第6話

「あのさ」

「ん?」

「結局先生なんて言ってた?」

「あっ、言うのをすっかり忘れてた」

 澄美に体重を預けて恐らく五分くらい経ったところ、俺はふっとこの最も大事なことを思い出した。

「だろうな」

「なんで奏佑が偉そうに言うのよ」

 彼女のツッコミをよそに俺は自分自身を反省し始めた。

 告白が失敗した直後、由美さんのメッセージが届いた。これはまさにダブルパンチだと言えよう。あの時から心がめちゃくちゃで不安定だった。ショックを受けたのは事実だ。

 だから、俺は病院にいるにもかかわらず、澄美を頼りにした。一番大事なことまで忘れてしまった。

 情けない限りだ。

 もし由美さんみたいな大人だったら、冷静に対応できたはずなのに。

 幸いなことに、俺はもういつもの調子に戻っている。これからは平常心へいじょうしんを保つべきだ。

 ――よし、平常心平常心平常心。

 呪文じゅもんとなえるように心の中で何度も復唱した。

「で、先生なんて言ってたかよ」

「とりあえず、今は不明なことばかりだそうだよ。数値すうちがいくつ異常に高くなってるけど、原因は分からないって」

「そっか」

 医学に関してはよく知らないが、聞く限りかなり危険じゃないかと疑問を抱えてしまう。言葉の意味をそのまま取れば、先生にはもう打つ手がないようだし。知らないことばかりで余計に心細くなってきた。

 ああ、動揺しちゃダメ。今は平常心だ。

「急にどうしたの? 考え込んでるようなポースを取って」

 自分のポースを確認する。どうやら知らないうちに両手を組んで腰をかがめてしまった。

「また倒れたらお姉ちゃんにできることはもうないだからね」

「余計なお世話」

「素直に世話を受けてもいいのに。お姉ちゃん美人だし」

 言った途端に、とびっきりの笑顔を見せた。

 一体どれほどナルシストなんだろう、この女は。

 ため息をついて急に変な発想を思いついた。

 イタズラをしてみよっか。

前言撤回ぜんげんてっかいしていい?」

「いいよ。素直な子大好き」

「いや、言ったのはもっと前のことなんだけど」

「え、どういうこと?」

「約束の件はさ」

「うん」

「やっぱりお前のことを信じるんじゃなかったなあと思った」

「……」

「だから前言撤回したいって」

「なんで? 奏佑も知ってるでしょ。あたしは女でありながらも医学生だよ。だから信じていいのよ」

 いきなり喧嘩腰になった澄美。些細なことで喧嘩するのはよくあることだが、冷静さは失っていない。

 ここは静かにすべき病院なので、迷惑かけないようにできるだけトーンを落とした。他人からすれば、多分私語を交わしているに見えるだろう。

 それはそれとして、俺は少し安堵した。ぶっちゃけ話ができたのは心が落ち着いている有力な証拠だ。俺は平常心でいられる。

「じゃあそんなお前に聞くけど、和音の異常についてお前はどう思う?」

「そりゃ分からん」

「うわ、使えねえ」

「ちょっと、先生に分からないことが、あたしに分かるわけがあると思うの?」

「ないかな」

 言うまでもなく、先生にできないことは学生にできるはずがない。それはもちろんのことだ。ただ、少しでも意見を聞きたくてあえて聞いてみた。残念な結果が出たのも仕方ない。

 ――ペチッ。

 と、急におでこのあたり痛みが走った。

「デコピンされた理由を教えろ」

「それは罰よ。お姉ちゃんをバカにした罰」

 得意げに笑う彼女を俺は呆れた目で睨む。

「あら、反撃しないの?」

「ああ、おとなげないのはお姉ちゃんだけで十分だからな」

「むっ」

 もちろん反撃しないわけではない。後回しにしただけだ。病院で反撃したら大騒ぎになるから、今は我慢する。リベンジはまた今度だ。

「松倉さん、準備はできましたよ」

 ちょうどこの時、ある女の人が声をかけてきた。

 二人ともびっくりしたように振り向き、そこに看護師の佐藤さとうさんが立っていた。

 どうやら会話を交わしているうちに近寄ってきたらしい。

 澄美は慌てて立ち上がり、ぺこりとお辞儀をした。少し遅れて俺も立ち上がる。

「佐藤さん、ありがとうございます。今からお見舞いに行きます」

「面会時間は七時までですよ」



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