2-2話 謁見。あるいはそれは果たし合い
「トマソン、考え直したまえ。相手はあのレナ・ブラッドペリなんだぞ。およそこの世の魔性という魔性に対して打ち克ってきた、大魔女だ。たかだか教会の法を学んだ程度で、太刀打ちできるものか」
「魔女一匹相手になにをそんなに
レナの居城に至る道中、砦へと登る坂の中頃で、トマソンは振り向いて叫んだ。
「そもそも教会の法は、主の御心という世界の柱から背いた異端どもを消し去るためのもの。その技に、神父殿。あなたは誇りを持てないとおっしゃるのか。背教ではないのか、それは!」
「そ、そうではない……」
「では、何ですか?」
トマソンのいかめしい顔と、大きな拳に力が宿るのを見て、神父は慌てて訂正した。
「最初からけんか腰で挑むのは止めろと言いたいだけだ」
「けんか腰もなにも、無法を働いているのは相手の方だ。理はこちらにある。なにを遠慮する必要がありますか」
「そうとも、理はこちらにある。だがなぁ」
神父は言いつのろうとする。しかしトマソンの固い決意を曲げることは出来なさそうだと悟り、
「……会ってみれば分かる。あの女は、常世の理から外れた存在だよ」
「本当にそうならば、それは魔性だ。狩れば良いでしょう」
トマソンは鼻を鳴らして、砦への道を上り始める。
溜息を吐いたのは、神父ともう一人いた。
トマソンよりもさらに若い。少年と呼んでも差し支えないほどだ。主の加護を未だ身に纏い切れていない為、魔除けのためのロザリオを首からぶら下げている。背は低く、二ペース(一ペースは約七十五センチメートル)もあれば良い方だ。
未だ少年らしくさらさらとして細い髪は、色づいた小麦のような金髪。それを耳だけ出して、首の長さまで伸ばしている物だから、非常に端正な美貌と相まって、中性的な容姿をしていた。
彼はアーリアンと言う名だった。トマソンの近什である。
「トマソンは、いつもああなのかね」
「ええ」
アーリアンは答えた。
「おのれの信じる道を……それは即ち主の御心と言うことですが、それをただひたすらに邁進される方です。まるで、イノシシのよう」
アーリアンは、彼とトマソンがここに来るまでの経緯を、神父に話した。
要約すると、魔性の崇拝者達が集う魔宴に単身乗り込んで、その場にいた三十余名を皆殺しにしたせいだった。本来であれば、異端者は一度捕縛し、改宗を迫ってから、それを拒んだ者を処刑するという手続きになっている。トマソンの拳は性急に過ぎた。
彼はその当時、神父から助祭へと上がろうという所だったが、その身分は全て剥奪された。そしてこの様な辺境の地まで、いわば左遷されてきたのである。
「損なお方です。志は誰よりもご立派なのに、いざ不義を前にすると頭がいっぱいになってしまわれるのでしょう」
しかし、一方的に振り回された形になるアーリアンの口調からは、何の遺恨も感じられなかった。
「君は……君自身は。彼に憧れているのかね」
「はい、もちろんです! ですが……」
歯切れの悪いアーリアン。
「ですが、あの方のありようが、主の御心を完全にあらわしているとも思えません。だから、その……」
「皆まで言わんでもよい。近什の身で師父を否定することは、難しいだろう」
「否定……というわけでは」
「なにをごちゃごちゃ喋っているのです。ご老体! 後進の規範となるべきあなたが、そのような態度では困ります」
トマソンが振り向いて叫ぶ。体を強ばらせる二人だったが、幸いなことにトマソンには、会話の内容までは聞こえていなかったようだった。神父は溜息を吐くにとどめたが、アーリアンは大層恐縮した様子で頭を下げた。
「失礼致しました、師父」
「敵地は近いのですよ。気を引き締めなさい。それが証拠に、ほら」
トマソンがやおら立ち止まって、指さした。
「お出迎えです」
見えてきた砦の門扉。そこから一体の女が、滑るようにこちらへやってきたのである。
陰鬱な表情の中に、瞳だけは猫のように鋭い黄色をした、給仕の衣装を身に纏った、幽霊。
イロナとトマソンが、今対峙した。
†
口火を切ったのはトマソンの方からだった。
「ほぉ……魔性を匿うような女は、やはり身の回りの世話も魔なる物にさせるのだな」
「ええ、左様でございます。時には人の身には余る行いも、せねばなりませんので」
イロナは淡々と答えた。
「一方の教会という方々も、たいそうな倫理観をお持ちのようで。魔性の者に語る名など、持たぬとおっしゃいますか?」
名乗りも上げずに主をくさしたトマソンを咎めるイロナ。しかしトマソンは差も当然であるかのように、イロナを貶める。
「当然。我ら権威ある教会の遣いである。貴様らのような理より外れた者に名乗る名など無い」
「ならば、お引き取り下さいませ。私どもはあなた様のご芳名を頂戴して、お通しするかどうかをブラッドペリ公に諮らなければなりませんので」
イロナの目は普段の通りに笑っていないが、今はその冷徹な目線が状況にぴったりと合っている。冷たく、相手の非礼を咎める視線。
しかし屋敷幽霊、というより給仕の性質として、口元にだけは穏やかな微笑を作っていた。そのちぐはぐな表情が、トマソンの苛立ちを煽った。
「吹けば飛ぶような幽霊ごときが、偉そうに。俺が用があるのはレナ・ブラッドペリただ一人だ。どうしてもどかないというのなら、おし通らせてもらうぞ」
「待て、トマソン。相手をわきまえろ。荒事にして事が良く運ぶわけがないだろう」
「このまま押し問答をするよりは遙かにましです。さぁ、屋敷幽霊。どくのか。それとも、その幽けき命――命と呼んで良いのか? それをここで散らすとするか?」
言いながら、トマソンはイロナに向かって歩み出す。その拳は硬く握られ、聖性とおぼしき光を纏って淡く燐光を放っていた。
「私はあくまで、平和裏の解決を望みます。あなた様はトマソン様とおっしゃるのですね。ならばお取り次ぎの可否を」
「可否を問えと言っているのでない。通せと言っているのだ……!」
気勢を上げるトマソンだが、拳の間合いまではあと五歩ほどある。イロナが浮かべる余裕の表情はそれに由来していた。いざとなれば、姿を消してレナの許へ帰ればいい、と。
しかし、だ。
実際には、ゆとりは五歩分もなかったのだ。なめし革を巻いた両手を胸の前に構えたトマソンは、その距離を、尋常ではあり得ない脚力による一足飛びで詰めたのである。
イロナは手で口を覆って驚きを表して見せた。しかし依然として目は死んだまま。それには理由があった。
生者に幽霊は触れない。
幽霊とは即ち、記憶の固執である。その場にあり続けたいという妄念が集った、最も原始的な狂気だ。故に、時の流れという抗いがたい前進に支配されている人間には、触れることが出来ない。存在する時間が違う。存在する理由も違う。まったく別世界の生き物なのだ。
そのはずだった。
トマソンが繰り出した右の拳は、イロナの左頬を完全に捉え、一振りの許に背後の城壁まで吹き飛ばした。
イロナは城壁に叩き付けられる前に、青緑色の光を殴られた全身へと広げながら、消滅した。
「ふん。屋敷幽霊恐るるに足らず。さぁ、参りましょう神父殿、アーリアン。残るはレナ・ブラッドペリとかいう魔女ただ一人――――」
「魔女、とお呼びになりましたね」
鼻を鳴らしたトマソンの頭上から降ってきたのは、ありうるはずもない、先ほど吹き飛ばしたイロナの声だった。
「ひっ……」
アーリアンが年相応の悲鳴を上げる。
「あなたは公のことを、魔女、とお呼びになりました」
それもイロナの声は一つではない。彼女が言葉を重ねる度、それは増えていく。まるでねずみ算でもしているかのように相乗して、響き合って、神父とアーリアンがそちらを向くのを躊躇うほどに。
毅然としているのはトマソンだけだ。しかし彼が正気かと問われれば、それは是とも非とも呼べない。本気で勝算があると思っているのか、それとも彼を突き動かす義憤だけが、彼をその場につなぎ止めているのか。
「それは、いかにお客人でも看過致しかねます。ブラッドペリ公は人間でございます。今すぐにご訂正を」
表情の乏しいイロナが、滅多に出さない憤りの声。しかし、トマソンは目の前の光景を見てもなお、折れなかった。
「魔性を狩っていたぶるような存在の、何処が人間足ろうか。どけ、屋敷幽霊。何匹集まろうが、結果は一緒だぞ」
トマソンが拳を構える。
その前に立ち塞がるのは、イロナだ。無数のイロナだ。各々がその手に蒼く揺らめく霊炎の剣を携え、同じ顔、同じ服、そして同じ憤りを胸に、門を守っている。
その数は数えられるだけで優に百を超える。これにトマソンは怯んだ様子もない。己が拳一つで、本気で全てを討ち果たすつもりなのだ。
「……なるほど」
イロナが呟いた。
「只人が、教会の理力で私どもに触れられるわけがないと高をくくっていましたが……そういうことですか」
「他の矮小十把の信徒と一緒にするなよ? 俺は教会の秘儀を全て修めた。貴様ら魔性を屠ることなど、造作もない」
「そう思っているなら、そういうことにしておきましょう。では、お互い殺し合えると分かったところで……果たし合いと参りましょうか」
「礼儀も過ぎれば無礼になるぞ、幽霊!」
そう叫んで、トマソンは拳を繰り出そうとした。
しかし次の瞬間、狙っていたイロナは消えていた。
辺りを見渡せば、彼女はどこにもいない。あれだけの数がいたというのに、まさしく霧が散ったかのように消えて無くなってしまったのだった。
かと思えば、門扉の前に、彼女が姿を現した。そして言った。
「幸運でしたね。公が通せと」
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