第3話

「球技大会についてはここまでです。皆さん、分からないことはありますか?」

 生徒会長の問いかけに、体育委員やクラス委員を含め、ここにいる全員は返事しなかった。この場で発言しないのは暗黙のルールだとよく聞こえる。

「よろしい。では、いまから次の議題に入ります……」

「ええ?」

「もう無理ですよ」

 会長が言った途端に、委員たちからぶつぶつと不満の声が上がる。

 会議が始まってすでに一時間以上を経過している。壁に掛かった時計はちょうど五時半を回った。

 時間的に考えれば、それ以上続くのはさすがに無理だろう。こちらも未羽との約束時間を破っているし、正直終わってほしい。

「と言いたいところですが、日も暮れていますし、今日はこの辺でお開きにしましょう」

 委員たちの願いが届いたように、会長は散会と宣告した。委員の皆さんは片づけ始め、すぐ教室を飛び出した人も何人いる。

 さて、俺も早くしないと。未羽との約束時間はもはや半時間遅れているから。

「秋林、あんたはちょっと待ちなさい!」

「すいません。話はまた来週でお願いします!」

 その故、会長の呼びかけに俺は振り向かなかった。




 教室から出た後、俺は急いで待ち合わせ場所である昇降口へと向かう。ぎりぎりセーフの速さで廊下を突き当りまで小走りして、右に曲がると階段をバタバタと下り始める。

 体力不足のせいか、慣れないペースで階段を下りることはかなりつらい。三階くらい下りたところで息が切れそうになったので、仕方なく踊り場で足を止めた。

 ハァーハァーと喘ぎながら、息を整えるために深呼吸を繰り返す。

 正直、これほどあせる必要があるか、自分でも疑問を抱えた。

 過去の経験からすれば、三十分遅刻くらいで未羽は腹立たない。文句も言わない。多分、今頃はおとなしく待っているに違いない。そして俺の姿を見つけた途端に、「仕事大変だったね」とか「お疲れ様」とか、微笑みながら迎えてくれるはずだ。

 ただ、必要がないとは言え、足は自分の思いに促されている。この抑えきれずあふれ出た思いに。

 この気持ちを、一刻も早く伝えたい。


 ――奏佑くんと一緒にいられる時間があまり残されてないから


 引き金は未羽のこの言葉だ。友人か恋愛対象か、未羽は俺をどんな風に見ているか正直五分五分だった。だけど、この言葉で気づいた。俺の思いは片思いじゃなくて両想いだった、ということに。

 それを知っていたら黙っているわけがない。告白に行かないわけがない。だから急ぐのだ。

 本当は会議の始まりからずっとあせっていた。会議に集中していなかった。生徒会長に注意されたのはこれが原因なんだろう。


「……もう行かなきゃ」

 十秒くらい休憩してまた足を急がせる。途中で何度も転びそうになったが、なんとかバランスを保てた。

 一階まで降りると、ふくらはぎにしびれるような痛みが走った。六階から一階までの階段を、普段だとおよそ五分かかる距離を、二分以内で完走したから、痛むくらいは当然のことだ。

 もう少し歩くと下駄箱が見えてきた。そこで未羽は予想通りにおとなしく待っていた。どうやら、こちらにまだ気づいていないらしい。

 そんな彼女に近づき、俺は先に謝ろうとするが、

「ご、ごめん。また……またせて……しまって。ハァーハァー」

 息切れのせいでうまくできなかった。腰までかがんでしまってなんと情けない。

「そう、奏佑くん?」

「遅くなってごめんなさい」

「ううん。仕事お疲れ様。大変だったね」

 挨拶も予想のままだ。

 

 この場には他の生徒いない。このタイミングだと邪魔は入らない。

 さて、俺はどうする? 告白する?

 めちゃくちゃな感情を整理しながら、靴を履き替える。手の動きが遅くなったのは気のせいじゃない。

 やっぱり告白しよっか。

 大丈夫。いける。自分に言い聞かせ始める。そして昔から準備しておいた決めセリフを引き出そうと頭を絞る。

 確かに「あのさ、未羽に言いたいことあるんだ」という前置きまで考えておいた。

「よし、行け!」

 独り言で自分に自信をつける。

 緊張してきた。手も足も小刻みに震え始めた。もかしたら汗までかき始めたかもしれない。

「あのさ……」

 下駄箱を閉めたところで、俺は事前に準備しておいた前置きを言い始めた。

「未羽に言いたいことが……」

 だけど、その前置きは途中で途切れた。

 なぜなら未羽に顔を向けた途端に、一つの違和感が生じたから。いまさら気づいてしまったから。

 彼女の頬はいつもより赤く、まぶたには微かに腫れている。まるで泣いていたように。

「ん? 奏佑くん?」

「なにがあったの?」

 結局、告白できなかった。彼女の心配をしたわけじゃなく、それを言い訳にして、肝心なところで逃げてしまった。

「……なんでもないけど」

「本当になんでもない?」

「うん」

 頷いて未羽は目を伏せる。

 この様子だとやっぱり何かあったらしい。

「なにがあったらっ……」

「うるさい」

 つれないトーンで俺の声を遮り、少し間を置いてまた言い添える。

「おかしいよ。奏佑くんこそどうしてそんなに私に構うの?」

「なんで怒るんだよ。俺が遅刻したから?」

「怒ってない」

「怒ってるんだよ」

 俺はつい冷静さを失った。告白が失敗してイライラしているから。だけど、未羽の方はどうなんだ? 俺がいない間に、彼女を泣かせた理由は一体何なんだ? 

 相手の考えを見抜きたいように、いつの間にか目を見つめ合うことになった。

 この一時的な沈黙が続き、それを先に破ったのは未羽だ。

「ね」

「ん?」

「どうしてそれほど必死に走ってきたの?」

「それは……」

 一刻も早く会いにきたいから。と答える勇気がなかった。

「答えて」

「未羽を一人にしちゃいけないと思ったから」

「そっか。やはり私は迷惑だったよね」

 独り言のように未羽は呟いた。

「迷惑って何のことだよ」

「もういい、私は帰る」

 は? 一体何の話? と思ってしまうのも仕方ない。そんな俺を置き去り、未羽は正門へ足を踏み出した。追いついてこないでと言わんばかりに、足のペースはいつもより速い。

「帰るってお店は?」

「寄らない」

 気に入りの店にまで寄らないとはやっぱり今の未羽はどうかしている。まるで別人になったようで全然未羽らしくない。

 彼女の姿はどんどん遠ざかっていく。小さくなっている。そして、なんとなく見覚えがある気がする。

 最近夢で見た光景だ。

 未羽が俺から離れてもう二度と会えなくなるという夢。

 それだけは嫌なのだ。

 迷惑も何も、俺はそんな話をしていない。俺はただ自分の気持ちを伝えたいんだ。

 気がつくと、足は勝手に動かした。ちょうど正門あたりで未羽の手を掴み、力ずくで彼女を止めた。

 未羽は反抗しなかった。手を押しのけようとしなかった。俺の言葉を待つようにただ佇んでいた。

 今はチャンスだ。

 勇気を絞り出して全部を言うのだ!

「ずっと言いたかったんだ」

 好きだって告白して未羽を自分の彼女にする。

「全部言うから最後まで聞いてくれ」

 そして、一緒に勉強して同じ大学に受かる。

「いつも傍にいてくれて本当に嬉しかった」

 これが俺の夢。どこの大学とかどんな学部とかに関係ない。俺はただ彼女と、未羽と一緒にいたいのだ。

「だから、未羽」

 繋いだ手は震えている。俺の手も未羽の手も震えている。多分両手だけじゃなく、体も震えている。

 心臓はドクンドクンと跳ねている。冷や汗はタラッタラッとかいている。

 もうだめだ。吐き気まで感じてしまった。だけど、最後まで言うのだ。そのために必死にしっているから。

「俺は、未羽のことが……」


「ダメ」


「えっ?」

 未羽の小声で俺の世界が止まった。

 言葉も息も一瞬で失った。

 彼女は、なんて言った?

「言っちゃダメ」

「……」

「ダメなの」

 聞き間違えたという可能性を殺すように、見羽は無情に繰り返す。

「…………」

「ごめん」

「………………」

「ごめんなさい」

「なんで?」

「ごめんなさい」

 ついに吐き出せた素朴な疑問に未羽はただただ謝る。

 …………

 ……………………

 ………………………………

 言葉が出ない。

 今の気持ちを言葉にできない。

 苦しい? 辛い? 切ない? 

 こんな言葉で語れる気持ちじゃない。

 頭は真っ白だ。

 意識はおぼろげになる。

「一人で帰るから、放して?」

「……」

「私はさ、弱くて不器用で子供っぽくて」

「…………」

「迷惑かけてばかりで」

「……………………」

 分かりません。何を言ってるのか分かりません。

「私、好きな人いるから、ごめんなさい」

「えっ?」

 この一言で少し意識を取り戻した。

 フフフフフフ~

 ハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハア~

 なんだ、好きな人いるのか。

 それを知っていたら、思わず苦笑をした。

 繋いだ手がほどけた。

 未羽は走り出して見えなくなった。

 彼女は最後まで抵抗しなかった。手を押しのけようとしなかった。ただ涙顔を見せただけだ。

 そして、手を離したのは俺だ。


 いいな、好きな人ができて。

 よかったな、全部言えなくて。

 そして、俺の恋もここでおしまいだ。

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