12_対話

 マウチャ・フーフェ、ディーエン・バイオン。子どもたちが歌っている。

「発動体もなしに、どうやって……」

 メイシアがつぶやく。その場にいる全員が、座り込み、動けなくなっていた。そういう魔法なのだ、と老婆は言う。子どもらしい無邪気な声色が合わさって、呪歌が紡ぎ出されていた。

「心配しなくてもいい、魔法が効いてるのはあたしらもおんなじだ。歌が終わりさえすればまた動けるよ」

 座り込んだまま老婆が言う。メイシアは眉根を寄せて、強く嘆息した。

「子どもたちにまでこんなことをさせて……効力が何であれ、禁呪なのですよ、これは!」

「なあに、害はないよ。皆で座って話をするための魔法さ。昔からフラハの子らが、毎朝勉強の前に歌っているくらいだからねぇ」

 老婆が笑う。音楽魔法を禁呪に指定したのは帝国だ。彼らにとっては、日常に使う身近な魔法なのかもしれない。

 子どもたちの歌が響く中、エリヤ姫が口を開いた。

「ここに連れてこられて、話を聞いてから、ずっと考えていました。……私は、どうすべきなのかを」

「エリヤ様、あなた様はあたしらフラハの民の光。この日をどれほど待ち望んでいたことか。エリヤ様には必ず、女王にご即位いただきますぞ」

 言葉は恫喝めいているが、老婆の声は懇願に近い。

「いけません姫さま! 姫さまにはフラファタ領をあずかり護るという大役があるのです。このような場所で帝国に背き禁呪を操るなどもってのほか!」

 メイシアのそれは、怒りというより悲鳴に近かった。


 エリヤ姫はゆっくりと頷いてみせた。どちらを肯定したのかは分からない。

「私の母レミアは、私を産んですぐに病で亡くなりました。ですから私は、母のことも、フラハ族のこともあまり知りません」

 閉じていた右目が開かれる。赤く充血した緑色の目が現れた。

「母がフラハ族の族長の血を引くということは、父から聞いて知ってはいました。私をあまり外に出さず、城内で育てていたのも今なら理由が分かります」

 誘拐の危険を、ウォルス卿は常に意識していたのか。

「あなたがたフラハ族が、私が18歳になるのを待っていたのは、その日までに私が破魔の呪法を身に着けるのを知っていたからですよね」

 言って、姫は老婆を見る。老婆は目を見開いたまま、答えなかった。

「破魔の呪法と、結界歌。両方を使える女王が欲しかったということ。そう、ですよね」

 老婆はしおれるようにうなだれた。

「女王陛下と王子、レミア様を失ったあたしらは誓ったんだよ。必ず、あたしらの女王様を奪い返すと。そして二度と、これ以上森を焼かせたりしない、と。本当はね、レミア様を取り返そうとも思ったんだ。ああ、そうだ、そうしておけばよかった。帝国の男なんかに子を産まされて死ぬことになるくらいなら。でもねぇ」

 老婆のうつむいた顔から、一滴の液体が落ちる。

「レミア様を取り返せば、あんたら帝国はすぐに森を焼きに来る。レミア様が結界歌を歌ってくだすったとして、ウォルスの破魔で破られてしまったら、レミア様は術により命を落とすことになるじゃろう……それはできんかった」

 メイシアが息を飲んだ。

「そんな……! 破魔の呪法には、相手を呪い殺すような力はないはずです!」

「音楽魔法のほうさ。旋律の途中で歌が遮られれば、行き場を失った魔力は術者に刺さる。それが強い魔法なら命を失う。音楽魔法ってのはね、そういう魔法なのさ」

 俺は思わず子どもたちを見た。わらべ歌か何かのように無邪気に歌い続けているが、これを遮ったらどうなってしまうのか。やはり音楽魔法は危険な魔術なのかもしれない。そう思ったとき。

「そう。だから婆、あなたの目論見ははずれです」

 エリヤ姫が言った。老婆はぴたりと動きを止める。

「破魔には破魔を当てればいい、とあなたがたは考えたのでしょう。確かにそうすれば、父の呪法を打ち消すことはできます。でも、父は結界が張られていなければ破魔を使うことをしません。そして私は、結界を維持しながら破魔を打つことはできない。私が結界歌を歌えば破られて父に殺され、歌わなければ兵士たちが攻め入ってきます。フラハ族に勝ち目はありません」

「な……!」

 老婆はわなわなと震えはじめた。顔じゅうにじっとりと、汗をかいている。

「詳しくは話せません。破魔の呪法は一子相伝ですから。ですが、結界歌を歌いながら発動できるものではない、とだけは言えます」

 言い切った姫に、老婆は返す言葉もないようだった。


「……おかしいですね」

 メイシアが口を挟んだ。

「だとしたら何故、ハロッズ様はすぐにも兵を差し向けなかったのでしょう。少なくとも、大々的な派兵をした様子はありませんでしたが」

「アジトが分からなかったんじゃないか? それに、音楽魔法の特性を知らなかったとか」

 俺が言うと、メイシアは首を振った。

「いえ、ハロッズ様は恐らくご存知です。レミア様はひとつだけ、使うことができましたから……人を眠らせる音楽魔法を」

 弾かれたように老婆が顔を上げた。ああ、ああ、と言葉を奪われたかのようにうめく。

「覚えて、おいでだったんだねえ、レミア様は。女王陛下の子守歌を」

 見開いたままの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。ぐええ、と醜い嗚咽を漏らした。

 やはり、と小さな声でエリヤ姫はつぶやいた。

「そんな気はしていました。音楽魔法のことは、私には絶対に教えてはくれませんでしたけど」

 小さく息を吐いて、姫は言葉を継ぐ。

「フラハ族について、私はあまり教わってきませんでした。幼いころは、野盗の別名だと誤解していたこともあるくらいです。でも、今ならちゃんと分かります。フラハ族がどんな人たちで、どんな想いを持って暮らしてきたのか」

 そして、と続けながら、姫はメイシアをじっと見る。

「父や城の者たちが、どんな想いで私に母のことを隠してきたのか、ということも」

 メイシアは噛みつくように声を上げた。

「でしたら、おわかりでしょう! 姫さまは、こんな場所で禁呪など弄していていいお方ではないということを……!」

 咆哮にも似たメイシアの叫びに、しかし姫は、ゆっくりと笑みを浮かべてみせた。

「私が、こんな夜中に音楽魔法で眼球を飛ばしていたのは、なぜだと思いますか……?」

 奥歯を噛みしめるメイシアに、姫が続ける。

「……父を、見ていたのです。婆には幾度となく止められましたけれど。音も聞こえず、声を届けることもできず、ただ見ることしかできませんでしたが、あれほどまでに苦悩する父の姿を見たのは初めてでした」

 メイシアがぎゅっと目を閉じた。

「当たり前です……ハロッズ様は、姫さまと、レミア様をなによりも愛しておられるのですから……!」

「そう……ですよね……」

 エリヤ姫の微笑みは、自嘲にも見えた。

「父の手勢と索敵能力を考えれば、この場所に気づいていないはずはないんです。攻め入って来ないのは、私を見限っているか、あるいは……」

 殺したくないからか。ウォルス卿の、疲れ切った顔を思い出す。恐らくすべて分かった上で、帝国への言い訳を考えていたのかもしれない。あるいは、討伐命令が下るまでの時間稼ぎか。


「なれば……逃げましょうぞ」

 老婆が、地を這うような低い声で言った。

「女王となるべきエリヤ様さえおられれば、我らフラハの民、森を離れたとて散りは致しませぬ。フォートナムの孫が攻めあぐねているのであれば好機は今。エリヤ様の命を守り、フラハ族再興の芽を残すには、これしかありますまい」

 もしかすると、他ならぬウォルス卿自身がそれを待ち望んでいるのかもしれない、と俺は思った。娘を手にかけることもなく、厄介なフラハ族をこの地から遠ざけることもできる。だがそれは、最愛の娘との永遠の別れをも意味する。


「逃げる……ですって? ふふ、見くびられたものです」

 しかし、暗い笑い声を上げたのはメイシアだった。

「逃げるからには、私たちを縛るこの忌々しい禁呪を解くおつもりですよね? まさかここから、自由になった私たちを差し置いてやすやすと逃げられるとでも?」

 メイシアの突き刺すような視線に、老婆は刮目して応える。

「あたしだって、まだ目くらましの歌くらい歌えるさ。いくら身体を炙られようが、皆が逃れるまで、歌い切ってやるさね」

 愚かな、とメイシアが吐き捨てる。

「入り口にいた男性がたをあてにしているなら残念です。戻ることはありませんよ。全て片付けさせていただきましたから」

「ああ、分かってるよ。悲しいけれど、あの子らは憎しみすぎたし、急ぎすぎた。エリヤ様をお連れするとき、誰も傷つけないようにとあたしが用意したファレイ草の水薬をエリヤ様にしか使わずに、2人も殺しちまったんだから」

 自業自得さ、と老婆はつぶやいた。

「ハナから無理な話だったのさ。森を焼くような侵略者と、融和だの共存だのと。あたしらはただ、静かに森で暮らしたかっただけなのに。そう、あのフォートナムを少しでも信じて待ったあたしらも、自業自得。フラハの民がまだ森に大勢いるうちに、もっとやるべきことがあったのさ。レミア様を見殺しにしちまった、あたしらの罪だよ」

 老婆が、自嘲とも嗚咽ともつかないゲエッという気味悪い声を立てる。メイシアの杖を握る手に力が篭るのが見えた。

「フラハ族……フラハ族のためにウォルス家がこれまでにどれほど砕心してきたのかも分からないとは……!」

 メイシアの大きな胸が、ぶるんと不自然に揺れる。恐らく、音楽魔法に抗って身体を動かそうとしているのだ。

「フラハ族さえいなければ、私は……!」

 私は、ハロッズ様と、もしかしたら。俺の聞き違いかもしれない。真横にいても聞き取りにくいほどの、声にすらならない、小さなつぶやきだった。

 老婆が目を細める。子どもたちの歌声に乗せて、その旋律を壊さないままに、別の歌を歌いはじめていた。メイシアもまた、身動きの取れないまま、杖に魔力を込めはじめている。

 やるしか、ないのか。俺は剣を握り直した。

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