雪ひらひらの夜に手をつなごう

暁 一徹

プロローグ

 静かな夜に、俺はある女の子を連れてベランダに出た。照明一つも設置されていないベランダには、月明かりが唯一の頼りになる。月の下に、彼女の銀髪はピカピカと光って、やけに美しいと思える。

「ソウスケ……ソウスケ……」

 斜め後ろから、女の子は声をかけてきた。

 名前は秋林和音あきばやしかずね。俺の妹だ。

 十三歳にしては、身長は約百三十センチでかなり小柄。その小学生みたいな体型が原因で、よりかわいらしくて愛しく見える。実際かわいくて自慢な妹だけど。

 薄暗さに不安を感じたのか、和音は一時後ろに隠れようとしていた。だけど、外の景色に気づくとすぐ顔を半分出す。

 小さな手でシャツの袖を掴んだまま、彼女はこちらを見上げていた。何かを言いたげに俺の目を見ていた。

「……」

「……」

 しばらく無言の間が続いたが、もう少し待つと、

「キ、キレイ……」

「うん、きれいだな」

 見事に正しい言葉を和音は探し出せた。そんな彼女に、俺は微笑みながら、相槌を打つ。

「本当にきれいなもんだな」

 と改めて感心する。ひらひらと夜空から雪の粉が舞い降りていく。数多くの中、ひとひらが漂ってきて、ちょうど和音の髪に落ちた。それを払ったあと、俺はふっとひらめいた。

「きれいだって、名前は知ってる? この白いやつの名前」

 小テストの時間だ。

「ユキ」

「正解」

 今度は迷いなく即答。考える時間さえいらないことは、どうやら天気に関する単語はよく身につけている。勉強の成果が出たってことだ。

 そう考えるうちに、またひとひらの雪が漂ってくる。開いた手に和音は雪を乗せた。両手で感じたがっていたのに、雪の粉がまもなくとけて消えていった。

「……ん」

 そのちょっと曇った表情、恐らくがっかりしたのだろう。子供の頃、俺も似たような気持ちを抱えていたな、と俺は思い出した。そして、この残念さを感じることも成長の一つ。なんとなくこう思った。

 ただ、今は恐らくそれどころじゃない。今の和音にとって、大事なのは夢を与えることだ。

「今日はさ、ただ初雪の日なんだよ」

「……ハツ、ユキ?」

「そう、初雪。毎年初めて降る雪ってこと」

「ハツユキ……ハツユキ」

 聞いたことのない単語を覚えるように、和音は何度も復唱した。それを見ながら、いつか漢字の書き方も教えようか、心の中で勝手に楽しみにしていた。

「それでね、今はこんな感じだけど……」

 ひとひらの雪を手に乗せて、それが予想通りにすぐとけていく。けれど、これはあくまで今の話だ。

 十二月になれば、きっとまったく違う景色になるはずだ。

「これからはいっぱい降るんだよ」

「いっぱい……?」

「うん、あっちも、そっちも、こっちも、全部雪なんだよ」

 屋上も、電柱も、通路も、川も、すべてが雪に覆われる。見渡す限り雪の国になる。

「……ゼ、ゼンッブ!」

「そう、全部」

 うるうるとした目で、俺の指さしたところを、和音は眺めていた。

「だから、また一緒に見ようぜ」

 未来の夢を語るように、俺は彼女に誘った。拒否されないように、彼女を抱き寄せて付け足した。

「約束なんだよ」

「ヤクソク」

 と相槌を打った和音が、小指を立てた。「形は大事なんだな」と思い、俺も小指を立てる。

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本呑ます」

「ユビマン、マン……」

「ふふふん、ごめんな」

「むう~」

 俺のペースについていけず、和音はかわいく頬を膨らませた。

 とりあえず約束は結んだ。結んだ約束は守らなければならない。

「カズネ、ソウスケ、イッショ」

「うん、これからも一緒」

「コレカラも、イッショ」

 微かに微笑みをこぼした彼女に俺はナデナデをし始めた。

 和音にはこの約束を破る可能性がない。破るはずがない。俺はそう信じている。

 だからこれは俺自身への戒めだ。もう二度と和音を、自分の妹を悲しませないように、俺は兄としての役割を果たさなければならない。

 小さな約束から、一歩ずつ立派なお兄ちゃんになってみせる。

「……すやすや……すやすや」

「ありがとな、幸せの形を教えてくれて」

 お姫様抱っこの形で、寝息を立てた和音を抱き上げ、寝室へと向かう。彼女の寝顔を見ると、この三週間の出来事が思い浮かばされた。

 進路に悩んでいたり、好きな人に振られたり、俺が人生に迷っている最中に、植物人間だった彼女が目覚めた。

「シリ、タイ……ソウスケのコト、シリタイ」

「いいよ、これからいっぱい教えてやるって」

 時刻は十時過ぎ、ちょうど初雪の夜。

 その日は同時に、俺たち――秋林奏祐あきばやしそうすけ秋林和音あきばやしかずねの共暮らしが認められた日でもあった。

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