爆撃の凶鳥

01_馬車道

 森のはずれで、ちびのミルコが馬にブラシをかけている。痩せたヤールは焚火に鍋をかけ、その横に座り込んだクラップは巨体をかすかに上下させ苦しげに息をついていた。その様子を眺めながら、俺は手慰みに剣の手入れをしている。プライムは休憩ごとに馬車から降ろして木陰に寝かせているが、容体は良くも悪くもなっていない。フラファタ川を渡るための迂回もここまで、そろそろ街道に合流できそうだ。

 馬車を使えば飛躍的に距離が稼げると期待したが、現実には思ったほどでもなかった。馬を休ませる必要があるのだとミルコは言う。六月の森には馬の好物がいくらでも生えていて、積み込んだ飼葉を消費する必要はない。馬たちは、ミルコが集めた柔らかそうな草木を食んで水を飲んでいた。オルセンキア産の魔馬との触れ込みだが、とりあえず、食う量が尋常でないことだけは間違いない。


 はじめのうちはかなり苛立った。たいして早くもならないうえに、足手まといが3人。クラップに至っては、目が合うたびにぶっ殺すと吐き捨ててくる。

 いっそのこと、馬車を捨てて一人旅に戻ろうかとさえ考えた。が、いくら遅いとはいえ、徒歩より時間がかかるわけではない。プライムを背負う必要がなくなった分、肩が腫れ上がることもなくなった。獣道に近い森を行く馬車の揺れはかなりのものだったが、それを差し引いても座ったまま移動できるのは魅力的ではある。休憩を取らずに歩き続けた結果を思い出し、休むのもまた行軍と腹を括った。

「できましたぜ旦那、ナッツとドライフルーツの蒸しパンです」

 一口味見してから、ヤールが柔らかいものを湯気の立つ鍋から差し出す。俺は4つに小分けにされたパンの一切れを取った。馬車に積んであった小麦粉に、乾燥果実と甘蜜、道中で拾ったナッツ類と小鳥の卵を加えて発酵させ、蒸したらしい。息を吹きかけて冷ましながら頬張ると、フルーツの香りとナッツの香ばしさが鼻に抜けた。しつこくない甘さが、フルーツの酸味とともに口の中で溶ける。プライムが喜びそうな菓子だ。一人で旅していたら、絶対に口にできない食い物だった。


 ついてきてしばらくは、ヤールは約束通り俺の飯だけを作り、自分たちは拾った草だのキノコだのをかじって飢えをしのいでいた。だが、ただでさえやつれた顔が日に日に生気を失っていくのを、俺としても黙って見過ごすわけにもいかない。クラップは俺に恨みを持っているし、俺一人がまともなメシを食って反感を買いつづけていては、いつまた怪しげな薬を盛られないとも限らなかった。同じ釜のメシを食っていれば、その心配も多少はなくなる。毒味も兼ねて、俺は全員に同じものを食うように指示したのだった。

「しかし、美味いな。ヤールはどこでこんな料理を覚えたんだ?」

 蒸しパンを頬張りながら俺が聞くと、ヤールは灰色の髪をかきあげて、へへへと照れ笑いを浮かべた。てっきり短めだとばかり思っていたヤールの髪は、頭の後ろが長く、紐で一つにまとめられていた。背中の半分ほどまで届く、結構な長さだ。

「どことも知れぬ旅の空の生まれでしてね。こういう暮らしには慣れてるんですよ。子どもの頃は、もっぱら炊事担当だったもんで、料理は自然に身についたというか」

 緑色の瞳を細めてパンを頬張り、残りの一つを隣へ手渡した。

「根無し草だった俺を、面倒見てくれたのがクラップだったってわけです」

 パンを受け取ったクラップは、鋭い視線で俺を睨みつけている。後の二人と違ってクラップだけは、俺への殺意をむき出しにしたまま同行していた。いくら大男とはいえ、全身の火傷と左目の損傷を受けたままでは、敵としても味方としても戦力外だ。その火傷も失明も俺が手を下したわけだから、恨みたくなる気持ちもまあ分からんでもない。だが、俺だって拘束された挙句、ハンターランクの証である刺青の入った左腕をちぎられかけている。命のやり取りをした相手同士、お互い様だ。ようやくまともに動かせるようにはなったが、左腕には力を入れるとまだ痛みが走る。手厚い手当を受けたおかげでクラップほどひどくはないが、俺の背中の火傷だってまだ完治したわけではなかった。

「スコウプさん、背中、いいですか?」

 馬の世話を終えたミルコが薬を抱えて寄ってきた。腕や脚の火傷はともかく、背中だけは手が届かないから助かる。手早く蒸しパンを飲み込んで、俺はシャツを脱いだ。


 だいぶ治ってきたせいなのか、あるいはミルコが相当気を遣っているのか、薬を塗り込まれてもあまり痛くは感じない。自分で手の届く範囲の火傷は、痕が残るとはいえほとんど治ったといってもいいくらいまで回復していた。背中以外はもう、包帯も要らないくらいだ。

「あの……、今日も少しだけ、いいですか?」

 薬を塗り終えたミルコが、おずおずと言う。俺は無言で頷いた。茶色がかった緑の目を細め、ほっとしたような表情を浮かべると、薬を抱えて嬉しそうにクラップに駆け寄っていく。やや癖のある金色の髪が、頭の上でふわふわと跳ねていた。

 馬車に積まれた火傷の薬を、クラップにも使わせているのだ。どうせ俺には使い切れないほどあるし、傷が腐って道中死なれても困る。クラップが俺と決着をつけるつもりなら、呪詛ばかり吐いていないで、さっさと傷を治して本気でかかってきてくれたほうが始末がいい。

 目の合ったクラップがまた小さな声で、ぶっ殺す、とつぶやいた。こまめに殺害を予告されたところで、丸腰の怪我人の手にかかるほど俺も間抜けじゃない。いっそ、馬車の食糧を食われることのほうが迷惑なくらいだが、置き去りにすることだけはヤールとミルコが許さなかった。二人の懇願を無視すれば、馬車の御者を失うことになる。馬車を捨ててまで、この小さな不快感を拭い去りたいという気持ちはなかった。


 馬車が手に入った直後はヤールがクラップを担いで走っていたが、遅いうえにヤールが過労で死にかけるため、俺は結局二人を客車に乗せることを許すことにした。今では、ミルコとヤールが交代で馬車を御している。馬車で多少はラクできる分、夜の警戒はなるべく俺がやるように心がけていた。疲れて眠る二人の横で、馬車の食い物を漁りに来た獣を既に何度か追い払ったりしている。目を覚ます様子もなく眠り込んでいたから、気づいてさえいない可能性が高い。


 薬を分けて、馬車にまで乗せ、何の役割も与えずメシまで食わせて、毎日罵倒されているんだから俺もたいがいお人よしだ。感謝してほしくてやってるわけじゃないが、もう少し、態度を改めてもバチは当たらんだろうに。俺が眺めていると、包帯を巻かれ終わったクラップがこちらに気付き、ぶっ殺す、とまた吐き捨てた。

「……クラップ、いい加減、よしときなよ」

 言いながら、ヤールが俺とクラップの前にカップを置いていく。蒸しパンを作った鍋の残り湯を使って、草木を煮出した茶を淹れたらしい。いつも休憩となるとふらりといなくなるヤールは、いろいろな食材を抱えて数分で戻ってくる。この茶も恐らく、そうして得た食材だった。植物の知識は確かなようだ。

「キイチゴの葉が多く採れたもんでね。美味いと言えるほどのもんじゃあねぇですが、腫れた傷を鎮めるのに少しは役立つかもしれねぇですぜ」

 言われて、出された茶を飲んでみる。なるほど、確かに味はそれほどのものではない。が、白湯を飲むよりだいぶいい。これで少しでも傷の治りが早まるのなら言うことはなかった。

 クラップは無言でカップを取り、少し飲みかけて熱ッ、と身体を縮めた。

「ああ、言い忘れた。見りゃわかるが、淹れたてで熱いぜ。猫舌のクラップにはまだ早かったな」

 ヤールの言葉に派手に舌打ちして、クラップはカップを置く。苛立たし気に栗色の短い髪をつかむと、嘆息にしては荒々しすぎる息を吐いてそっぽを向いた。


 飲み干したカップをヤールに渡す。ヤールは空いたカップに残りの茶を注ぐと、ようやく座ってパンを食べ始めたミルコに手渡した。

 カップをはじめ、食器類はすべて2つずつ揃えられていた。ウォルス卿の配慮だろう、恐らく、もう一つはプライムの分だ。プライムをきちんと頭数として勘定に入れて、一人前扱いしてくれたんだろう。

 だが、この食器、目を覚ましたプライムと二人で焚火を囲んで使うために揃えられたのだと思うと、何とも言えない気持ちになる。きっと、めちゃくちゃにはしゃぐんだろうな、プライムのやつ。俺が島を出ようとするたび、執拗についてこようとしていたし。

 プライムを見やる。寝息も立てず、鼓動すらせず、ただ静かに、そこに横たわっているプライム。そんな美味しそうなお菓子スコウプばっかりずるい! と、今にも起き上がって声を上げてきそうなのに。

 早く、こいつを目覚めさせてやらないと。起きたとき、きっとすごい文句を言われるぞ。

「……やっぱり、大好きなんですね」

 声に驚いて、慌てて振り向く。

「ごめんなさいっ。スコウプさん、いつもプライムさんを眺めてるなあって思って……」

 ミルコが恐縮していた。咄嗟に否定しようとして、訂正する要素がないことに気付く。からかわれているわけでもないようだし、無理に反論する必要はないか。

「あの、気を悪くさせちゃっていたらすみませんっ。でも、ほんとに、なんていうか……プライムさんを見てるときのスコウプさんを見ると、なんだか、僕、あったかいような、切ないような、胸が苦しいような、すごく……不思議な気持ちになるんです」

 変なことを言う。まるで、心の中を覗き込まれているみたいだ。

「だから、その……僕なんかができること、あんまりないんですけど、できれば少しでも、力になりたくて……。プライムさん、早く良くなって欲しいな、って……」

 ごめんなさいっ。なぜかもう一度謝って、ミルコはふわふわの金色の頭をぺこりと下げた。俺はただ、燃える焚火の炎だけをじっと見つめていた。

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