第1話

 十月上旬。放課後ワイワイし始めた教室。

 俺はリュックを片付けていた手を止め、窓側を眺めていた。

「もうこの季節なのか……」

 外から吹いてくる風は頬を掠め、季節の変わりを知らせにくる。

 十月に入れば天気の変化は激しくなり、秋も冬めいた感じになっている。これはこの時期に、必ずこの北の国に訪れ、本島より早めな冬風がくるためだ。

 別れの季節、終わりの季節、高校三年の晩秋に心のもやもやとした気持ちが強まってくる。

 先輩たちの口にしていた言葉が、なんとなく分かった気がする。


 進路が分からない。

 行き先が分からない。

 居場所なくなるのは怖い。


 そして、この三つを上回り、大切な人との別れも……。

 先輩たちの言葉が今の気持ちと重なると、俺はふっと後ろに向けた。

 ……いなかった。

「奏祐くん、片付けまだだよ」

「ああっ」

 バレたかどうかは分からないけど、心臓がドクンと跳ねるくらいびっくりした。

 振り返ると前にいたのは声の持ち主。席は俺の後ろなのに、いつの間にか前に立っていた。

 名前は笹森未羽ささもりみはね。学校では知らない人いないほどの優等生だ。

 身長は一五五センチでやや小柄。スタイルは人並み程度だか、顔はよく整っている。

 飾りけのない清楚な顔立ちに、目印のような長いポニーテール。ちゃんと校則に従った着こなしはまさに優等生らしい。濡羽色の髪からか、それとも白い肌からか、彼女の周りには、いつもナチュラルな匂いを微かに漂わせてくる。

 運がいいと言うか、悪いと言うか、このクラスでは友達と言える女子は彼女しかいない。

 別に他の女子とは仲が悪いわけではないが、仲良しというわけでもない。

「どうしたの? 急にぼーっとしてて……」

「いや、なんでも。ただ寒くなってきたなぁと思って」

 未羽の問いかけに俺は適当に答えた。

「言われてみれば確かに寒くなったけど、ただ……」

「ただ?」

「ただ難しい顔してたから、考え事でもしてたんじゃないかなと思って」

 心配そうに俺を見据えながら、未羽はそう聞いた。

 もしかして、俺は見抜かれていた?

 四年以上の付き合いとは言え、そう簡単に見抜かれるわけがないと思うけど。

「ところで、まだ提出してないんだ、進路調査票しんろちょうさひょう

 どうやって返事しようかと迷っているうちに、未羽はいきなり話題を変えた。恐らくテーブルに置かれた進路調査票に気づいたのだろう。

 そして、その進路調査票は提出していないどころか、名前しか書いてないのだ。

「奏祐くんなら成績いいし、大学にいけそうだし、進学する気ないのかな」

「まあ、ちょっと……」

 思わず目をそらしてしまう。

 今回は最後の進路調査だ。昔のように適当に大学の名前を埋めるわけにはいかない。

 就職か進学か、まさにありがちな究極の二択。どちらかというと、一応進学にしたいが。ただ、どんな大学にするか、どんな学部にするか、それが問題なのだ。

 高校生になってからはずっと考えていた。ずっと迷っていた。だけど考えに考えた結果、答えを導き出せないどころか、思考がとんとんまとまらないことになってきた。

 自分の将来にかかわるものだから、その大切さを感じてプレッシャーに押しつぶされそうになったかもしれない。

「じゃ、未羽は?」

「えっ! えっと、わたしもいろいろ……」

 問い返すと未羽は髪をいじりながら曖昧な返事をした。

 模擬テストからすれば、名門大学に行くのに、点数を九割以上取れた未羽には難しいことではないはずだ。本番で自分の実力をキチンと出せば恐らく余裕なのだろう。

 対して、八割しか取れなかった俺にはかなり厳しい方だと判明されている。

 それなのに、未羽は俺と同じく進路に迷いがあるらしい。

「でもさ、女性はともかく、男は将来のことをちゃんと決めないとダメだよ」

 いや、それは女も同然だろ? と言いたいところだが、話を未羽に回そうとしたのに、なんで一言でまだ俺のところに戻ってきたの?

「それはまた一つの性差別せいさべつだと思うけど」

「言ったのは現実だよ。夢、目標、向上心こうじょうしんがなきゃただの中身空っぽな人間で、特に男の場合だと、出世できないとか、うだつが上がらないとか、社会はそう判断してるのよ」

「男にひどすぎない、社会って」

 夢、目標、向上心、以上の単語はひとつひとつ心に刺さってくる。

 別に反論したいわけではない。むしろ一理あると思うのだ。

 ただ、夢や目標、というはかないことはそう簡単にできるものではない。簡単に見つけるはずがない。そうでなければ苦労しないのだ。

「くだらねぇ」

 疑いもなく本音だか、それを言い出したのは俺じゃなく、隣の席なのだ。

 名前は藤村知弘ふじむらともひろ。学校では知らない人いないほどのモテモテイケメンだ。

 身長は百八十以上で体つきはたくましい。どこから見てもバスケをやっているようなスタイル。実際バスケ部の部長なのだが。

 ショートツーブロックにした髪型と、日焼けした小麦色こむぎいろである肌は、やけに今時の女子にウケるらしい。

 腐れ縁というやつか、何度の席替えをしても、この三年間はいつも俺の隣人であった。それなのに、仲は全然よくない。よくなろうと頑張っても、無愛想な相手には通用しないのだ。

 他の男子なら、仲良しとは言えないが、話は一応噛み合っている。

 ちなみに、藤村も進路調査の提出を先延ばしにした一員だが、彼の進路について俺はノーコメント。

「あっ! 藤村くんの言葉、空っぽな人がよく言う愚痴だったよ」

「隣の生徒さん、当人として弁解でもすれば?」

「……」

 話を藤村に投げて一瞥したが、返事はなかった。

 こちらに一目睨んできたのに、頬杖を突いたまますぐ逆方向に向けた。

 話しかけても無視される、彼とのやり取りはずっとこの感じだった。やはりコイツとは話が噛み合わない。

 まあ、今度こそ話題をうまくそらしただろうし、今回だけはなかったことにしてやるか。

 で、まさか俺の目的に気づいてわざと無視したのか? さすがにないと思うけど。

「奏祐くん、とぼけることも空っぽな人がよくすることだよ」

「え? 俺は特にとぼけてないんだけど」

「とぼけてたよ」

 ……あれ?

「いや、ほんとにそういうつもりないって」

「さすがに話から逃れたいってすでにバレバレだからね。しかも二回も」

 はぁ、すでに気付いていたら早く教えてくれよ。

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