2-3話 同類
イロナの先導の許、トマソン達は城門をくぐり、城の前庭を歩いている。
彼らの両脇には、薔薇の生け垣が高く茂っている。上背のあるトマソンの頭よりも高さがあった。そのおかげで、彼らの歩く道は昼間であるにもかかわらず薄暗く、トマソン達、特に小さなアーリアンなどは、イロナの思惑に不安を抱いた者だった。
まるで迷宮のような薔薇の園。これが本当に、魔術的に作られた迷宮だとしたら。今まさにイロナは企んでいるのではないか。その真ん中に、置き去りにしてやろうと。
「師父、我々は本当に、城に向かっているのでしょうか」
アーリアンが恐る恐る、トマソンに尋ねた。
「未熟者」
トマソンは一言で切って捨てた。
「本当に感じないのですか? 次第に高まっていくこの禍々しい気配を。間違いない。我々はレナの居城に近づいています」
「は、はい。申し訳ありません。より一層精進致します」
そう畏まりながら、アーリアンは帯同する神父の顔色を窺う。すると彼の方も、アーリアンと同じく、城に近づいていると言うことがピンときていない様子だった。
神父にそれを尋ねるのは、気が引けた。アーリアンは自らの未熟を恥じることにして、頬を張ったのだった。
「なにやら、私どもの案内に不満がおありのようですが」
イロナがアーリアンの不安を払拭するように言う。
「これについては、申し訳ありません。この庭自体が、吸血鬼を封じ込める結界となっているのです。空の上からご覧になれば、この薔薇の連なりが、大変美しい魔方陣を描いていることがお分かりになるかと思います」
もっとも、とイロナは意地悪そうに付け加える。
「あなた様方に空を飛ぶことが叶えば、ですが。教会の秘儀には、そう言ったものはございますか?」
「秘儀については秘匿されている。お前に話す事は何一つ無い」
「そうでしょう。そうでしょうね。今こうして私どもの後をのこのこ歩いているのがその証左」
「もう一度消し飛ばされたいのか」
「その時には、残った六百六十四の私ども総出で、あなた様方を狩れと申し使っております。こう見えて私ども、僭越ながら生前はさる王妃様の剣術指南役を申し使っておりまして。先刻のように不意を突かれなければ、単騎であってもあなたの拳術にひけは取らない自負がございます」
「よくしゃべる側仕えだ。お前たちの剣術とやら、試してみるのもやぶさかではないぞ。魔性であることには変わりが無いのだからな」
「さえずりますね、人間が」
平然と挑発しているのはトマソンだけだ。アーリアンと神父は事の次第をはらはらしながら見守っている。トマソンの機嫌次第で、自分たちの命が危険にさらされるのかも知れないというのに、トマソンというのは止めようにも止められない猪のような男なのだった。
緊迫した時間がしばし過ぎた。三人分の靴音だけが響く。
やがて矛を収めたのは、イロナの方だった。
「ともあれ、主の命はあなた様方との面会です。あなた様方もそれが目的。そうでいらっしゃいますね?」
「当然だ」
「であれば、無用な殺意はお収めあそばせ。お疲れになってしまうでしょう」
「……無用かどうかは、会ってから決める」
「左様で。それでは、薔薇の戒めを抜けます。ブラッドペリ公はそこでお待ちですよ」
「そこで?」
トマソンが質そうとしたが、その必要は無くなった。
今まさに曲がった角を最後に薔薇の生け垣が突然途切れ、薄曇りの下陽光が差し込んでいる。
仰ぎ見れば、蒼血啜りの居城が高くそびえている。しかし主であるレナ・ブラッドペリは、その門と生け垣の間で古式ゆかしい椅子へ腰掛け、足を組んで待っていたのだった。
その手は、祈りを捧げるように組み合わせられていたが、彼女の銀眼は真っ直ぐに、教会という異邦人たちをにらみ据えていた。その迫力だけで、年若いアーリアンなどは気圧されてしまったものだった。
さしものトマソンも、これまでの傲岸不遜な態度で通すことは出来ないようだった。
「……お初にお目にかかります、レナ・ブラッドペリ公。私、教会より遣わされました――――」
「気色悪い声を出すな。それから、蒼血啜りと呼べ」
トマソンが慇懃な挨拶を始めたその瞬間から、女王が鋭く指摘する。
「蒼血啜り、と? ブラッドペリ公。それはあなた様にとって――――」
「聞こえなかったのか。蒼血啜りと呼べ」
女王はなおも冷たく、足を組み替えて宣う。
蒼血啜り。それは蔑称ではないのか。そうトマソンは問おうとしたのだった。しかし女王はその名を望んだ。望む理由は分からないが。
トマソンは伏せた顔でにやりと微笑んで見せた。
知ったことではない。そもそも、彼女の尊厳を慮る必要など、こちらには微塵も無いのだ。蔑めと請われるなら、悦んでそうするまでだ。
「では……蒼血啜り」
嘲笑を込めて呼べば、
「何だ」
肘掛けに立て肘を突きながら、蒼血啜りは不遜に問い返す。
「貴様の流儀では、客人をもてなすのにこんな野っ原を使うのか? お前一人が椅子に座り、我々は立ちんぼだ。あまりに粗野じゃあないか?」
「馬鹿にするんじゃ無いよ。あたしだって客人をもてなすときには屋敷の一等良い部屋に暖炉を焚いて、紅茶くらい出すさ」
「なるほど……。良い度胸だ」
バキバキ、と不穏な音が鳴った。トマソンの拳からだ。
「客でないとしたら俺たちは何だ?」
「師父、抑えて……!」
今にも目の前の蒼血啜りに殴りかかりそうなトマソンを、アーリアンが細い腕をいっぱいに使って抱き留めた。
「今日は殺し合いに来たのではありません。話し合いに来たのです! どうかお忘れ無きよう!」
「離れなさい、アーリアン! 分かっている。分かっているとも!」
トマソンはさもアーリアンを諭すように言ったが、内心冷や汗を掻いていた。その瞬間、彼は本当に殴りかかる気でいたからだ。
体のうちから湧き上がる焦燥。目の前の蒼血啜りを討ち果たさなければならないという、扇情。
トマソンは目眩を覚え、よろめいた。その時蒼血啜りが口を開いた。まるで鉄で出来ているかのようだった彼女の顔は、今となっては喜悦に歪んでいた。
「あたしの庭には、三つの使い途しかないよ。一つは吸血鬼を封印するための陣を敷く為。もう一つはあたし自慢の屋敷幽霊が隊列を組むため。そしてもう一つはね……」
なにを言う気だ、とトマソンたちは身構える。そこから飛び出した言葉は、とてつもない打撃をトマソンに与えた。
「同類を同じ屋敷に上げないためさ。なぁ、トマソンとやら?」
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