

「……神父殿」

 トマソンがゆっくりとした動きで、神父に振り返った。

「その言葉、そっくりそのままお返ししましょう。よくもおめおめと、魔性を目の前にして逃げ帰ってこられた物ですな」

「なにを言う」

「そのお言葉振り、あなたはきちんととやらを修めておられるのでしょう。ならば倒せたはずだ。あの魔女を! もちろんあなた一人でとは言わない。あなたの号令さえあれば、俺が加勢できた。なぜあの時、逃げ帰ってきた? これを教会の恥と呼ばずして何と呼ぶ!」

「義勇と蛮勇はまったく違う物と知れ、トマソン!」

 神父は鋭い語勢でトマソンを叱った。しかしトマソンの憤りは止むことを知らず、その怒りは徐々に、やりとりを聴いていた群衆に波及しつつあった。


「なんだ、逃げ帰ってきた? どういうことだ」

「何か話をつけて帰ってきたのではなかったのか……?」

「吸血鬼はそのままなのか。なら、奴らは何しに行ったんだ? 俺たちの期待は何処に行っちまったって言うんだ!?」

「そうだ、そうだ! 教会が頼りにならないんなら、俺たちは誰に救ってもらえばいいんだ!」


 誰かがぽつりと呟いた一言、それは大きなうねりとなって神父たちを取り囲んだ。

 その大波を割ったのは、神父ではなくトマソンの一喝だった。


「俺だ! 俺が救ってやる……!」


 乱れた人心が、その瞬間引き寄せられる。

 燐光を纏って輝く拳を掲げたトマソンの許に。


「なんだ、いち修道士がなにを出来るって言うんだ」

「でも待って、あいつは弱腰の神父に噛みついていたわ。何か志があるに違いないのよ」


「その通り。俺には主の声がはっきりと聞こえているぞ。あの魔女を一刻も早く討ち滅ぼせと。必ずや、あれは民への災厄となるだろうと!」

「なら、あんたには何が出来る?」

「この通りだ……!」

 そう言い放って打ち込んだ裏拳。それは街路の真ん中に植わっている二抱えもあろうかという巨木を一撃の下、へし折ったのだった。村の規模の拡大に伴って街道を整備しようと言うことになり、伐採しようと決議された物だった。

 何が起きたのか、村人が理解し始めるにつれて、徐々に歓声が沸き始めた。

 そして歓喜の洪水は、トマソンにを与えることになった。


 ――俺の力は、民に望まれているんだ。


 彼の目には、もはや神父もアーリアンも映ってはいなかった。神父がが溜息と共に、修道院の方へアーリアンを導いていくのも、もはやどうでもいいと思っていた。

 この力と、主のご加護があれば。

 あんな蒼血啜りごときに負けるはずがない。

「さぁ、情報をよこせ。皆の衆! 塵芥とてヤツは強敵。弱みを握るに越した事は無い!」

 トマソンの呼びかけに、一斉に村人たちが噂話を始める。その全てをトマソンは聴いている。

 ざわめきの中、益のある情報を。

 さながら獲物の動きを探る、狼のように。

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