第15話
少しずつ澄美の方に近づき、俺はさりげなく彼女の色白な太ももに頭を乗せた。座っていると太ももの肉はつぶれて広がり、付け根あたりがより柔らかくなってくる。この感触がとても好きだ。
俺のやっていることは間違いなく膝枕そのものだ。別におかしなことではない。子供の頃はいつもしてもらっているし、澄美に由美さんとの会話を話させられることになってしまうと、俺の悩み事も知られてしまう。澄美がそれなりに誠意を見せてくれないとこちらは大損だ。
「ふふふ、甘えん坊なんだから~」
言いながら澄美は昔のように俺の頭に手を乗せた。なんか今日撫でられてばかりだ。
久しぶりに澄美に膝枕をしてもらっているせいだろうか、目を合わせるのは少し恥ずかしい。照れ隠しに顔を澄美のお腹に埋める。
お腹からあふれる澄美特有のいい香りが鼻をくすぐる上、頭は優しい手とふっくらとした太ももを堪能。最高の寝心地だ。このまま眠ってしまってもおかしくないところ……。
「調子に乗っちゃダメよ」
「わかったよ。で、なんでデコピンしたんだよ」
「お仕置きよ。ほら、早く白状しなさい」
「別に話さないつもりないし」
そんな素敵なサービスを受けた以上、こちらも約束を守らなければならない。ただ由美さんとの話か……。どこから話せばいいか正直難しい。考えに考えて、やっぱり最初からいちいち話したほうが無難かもしれない。
「もっと自信を持ってもいいって言われたんだよ」
「ずいぶんややこしそうな話だったよね。どうしてそう言われたの心当たりあるかしら?」
「多分俺の悩み事に気づいていたみたい」
言葉を選びながらも、俺は自分の悩みを丸ごと澄美に打ち明けた。
「もうすぐ卒業なのにまだ進路を決められなくて」
「進路ね。あたし、あの時も結構悩んでいたわ」
「え? 全然悩んでなかっただろ。なぜ文学部じゃなく医学部を選んだのはわかんないけど」
「ふふん、それは教えてあげない」
進路のことを。
「恋愛もなかなかうまくいかなくて」
「え、恋バナ。いいぞ。恋愛相談ならこの恋愛マスターであるあたしが受けてやるじゃない。ね、相手はどんな子? もう告っちゃったの? ね、はやく教えて!」
「教えるか! というか、何が恋愛マスターだよ。お前も経験なしだろう」
「恋愛というものは、経験があればあるほど上達するもんじゃないわよ」
恋愛のことも。
「和音のこともとても心配で」
「そうだね。でもあたしの言う通りだったでしょ。だから大丈夫だって」
「俺は澄美のように前向きになれないよ」
「きっと大丈夫だってば」
和音のことも。
隠し事がなくすべてを澄美に告白した。もし秘めたことが一つでもあったとしたら、それは多分……。
いきなり気分が悪くなってきた。思わず愛しい太ももから起き上がり、手で自分の胸をなでおろす。
まさか心拍がこれほど上がってきたとは……。
「奏佑? 急にどうしたの?」
「いや、なんでも」
澄美に心配させないように、俺は適当な返事で流した。
そう、俺は澄美に一つだけ隠していた。
和音が眠っていたときは全然感じなかった。けれど、彼女の目覚めがきっかけで、俺の心の中で一度消えていたはずの恐怖心が、どうやらよみがえったようだ。
母への恐怖心。
そして母に似すぎる和音への恐怖心。
「ね、奏佑。聞いてる? ねってば……」
「ごめん、ちょっと考え事をしちゃって」
「もう、あたしのアドバイスをあげようと思ったのに」
澄美はまた、あの膨れっ面を見せた。
「まあ、役立ちそうにもないと思うけど、とりあえず聞いておくよ」
「きっと母のアドバイスなんかよりずっと有意義だよ」
「ええ」
澄美は自慢げに胸を張ってから言い始める。
「奏佑はさ、別にそんなに複雑に考えなくてもいいじゃない」
「どういう意味だ?」
「自分を追い込みすぎてない? って言ったのよ。最近、ううん、多分年明けの頃からかな。ずっと難しい顔してたのよ、奏佑は」
「別にしてないよ。もともとそういう感じだろ」
「ほら、今もね。笑ってよ」
澄美はチャンスを見つけたように、つんと指を俺の頬に突き出す。本当に油断できないやつだ。真面目な話をしているのに遊び心はいらないだろう。
でも、自分を追い込みすぎているか。確かに、俺は二年生になってからいろいろと考え始めた。特に将来のこと。
そう考えさせたのは、多分澄美が医学部に受かったことが要因だと思う。しかも受かったのはあの名門だからね。
俺はこれまで澄美が通っていた学校に受験し、見事に合格し入学した。小学校、中学校、そして今通っている高校も澄美が通っていた。同じ学校に通うのは当たり前と思っていた。
けれど、さすがに医学部は無理だろう。俺には。偏差値が高すぎる。だから、俺ははじめて澄美と違う進路を選ぼうかと迷い始めた。その結果はこのありさまだ。
「俺は自分を追い込みすぎなんて思ってない」
だた、このように将来を真剣に考えている自分は決して悪くない。答えをちゃんと出せなくちゃ成長できない。
「俺の成長においては必要なものだ。悩やみに悩んで頭を絞ってそして自分の答えを見つけ出す。それこそ成長そのもの。だから俺は自分を追い込んでるなんて思わない」
そう。将来といい、恋愛といい、和音のことといい、悩みに満ちた目先をどうにか乗り越えるのが今の俺に託された課題だ。それがいつか、俺の成長につながる。
「あたしそうは思わないよ」
だけど、澄美は俺の考えを認めてくれなかった。
「奏佑の言うこと、間違ってないかもしれないけど。それは答えが必ず探し出せることを前提にしたって話だよね。もしずっと答えを探せなかったら? それでも悩み続けるつもり?」
「……」
口籠ってしまった。澄美の言葉が胸に刺さり、心を動揺させたから。
だって、実際そうではないか。俺は今まで進路のことで思いわずらっていた。あれこれ考えに考えて、悩みに悩んで、答えは未だに出てこない。どの選択も自分に合わなく、まるで正解なんて存在しない。
恋愛についてもそう。この前は告白するかしないかと迷っていた。場所や時間、セリフや形などを含めて、告白のやり方を何度も頭の中でシミュレーションした。今は未羽との関係を潰さないようという方針で行こうとは思ったが、はっきり言って俺に具体的な策なんて一つもない。
そして恐らく、和音の件についても同じだ。
そう考えていると、今までに悩み続けたのは、まるでただの時間の無駄だった。もちろん、先ほど俺なりに考え出した三つの課題も。
「だったら俺に何しろって言うんだよ」
普段より大きめな声で澄美に怒鳴った。
態度が刺々しくなったのは、俺の考え方が澄美の一言で否定されたからだ。
一体、何のために悩んでいるのか、もうさっぱりだ。
「もう考えるのをやめようよ」
澄美の声につれ、彼女と目が合った。
本当にびっくりだ。その「思考を捨てろ」みたいな発言に。
だってそうだろう。成長するのに思考は不可欠。これは先生に学んだ言葉であり、本で見た言葉でもある。
ただ、いつもなら必ず反論するはずのその言葉に、俺は反論できなかった。
「考えるなんかより、いっぱい遊ぶ方がきっと楽だよ。だから、奏佑はこれからいっぱい遊んで気楽にしてよ」
微笑みながら、澄美は言葉を続けた。
あまりにも無責任な言葉だ。と言うか澄美らしくない。
俺の中で澄美はとてもわがままでマイペースなお姉ちゃんだ。実際遊ぶのが大好きな女。その反面、彼女はよく遊ぶのと同じくらいに頑張り屋でもある。遊ぶときはよく遊び、学ぶときはよく学ぶ。才能だけに頼らずよく努力もする。でなければ、医学部に受かったはずがないもの。
なのに、なぜ澄美がそんなことを……。
それが彼女の本意なのかを探ようと、俺は澄美の瞳を見つめる。その時だった。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ澄美は物憂げな表情になっていた。
「奏佑、見惚れすぎ」
「ちげえよ」
声につられて我に返ったら、彼女はもういつもの澄美に戻っていた。
「ふふん。あたしのアドバイス、いい参考になったでしょ。あの女よりずっと具体的なアドバイスだもんね」
「なってねえよ」
それどころか、もやもやが更に増えた気がした。
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