1-第4話 お召し替え
のたうち、もがき、それでもどうにもならないので、聖なる劇毒をようやく飲み下したアルカディア。
すると、喉元過ぎればというのは憎らしくも本当のようで、普段血液しか受け付けない胃袋に納まった瞬間に、それは灼けるような熱を失ったかのようだった。すとんと、その大きさ相応の重量が腹の中にある。その程度の存在に納まってしまったのだった。
それでも、飲み下すために耐えた苦痛は相当の物だった。滴る涙。しかし後ろ手に縛られたアルカディアには、それを拭くことすら出来ない。
七人いたイロナは、一人に戻っていた。彼女は不安げな口の形を作っていた。それは同時に憐れみを表しているとも取れた。いずれにせよ、アルカディアにとっては不快極まりない心配りであったし、ついで出てきたイロナの言葉がそれを決定的にした。
「お味の方、いかがでしたか。無発酵のパンを焼くのは、実は初めてのことでして。私ども一同戦々恐々としながらお給仕させて頂いたのですが……」
「……味?」
イロナの目は、常通り何の表情も持っていない。
「あ、葡萄酒の方はお墨付きでございますよ。南領の中でもとりわけ北、ちょうどこのあたりの農園から取り寄せた代物です。三十年物だとか。この日のためにブラッドペリ公がずっと貯蔵しておかれたそうで」
「……じゃあ伝えてくれる。血反吐を吐くほどマズかったわ。蒼血啜りとやらは、どうやら本当に、蒼い血にしか造詣をお持ちでないようね」
涙を浮かべたままでは威厳もなにもない。しかしアルカディアは胸を張って、東の女王としてそう答えた。それで状況がどうなると期待したわけではない。虜囚のみとなってなお残った彼女の尊厳がそうさせたのだ。
イロナの、表情を浮かべているようで何の感情も無い面構えは、揺らがなかった。
「左様でございましたか。失礼致しました。公にも伝えさせて頂きまして、お次はよりよい物を」
「要らないわ、悪魔どもめ!」
「そうは参りません。お客人に対しては、相応のおもてなしを差し上げなくては」
「お客人とは恐れ入るわ。どうせこうやって、いたぶり殺すつもりなのでしょう。わたしのことを、苦しめ抜いて」
「いいえ、おもてなしでございます。それが証拠に、二つ目のご用事。お召し替えの時間でございます」
「お召し……?」
言われてみれば、これまでアルカディアが身に纏っていたのは破れきったぼろ切れ一枚で、裸も同然の姿だったのだった。吸血鬼は気温としての暑さ寒さに体調を左右されることはないが、意識してみると羞恥の念が湧いてくるのは確かだ。
「…………なにを着せるつもり」
しかし、もはやその言葉を額面通りに受け取るアルカディアではない。イロナを睨み付けるが、
「それを」
後ろを指さされたときにはもう遅かった。ひやり、と背骨に沿って冷たい感触が走ったかと思うと、刃を研ぐような擦過音ののち、胸から腹に掛けてその冷たさが何本も襲ってきた。
「あん…………なにを」
見ればそれは、まるで肋骨のような拘束具だった。背中にそって伸びる太い支柱から、絵筆ほどの太さを持った数十本の枝が、アルカディアを締め付けている。あばらを折るような力ではないが、平然と無視していられるほど弱くもない。
しかし、アルカディアには。それに抵抗する力が出ないのだった。一つは先ほどねじ込まれた聖餐のせい。もう一つはこの拘束具自体が、贅沢にも全て純銀で出来ているためだ。魔なる物の魔力が根源とする聖性に対する反照を、ことごとく打ち砕かれ、
「はぁ……ふっ……。なに、もう、立てない……」
アルカディアはその場に倒れ伏した。しかし拘束具は、吸血鬼に安寧を許さない。ぎちぎちとわざとらしい音を立てて、銀の背骨が反り上がった。アルカディアの体もそれに沿って持ち上がる。威厳を損なった哀れな顔が、露わになる。
「よくお似合いでございますよ、お嬢様」
イロナが顔をのぞき込んで言うのが皮肉か、それとも本気で言っているのか。それを考える力も、反駁する言葉も出ないのだった。
さらにその上、
「いい、イロナ。あとはあたしがやるよ」
いつの間にか後ろに控えていた蒼血啜りが出てきたとなれば、尚更だ。
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