2-4話 狂気のこちらがわ
「同類……だと」
驚愕したのはトマソンばかりではない。アーリアンも、神父も、その宣告には言葉を失わされた。
「そうとも、トマソン。お前はこっち側の人間さね」
「ふざけるな!」
トマソンは腹の底から
「この、栄えある教会のいちつつましやかな修道士である俺が。狂気の塊であるお前と同類だと? バカも休み休み言え。いや、言うな。俺を惑わせて話をうやむやにしようだなんて、そうはいかないぞ! 魔女め!」
激高のあまり、再びその禁句を叫んだトマソン。イロナが再び抜剣しかかるが、蒼血啜りはそれを押しとどめる。
「まぁまぁ。そう目くじらを立ててやるなよ、イロナ。なんせこの男は知っちまったんだから。自分の力が、それが礎としていたものが――信仰なんてお堅いもんじゃなくて、自分自身の信念だって事をさ」
「それが喜ばしいこととおっしゃる意味が分かりませんよ、公。なおさら今すぐに斬って捨てるべきでは」
「いつからそんなに喧嘩っ早くなった? まぁ見てみろよ。あの男の有様を」
不敵な笑みを浮かべるレナと、不服そうに霊剣から手を離すイロナ。
「その、クスクス笑いを今すぐ止めろ……!」
トマソンはもはや憤りを隠そうともしていなかった。左手で鷲づかみにするように顔を覆っている。その手も、握りしめられた右手も、怒りのあまりに震えていて、さらに彼自身が聖性と呼んでいる力によって淡い燐光を帯びていた。
「さもなくばこの拳で――教会の理の下に、お前たちを粉砕してやる」
「教会の理……か」
蒼血啜りは嘲笑する。
「ニセモノさね、そいつは」
「な…………!?」
教会の側、特にアーリアンが、最も驚いた様子を見せた。
「師父の持つめざましい力…………そんなはずがないでしょう。これが信仰の恩賜でなくて、何だというのですか」
「狂気だよ」
蒼血啜りの口調は、まるで幼子を諭すようだった。
「狂気さ」
「なにを言っている……俺は、正気だ」
「いいや、狂っているさ。お前さんの魔を滅する力の源泉はそこにある。決して聖堂の秘儀なんかじゃない……。その辺りの事情は、実は神父さんの口から聞いた方が良いんじゃないのかい」
意地の悪い微笑を止めない蒼血啜り。
トマソンは辛うじて、レナと目線を切らずにいた。
「どういうことです」
言葉だけは神父へと投げかけながら。
「どういうことだ! 答えろ!」
高まり続ける憤怒と焦燥と戦いながら。
問われた神父は、大きな溜息を吐いた。
「トマソン、君も薄々感づいているのではないかね。なぜ君がこのような辺境の地に、飛ばされてきたのか」
「……なに?」
思わず神父へと振り向いたトマソンだったが、その瞬間に起こった変化に対してさらに驚きを隠せなかった。なぜなら。
レナ・ブラッドペリ。蒼血啜りに対する燃えたぎるような敵対心が、嘘のように霧散してしまったのだから。沸騰していた敵意が急速に冷え、その温度差にトマソンは思わずよろめく。
「……これは、神父様」
「やはりか」
「ふん……」
訳を知っている様子なのは神父と、レナ。トマソンは動けない。
アーリアンなどは師父の不調と、彼が抱える不安の両方に心を砕くあまり、震えながら言った。
「師父にいったい、なにが起こっていたというのですか。師父の罪は主の意を問わぬままの誅殺だけではないというのですか。神父様!」
「……邪視だ」
神父とレナが同時に言った。レナは余裕を湛えたまま手をかざし、神父にその先を譲った。
「教会で学ぶ奇跡の力は……主を信じることで生じる」
アーリアンは頷く。
「信じて、信じて、信じ抜き、主の法が彼か彼女の身を支える柱となったとき、我々はこの世の理という決して揺るがぬ基底を手に入れる。法皇猊下から駆け出しの修道士に至るまで、教会の奇跡という物はその基底に端を発する、いわば盾なのだ」
「何に対する、盾でしょうか」
「狂気だ、アーリアン。この世の理という遍き存在に対して、意思や妄念と言った個が持つ法。理をねじ曲げようとあがく、力だ」
「その通りだよ、正解だ神父。よくあたしたちのことを理解しているようで何よりだねぇ」
蒼血啜りが嘲笑うように合いの手を入れる。神父はにらみ返したが、アーリアンは恐ろしさのあまり何も出来なかった。
「でも、神父様。それと、邪視とが一体どう言う関係にあるのですか」
「アーリアン。お前はまだ若い。だがこれを知らねばこの先命に関わるぞ」
神父は一拍おいて、うずくまるトマソンを見下ろしながら言った。
「教会の法を修めた者に、邪視は効かぬ」
「……!」
「邪視とは、その視線で自らの狂気を伝播させる魔性の術に他ならん。ところが我々は真っ先に、主の法という確乎たる思考体系を獲得しているはずだ。余所からやってきた狂気に惑わされることなど、有り得んことなのだよ。アーリアン」
アーリアンの頭を撫でる神父。
「そして、トマソンよ。もう分かったであろう」
「そんな……そんな。認めてなるものか。我が拳は主のために、我が身は主のために……捧げてきたはずだ……!」
「我が身、我が拳。そんな独善的な言葉が出た事がその証左。君がこちらへよこされたのはだね、単に殺人の罪だけではない」
顔を覆うトマソンに、神父は苦渋を顔に浮かべながら、宣告した。
「君が、すでに異端と化していたからなのだよ」
「ウソだ!!」
トマソンは獣のように叫んだ。
「私が、あの化生と? 同類だと!? 冗談じゃない! 俺が積み上げてきた研鑽の時間は……時間は……! 全て無為だったとおっしゃるのか」
「無為とは言わん。ただ、君は正しい教えを請うこともなく、また誰もそれを矯めなかった。君だけのせいではない。私だって驚いているんだ。君がそんなにも、魔の域に至るまで、主の敵を討ち滅ぼすことに執心していたとはね」
「驚くもなにもあるか!」
トマソンはほとんど泣きそうな声で叫んだ。
「それが教会の役目じゃないのか! そうだと思ったから、俺は全てを捨てて修道士になろうと決めたのに……」
「トマソン、落ち着け。その狂乱こそがお前の過ちなのだ」
「止めろ……やめてくれ!」
トマソンは耳を覆い、何も受け入れまいとうずくまった。神父も、もちろんアーリアンも、彼の絶望に掛けてやれる言葉を持ってはいない。
その膠着を見て取って、レナがうんざりした様子で声を掛けた。
「おいおい、内輪もめはその辺にしてもらえるかい、教会のお三方。この場で湧いた化生の処分を、まさかうちの庭でやろうってんじゃないだろうね」
神父が蒼血啜りに向き直った。そして口を開いたが、意外な若々しい声がそれを遮った。
アーリアンの、声変わりをする前の美声であった。恐ろしさに震えてはいながらも、ロザリオの加護により邪視をはね除け、蒼血啜りと対峙する。
「師父を……」
「なんだい、小僧」
「師父を!」
アーリアンは細い喉を精一杯震わせて叫んだ。レナが目を見張る。神父も、なにを言うのかを見守っている。
アーリアンは深く息を吸い込んだ。その言葉は誰のためか。トマソンのためには違いない。しかし彼は若さ故に純粋に過ぎ、また正しき教会の信徒であった。故に飛び出した言葉は、非常に鋭い刃となった。
「師父を、そして私を……。正しい道へと導いて下さって。ありがとうございました」
それがトマソンにとどめを刺す言葉だと、アーリアンに自覚はなかった。その場にいた全員が瞬間、言葉を失った。次に湧き出たのは蒼血啜りの不気味な含み笑い。そして神父の溜息だった。
「……今日の所は出直そう、アーリアン。トマソンもだ」
「教会の連中は堅物ばかりだと思っていたが……存外、面白いのもいるじゃあないかい。二人も」
「やかましいぞ、蒼血啜り」
これまで終始穏やかだった神父の声音が、この時初めて冷たい物になった。
「お前は我々の正気を……正気に対する欲求を、嘲笑っているようだが。その嘲笑をそっくりそのままお前に返そう」
「ほぉ、なにに対して、だい」
「届かぬ星に手を伸ばそうとする、児戯にも等しいお前の行いに対してだよ」
渾身の一撃を与えた、神父はそのつもりだった。彼女ならばきっと、取り乱すだろうと。
しかし蒼血啜りは。
「ふふ、皮肉でも投げつけたつもりなんだろうが、効かないねぇ。勘違いしてなさる」
不敵に笑う。
「こちとら人にちょっと横やりを入れられたくらいで、揺らぐような信念じゃあないんだよ。そうでなきゃあ魔性狩りなんて出来やしないさ」
そして鼻で笑ってみせて、
「そこの坊主みたいなのと一緒にされちゃあ困る。イロナ!」
屋敷幽霊を呼び寄せた。
「首枷付きどもがお帰りだ。丁重に引きずってさしあげろ」
「承りました。さぁ、お三方。お帰りも迷路のような道行きでございます。私どもからくれぐれも離れないように」
この日の会談、教会の使徒たちはすごすごと引き下がるしかなかった。
若い一人は自らの信念を打ち砕かれ、打ちひしがれながら。
もう一人はそんな彼を、心配しながら。
そして庭に一人残った蒼血啜り――レナ・ブラッドペリは。
「…………ドブネズミどもが!!」
拳の一閃の許、椅子の肘掛けを粉砕するほどに、憤っていたのだった。
「イロナ!」
侍従を呼びつける声にも力が入る。
「ここに」
「城を離れることを許可する。あのトマソンとか言う若造を見張れ」
「それは……理由をお伺いしても? トマソンは完全に心折れた様子でした」
「だからこそ、だよ。奈落の底まで落ちた人間が一番恐ろしい。次になにをしでかしてくるか分かったもんじゃない」
レナは切迫した口調で答えた。その緊張感に、イロナはおとなしく頷く。
「……ご下命とあらば行いますが、私どもが城から遠く離れた修道院まで出向くとなると、出来ることは非常に限られます。せいぜい目を残すのが精一杯かと」
「構わないよ。むしろその方が都合が良い。気付かれて散らされては適わんからね」
「左様ですか。では早速、三人の私どもを配備します。他にご要望はございますか。肘掛けを直しましょうか」
「いらないよ。少しだけ放って置いてくれ」
「かしこまりました。ここは屋敷の外。厳密には私どもの領分ではございません故……どうぞごゆっくり」
そう言い残して、イロナは消えた。
レナは今更になって、痛みを知覚した。肘掛けを破壊した右の拳打は、レナの枯れ枝のように細い指を、腕をも、壊していたのだった。
「……弱っているな」
呟くレナ。
「なにを、気を緩めているんだ……。まだ捕まえただけじゃないか。折れるにはまだ早いよ、あたしの体」
レナは左手を腫れた患部にかざす。すると石英を砕いたような色をした粉塵が左手から生じ、痛みを取り去っていく。ひとなでしてしまえば、彼女が受けた自業自得の傷は癒えてしまっていた。
「……まだ早いよ。私の
涙がにじむレナの瞳。治った右手は早速、首から掛けたロケットを握りしめて震えている。
しかし弱音を吐く時間は無いのだった。
「待っていろよ、アルカディア」
涙を止めると、レナは立ち上がり、そしてそれだけ呟いたのだった。
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