02_夜襲

 その晩。

 ヤールとミルコはすっかり眠り込んでいた。クラップも草の上で大の字になり、ゆっくりと腹を上下させている。欠けはじめた月が見え隠れする曇天。生き物の気配はなかった。

 少し眠ってもよさそうだ。焚火はだいぶ小さくなっていたが、薪を追加する気はなかった。害虫の類もまだ湧いてはいないし、火で追い払う必要のある肉食獣もいないようだ。俺は適当に寝転がった。帝都から持ってきた撥水布は、プライムの寝床に使っている。ここ数日は雨もなく、地面も乾燥しているから、草の上に寝ても身体が濡れる心配はなかった。


 しばらく、ほんの少し、眠っていたと思う。何となく気配を感じて、眠りが浅くなった。誰かが小便にでも立ったのだろうか。いや、もしかしたら夢かもしれない。もう少し眠るか、そう考えたとき。

 灼けつくような強烈な殺気。咄嗟に俺は身をかわした。鈍い音がして、俺の頭があった場所に何かが突き刺さる。手を突いて上体を起こすと、一瞬、雲が晴れた。

「てめぇ……!」

 大きな影が呻くように言って、何かを地面から引き抜いた。武器は持たせていなかったはずだ。棒切れか。いや、重すぎる。石か。いや、鋭すぎる。

 俺は抱えていた剣を鞘から抜いた。ほとんど無意識の行動だったと言っていい。もう一度振りかぶったクラップの隙だらけの足下。こちらの体勢を整えるのにワンテンポ遅れたが、低い姿勢からの足払いを食らわせるのは造作もなかった。

 獣の鳴き声のような叫びを上げたクラップの、転びかけた胸元を足裏で蹴倒す。仰向けに転がしたところに飛び乗って、両膝と足で相手の手首から肘にかけてを封じた。左手で首を押さえつけ、右手の剣の切っ先を額に当てる。

 恐らく、単純な筋力は同等か、ことによると身体の大きなクラップの方が上かもしれない。だが、動体視力と瞬発力の鍛え方、さらに圧倒的な場数の違いが結果に出る。木偶人形を組み伏せるくらい簡単に、俺は一瞬でクラップを無力化した。

「夜討ちとはまた行儀がいいな。仲間に別れは済ませてあるか?」

 完治していない左手が悲鳴を上げるが、今は顧みている場合じゃない。左膝で抑え込んだクラップの右手に、棒状のものがあった。斧、に見える。さては、日用品に紛れて薪割り用として積み込んであったか。

 月明かりに照らされたクラップの顔が歪んだ。振り下ろせば一瞬で済む。血で汚れるのを嫌うなら、痛む左手にもう少し力を籠めればいい。

 クラップは顔を歪めたまま、大きく舌打ちした。

「殺したきゃ殺せよ! 馬鹿にしやがって! 返せよ俺の目ン玉! 俺の宿と、馬を返せよ!」

 やはり、生殺しは屈辱だったか。ならば望み通り、目玉だけじゃなく命ごと奪ってやるしかないか。突きつけた剣に力を入れようとした、そのとき。

「やめてぇぇぇぇっ!」

 甲高く、悲鳴のように声が上がった。これだけ騒げば目も覚ますか。傍から見れば、俺が一方的に殺しにかかっているように見えているかもしれない。


 駆け寄ってくるミルコとヤールに免じて、俺は剣を降ろした。クラップが抵抗する様子がないのを確認して、左足で薪割り斧を蹴る。クラップから降りて斧を拾うと、ヤールが駆け寄ってきた。

「ッ、すみません旦那、俺がちゃんとしておかなかったばっかりに……」

 拾い上げた斧を見て、一瞬息を飲んだヤールが頭を下げる。俺は首を振って軽く否定した。ヤールが責任を負う話じゃない。

 慌ててクラップを抱き起そうとしていたミルコを、ヤールが押しのけた。クラップの胸ぐらをつかんで、乱暴に引き起こす。

「クラップよォ……」

 しゃがみこんで顔を覗き込むヤール。顔が近い。今にも食い殺しそうな、距離と目つきだ。

「まだわかんねェかな。あんたが憎むべきは、スコウプの旦那じゃねェ」

 いきなり、至近距離からぶん殴った。目を怪我してるのもお構いなしに、激しく頬を拳で。

「……俺だよ。あんたが憎むべきなのは、最初に旦那を見かけて勘違いしてあんたとミルコを巻き込んだ、この俺だろうがよ」

 のけ反ってぶっ倒れたクラップに、ミルコが悲鳴を上げる。

「憎めよ。恨めよ。殺したっていい。あんたの目玉も、皮膚も、結局全部俺がやったんだ。俺がそそのかさなかったら、いまごろみんな、あの宿で平和に暮らしてたんだからなぁ」

 怒号とも、つぶやきとも違う、粘つくようなヤールの声。ミルコが、倒れたままのクラップに覆いかぶさるように抱きついた。

「やめて、ヤール、やめて、クラップも。死んじゃう! 死んじゃう! いやだよぉ、死んじゃうよぉ!」

 震えながら泣きじゃくるミルコに、ヤールは深めのため息をつく。クラップは意識があるのかどうか、微動だにしない。

「……次、やったら、俺があんたを殺す。いくら大恩のあるあんただからって、これ以上スコウプの旦那に迷惑はかけられねェよ」

 わああああん、とミルコが泣き声をあげた。ヤールは足下を見るように俯くと、細く長く息を吐いた。

「……旦那、お騒がせしました。ちと、食いモンでも探してきます。ランタンと斧を借りていきますぜ」

 消えた焚火を吹いて熾火を起こし、火口を種火にしてランタンを灯すと、ヤールは斧をぶら下げて森の奥へ消えていった。


 泣いていたミルコが寝静まってしばらく経った。クラップの腹が上下しているから、死んではいないんだろう。あれからなんとなく寝付けずに、俺はぼんやりと月を眺めていた。

 空が明るくなる前に、ヤールは帰ってきた。抱えているのは、木の枝だろうか。斧があったせいか、いつもより大ぶりの成果物だ。

「旦那、まだ起きてたんですか」

 枝を荷車に積み込みながら、ヤールが言う。ああ、と返事をすると、ランタンを消して、ヤールが歩み寄ってきた。

「クラップのバカのせいで、起こしちまいましたもんね……。本当に、申し訳ない」

 俺はもう一度首を振った。ヤールのせいなんかじゃない。

「ヤール、お前……わざとやってるだろ」

 何が、ですかい? とぼけたふりが、かえって俺の確信を強める。

「クラップのことだ。お前、わざとクラップの怒りを自分に向けようとしてるよな」

 へへ、と笑って、ヤールは鼻の頭を指でこすった。

「事実を言ってやっただけですよ。俺が初めてスコウプの旦那を見たとき、黒髪の女の子で早合点しなけりゃ、こんな風にはならなかった」

 ま、旦那のおかげでフラファタは丸く収まったわけですけどねぇ。ヤールは言って、自嘲しながら空を仰ぐ。

「旦那。厚かましいお願いで恐縮なんですが……もし、俺がクラップにやられちまったとしても、そいつは俺の意思です。どうか責めないでやってください。それと……」

 言いにくそうに言葉を切ってから、ちらと俺を見た。

「ミルコと……クラップを、お願いします。あいつら、決して悪い人間じゃねぇんです。最寄りの村までで構いません、どうか、せめて人の住める場所まで、連れてってやってくれませんかねぇ」

 俺は、思わずため息をついた。面倒ごとを、という気もゼロではないが、そんなことより。

「ヤール、お前、どうしてそう死に急ぐんだ」

 この男、自分の死を解決策にすることばかり考えている気がする。

 ヤールはへへへと笑って、鼻をこすった。

「そりゃ旦那、俺の命がやっすいからですぜ。こんな命一つ投げ出すだけでクラップやミルコが助かるなら、お得としか言いようがない」

 阿呆か。俺から見れば少なくとも、ヤールはメンバーの中で一番役に立っている。御者をミルコと半々で担当して、手早くて旨い調理や食い物の採取まで。働きすぎじゃないかと心配になるくらいだ。

「安いわけないだろ。俺から見ればクラップの方がよっぽど……」

 言いかけて、それを言われるのをヤールが最も避けていたことに気づく。いや、悪かった、と言葉を濁したが、意図は既に、充分すぎるほど伝わってしまった。

 ふ、と小さく息を吐いて、ヤールは俺をじっと見た。

「旦那。日中に、俺の生まれの話をしたの、覚えてますか」

 ああ、と答える。どこかの旅先で生まれたと言っていた。両親は冒険者だろうか。だとしたら、住む場所が決まっていたか否かの違いで、俺と境遇は変わらないのかもしれない。

「旅の空、なんて綺麗事言っちまいましたがね。俺の両親は……盗賊団にいたんですよ」

 想像と少し違った。まあ、冒険者の中にも盗賊紛いの者が混じっていたりするから、たまたまギルドに所属していなかった、無許可の冒険者くずれという見方もできなくもないが。

「野営しながら暮らしてましてね。食い物が尽きると、村や町を襲うわけです。腕の立つのが多かったのがいけなかった。追い剥ぎの類で細々とやってりゃ良かったのかもしれませんが、大人たちは、餌食にした集落はことごとく壊滅させちまいましてね。その方が後腐れがないとかなんとか」

 いや、想像とだいぶ違った。そこまでやっちゃ、流石に討伐依頼が出るはずだ。

「後腐れどこじゃねぇですよ。金目当ての冒険者に追い回されるようになっちまって、最期は……野盗狩りで」

 まさか。腹の奥がギュッと冷えるような感覚。俺の参加した野盗狩りじゃないだろうな。

「俺も14になってたんで、なんとか応戦しようとしたんですがね。流石に、炊事担当のコソ泥にやられるほど、帝国の正規兵ってのはヤワじゃなかったって話で」

 ヤールが14歳の頃か。流石に俺の参加した野盗狩りではない。だが、恐らくクレシュ辺りは参加しているはずだ。

「手傷を負って逃げて、逃げて、フラファタの手前あたりで力尽きてぶっ倒れましてね。ああ、人殺しの泥棒の子どもはこうやって死ぬのか、って諦めかけてたとこに通りかかったのが……クラップだったってわけです」

 ああ、と俺は、相槌ともため息ともつかない声を漏らしていた。ヤールがクラップをここまでして庇う理由が、ようやく見えてきた。

「俺を拾って、傷を手当てして、仕事まで教えてくれたんですぜ、クラップは。旦那から見れば確かに、迷惑な足手まといかもしれねぇ。けど、切り捨てちまうわけにはいかねぇんです、俺は」

 へへ、とヤールが自嘲する。

「だから俺はね、殺されて当然の、やっすい人間なんですよ。なんなら旦那がここで、盗賊団の残党狩りだーって俺の首を刎ねたって、何にもおかしかないんですぜ」

 そう言って、首をすくめてみせた。


 ヤールがクラップを庇う理由はわかった。だが。

「……だからって、何もそこまで死に急ぐことはないはずだ」

 俺は言った。今でこそ帝国のお墨付きで大手を振ってるが、元を辿れば冒険者だって似たようなもんだ。

 帝国が冒険者にハンターライセンスを付与し始めたのは、およそ200年前のことと言われている。当時の冒険者といえば、礼儀知らずの荒くれ者ばかりで、冒険とは名ばかりの盗みや略奪を繰り返していた。それに対抗するために組織された各地の自警団も、凶作や飢饉のたびに自らが野盗となり、他の村を襲う始末。当時即位したばかりの皇帝、セルファス12世にとって、冒険者の取り締まりは急務だった。

 帝国軍の人員を強化するため、正規軍とは別に臨時で冒険者を募って編成する「風切の隊」を最初に編成したのもセルファス12世だ。しかし当時の冒険者たちは、隊内での喧嘩で殺しあったり、仕事を途中で放棄したりと、その働きぶりは散々なものだったらしい。ついには部隊の支給品を身につけたまま敵に寝返るものまで現れ、風切の隊は帝国所属の野盗とまで噂されるようになった。頭を痛めたセルファス12世が次に行ったのが、全国の力自慢を集めた武闘会だ。

 武闘会とはいえ、勝負は真剣そのもの。一説には、最大の狙いは野盗たちの首領を殺し合わせるためだったとも言われている。事実、最初の大会では、100人を超す参加者の半数以上が、試合中に命を落とすか、二度と戦えないほどの深手を負った。初優勝した男の名はエルブン。彼と、彼の配下にあった32名の冒険者に、多額の褒美と初めてのハンターライセンスが与えられた。当時はライセンスに階級はなく、ライセンスを持つものだけが「冒険者」を名乗ることを許された。

 当初は2年に1回行われていた大会で、エルブンは実に7回の連続優勝を収めている。その間、エルブンの組織する集団の人数も加速度的に増えていった。エルブンは力だけでなく人格的にも優秀であったと言われる。彼のもとへ冒険者志願するものは厳しく教育され、見込みのないものは追放されたという。団員が300名を越えるころ、冒険者組織を帝国の管轄にすべき、とエルブン自らが申し出た。セルファス12世はこれを受け入れ、エルブンに特別ハンターライセンス、現在のA級ライセンスを付与し、後進の冒険者たちの指導者として帝国の首都に迎え入れた。現在まで12人のA級ライセンス保持者の最初の1人は、こうして誕生した。

 その後、主に冒険者保護の目的で、B級以下あわせて4段階の階級が設けられた。エルブンの時代に、既に各地の冒険者ギルドはあらかた完成し、官民問わずさまざまな依頼が舞い込むようになっていた。依頼を受けられるのはD級以上のハンターライセンスを持つものだけで、依頼の難易度によって危険度が設定されている。ただ、ほとんどの依頼はD級、つまり初級ライセンスがあれば片付くものばかりなので、現在では職業として冒険者を名乗るものの80パーセント以上が、初級ライセンス保持者となっている。

 それでも、登録されることを嫌ったり、冒険者ギルドの取り分を中間搾取と嫌う者たちの間では、ギルドを通さない依頼が横行する。依頼の斡旋ができる公認宿の数が制限されているのは、依頼を集中させることで宿の収益を安定化させ、非公認宿の運営を厳しくさせる目的があるとか聞いたこともあったが、実際のところどこまで効いているのかは分からない。

 かいつまんで説明しようかとも思ったが、何をどこまで話しても、ヤールには届かない気がした。

「……俺たち冒険者だって、まあ、似たようなもんだしな」

 ふ、と息を吐いてヤールが笑ってみせる。

「大胆なこと言いなさるんですね、帝国のA級ハンターさんは」

「生きてくために誰かを殺す。それが公認か非公認かってだけの話だ」

 無茶言いますなぁ、とヤールはつぶやく。

「そりゃあ旦那、生きてるものはなんだって、大抵そういうもんですぜ。同じ人間だ、って言ってるのと変わりゃしません」

 やっぱり、届かなかったか。いや、届いていないのは、俺の理解のほうか。ヤールの抱える深淵のほとりに佇んで、穴を埋めようと小さな石ころを投げ込んでいるような愚かしさ。

 ヤールは、人間に、それも帝国という巨大な人間集団に、生きていることを一度否定されたのだ。それがどれほどのことなのか、俺には実感することができない。帝国と一線を画すフラファタ領に安寧を得たのも、あるいはそういうことなのかもしれなかった。


 いつの間にか、月は再び雲に隠れていた。東の空が少しだけ、黒から紺に変わりはじめている。ヤールが、小さくあくびを一つした。

「つまらねぇ自分語りに付き合わせちまいました。朝食を用意するまでまだ時間があります。少しでも、体力温存といきましょうぜ」

 軽く会釈してみせると、立ち上がって元いた場所に戻っていく。ミルコの隣で横になると、それっきり、何も話さなかった。

 少なくとも、ここまでされて再襲撃を仕掛けてくるほどクラップもバカじゃないだろう。そもそも、あれだけ強烈なヤールの一撃を受けているし、しばらくは起き上がってさえこないかもしれないが。

 寝転がると、青草の潰れる独特の匂いがした。

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龍の峰の医者 外伝 栗印 緑 @souzo17mm

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