牡丹の剣客④

「アンタどっから来たの?」

「…………」

「仕事は? なにしてたの?」

「…………」

「歳はいくつ?」

「…………」

「家族は?」

「…………」

「……それ、美味しい?」

「……おいしい」

「あ、そう……」


 エスト達はアルハイド街の路地にある、こじんまりとした大衆酒場で食事を取っていた。

 一日中開いており、夜になると騒がしいが、昼の間は客も少なくひっそりと涼し気な雰囲気に満ちている。エストはこの店を気に入っている。

 そしてエストは既に腹くちて食後の酒を頼んでいる間も、リントの口にフォークを運んでいた。

 彼女は口に運ばれた食べ物をもくもくと咀嚼して飲みこむと、また口を大きく開けて促した。その間も、虚ろな目はジッとエストだけを見つめていた。

 彼女はずっとこの調子である。

 この一人で満足に食事も取れない幼児のごとき女性の世話を、なぜ自分がしなければならないのか。エストは酒を呷りながら内心で溜息吐いた。


「アンタ、自分のこと話す気はないの?」エストはたずねた。

「……ない」彼女はきっぱりと答えた。

「なんでも言う事きくんだよね?」

「…………」


 エストは早速アテが外れてしまっていることに落胆する。彼女は頑なに自分を語らない人物だった。

 彼女がおそらくやんごとない人生を送ってきた事は確かなはずなのだ。そして、それを話してもらうことが一つの目的だったのに、それが叶わない事がわかると、急にどうすればよいかわからなくなった。

 エストはそれから黙って彼女の口に料理を運び続けた。


 ところが、支払いの際、すべて出すつもりだったエストをおしのけ、彼女は「まかせておけ」と言って、自分で支払おうとした。

 エストは彼女がちゃんと金銭を持ち合わせていたことに驚いたが、同時に出された貨幣にも、会計の男も同じく驚いていた。


「お客さん、コレはこっちじゃ使えませんよ」

「……え」彼女は小さく零した。


 彼女が懐から取り出したのは東大陸の硬貨であった。

 ルクレイア大陸は大きな山脈によって東と西にと二つに隔たれている。そして、貨幣もまた東西別だった。

 ナバルギアのあるクレイド王国は西大陸の国なので、東の貨幣は西のものに換金しなければ当然使えない。そのことが頭から抜けていたらしい彼女は、呆けに動揺が重なって大変な有り様となっていた。

 当初の予定通りエストが支払うのだったが、なぜだか頼りない大人に代わって甲斐甲斐しく世話をしてやっている気分になる。


「……てあわせしてやる」

「は?」


 店を出た時、彼女が言ったことにエストは思わず変な声をあげていた。

 昨夜もそうだった。霧の晴れたアルハイド街の目抜き通りで、彼女は、なんでもする、と言った。そしてこれは、この二人だけの密会が行われている理由でもあった。

 要約して言えば、初対面の際に、エストが身を挺して彼女をごろつきから守り続けてくれたから、彼女はその礼がしたくなったらしい。

 その時にかいつまんで訊いた彼女の語り口はこうだ。


『私は元々、そう長く生きるつもりはなかった。何もせず、思うままに過ごして死ぬつもりだった。だが、お前はそんな私を何も言わずに守ってくれた。正直迷惑だと思ったが、他人の親切を無下にしたまま死ぬのも癪だったので、もう少し生きる事にした。私はお前のできる限りの願いを叶えてから死ぬ。だからなんでも言え』


 という事らしい。それらの内容をなぜか一言に凝縮した結果、出てきたのが『なんでもする』という言葉だったそうだ。

 彼女は、自分の中で流れが完結した状態で一方的に話を済ませる節がある。思考の飛躍ともいうべきか、常人とは時間感覚が全く異なるようだ。そして、今回それがまた起きたということである。

 彼女の拙い言葉を要約すると、こうだ。


『今回はお前に飯を奢ることが願いの一つなのだと思った。だから自分で出そうとしたのだが、貨幣が違うことは頭になかった。お前に全て払わせてしまって申し訳ない。その代わりと言ってはなんだが、特別に私と剣で手合わせすることを許す』

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