11_襲撃

 森の中、入り組んだ木の根を何度も越えたところに、その建造物はあった。

「神殿、でしょうか……?」

 確かに、祠と呼ぶにはかなり大きい。が、河原の粘土と木片を積んだだけの古びた建物は、利教の聖堂とはまるで違う。大きさは普通の民家程度、造りは子どもの秘密基地だ。薄板の扉らしきものの左右には石の台が置かれ、肉と小花を混ぜ合わせた供物のようなものが乗せてあった。屋根とも呼べない土塁の上には、草木を編んだ円形の飾り物が掲げてある。両腕を広げたくらいの大きさがあるから、ただの民家の装飾とは考えにくい。

 しかし、辺境の村の寂れた教会でも、もう少しマシじゃないのか。そこかしこに苔がむしている。粘土で固めた木片は、木材とはとても呼べない、樹皮や朽木の欠片ばかりだ。木の芽が吹いているところもある。だがそのせいで、少し離れるとまるで自然の地形のようでもあった。

 入口は細く開いていて、中から湿った空気が流れてきていた。扉の前には、あの血痕が落ちている。例の小さい化物がここに入っていったのは間違いないだろう。


「いかがしましょうか」

 言いながら、メイシアは背中の杖を抜いている。おいおい、いかがも何も、めちゃくちゃやる気じゃねぇか。

 白昼堂々鮮やかに姫を攫ったフラハ族だ、夜だからといって警戒は薄くないはずだ。例の使い魔らしき化物も傷ついて戻っている。仮に罠でなかったとしても、待ち構えられていると思った方がいいだろう。

 だからこそ、エリヤ姫が心配にもなる。こちらが動き出したことを知ったら、奴らは人質をどう扱うか。場当たり的な誘拐なら、追い詰められたと慌てて、姫を殺害する恐れもある。あまり悠長には構えていられない。

「……入るぞ」

 もう充分に警戒しているメイシアに、これ以上の指示も警告も不要だろう。扉からやや離れたところで杖を構えたメイシアの意図を汲んで、俺は剣を抜くと正面から扉を蹴破った。


 案の定、矢が飛んできた。想定していた俺は傍に身をかわし、代わりにメイシアが火球を中に投げ込んだ。ぎゃあっ、と中から悲鳴が聞こえる。

 複数人の気配。追加の矢は来ない。飛び込むと、正面から何かが覆い被さるように襲ってきた。反射的に右上から左下に袈裟懸けを決める。肉と骨を断つ手応え。金属系の防具はつけていない。

 左からもう一人。右に避けて間合いを取る。さっき振り下ろした左下の剣を、振り戻すようにバックハンドで右上へ。脇腹から入って肋骨に当たったか。今の右腕一本では斬り上げるほどの力は出ない。奥へ蹴り込んで剣を引き抜いた。残る気配は3人か。蹴った足裏に臓物の柔らかい感触が残った。

「悪ぃが、こっちの都合で今ちっとイライラしててな。手加減できる余裕はねぇぞ!」

 背中の痒みもさることながら、完全に体力が戻ったとは言い切れない。病み上がりで山歩きした上、激痛の走る左腕をぶら下げて、いつも通りの立ち回りができる状態ではなかった。下手に相手の命を気遣っていれば、こちらの命を取られかねない。相手は衛兵を2人瞬殺した手練れだ。人間相手に剣を振るうのは本意ではないが、こちらも本気で行くしかない。

 メイシアがランタンを掲げると、2人の男が短剣を向けて同時に突っ込んできているのが見えた。奥には弓を構えた1人。狙いは胸か、首か。確かに素早い。相手の刃が突き刺さる直前。

「警告はしたからな」

 俺は身を屈めて低い位置で左の一人を突き飛ばした。ついでに剣を水平に構えて右の男の膝あたりをなぎ切りにしてやる。立ち上がる直前、頭の上を矢がかすめていった。

 身体を反転させると、無意識にバランスを取ろうと動いた左腕が激痛を寄越した。織り込み済みだ。痛みを無視して、膝を切られて倒れ込んだ男の胸あたりにとどめをくれてやる。うまく骨を外れて、肺を貫いて地面まで剣先が届いた。ぐるりと剣の影が時計回りに動く。ランタンを持ったメイシアが左に移動しているらしい。

 突き飛ばしたほうの男が俺の背中に迫ってきていた。俺は深く刺さった剣を手放し、少し体重心を下げる。突き出された短剣が右肩すれすれに飛び出してきた。少し耳の下が切れたか。その腕を抱えて、俺は相手の勢いを利用して身体ごとぶん投げた。あわよくば気を失ってくれないかと思ったが、ぎゃっと声を上げてから体勢を立て直している。仕方ない。手放した剣を抜き取って構え直した。

 ぼうっと部屋がさらに明るくなった。弓を手にした男が燃え上がっている。頭を火の玉にしてのたうち回る男の真横で、メイシアが振り下ろした杖を構え直していた。俺と対峙していた男が、焼かれる仲間を見て一瞬怯む。その首を、俺は一思いに刎ねてやった。が、目測を誤ったか、片腕しか使えていないことが災いしたか。相手の喉笛を切り裂いただけで斬り落とすには至らない。まあ、頸動脈から激しく血を噴いて絶命したから良しとしよう。

「……大丈夫か、メイシア」

「はい。スコウプ様の傷のお具合は」

 問題ない、と答えて部屋を見渡す。立っている敵の気配はもうない。床のない地面には5人の男が転がっていた。俺が斬り捨てた男の一人は、頬が焼け焦げている。なるほど、こいつが最初に悲鳴を上げた男だったか。

 もう一人の火球の犠牲者は、頭髪を燃やしながらのたうち回り、黒っぽいものを吐き出して動かなくなった。メイシアのやつ、あの火球を至近距離で、直に顔面に打ち込んだらしい。舌や喉を焼いて呼吸を止めてしまえば、身体を焼くより何倍も早く意識を失わせることができる。斬られるのとどっちがキツいだろうか。できれば御免被りたい死に方だった。

 メイシアがランタンを高く掲げる。正面の壁に、奥へ続く細い通路が見えた。こちらを見るメイシアに頷き返して、俺は通路の奥へ駆け込んでいった。


 次に開けた部屋は、先程の部屋より大きくはなかった。松明が掲げられていて、室内はぼんやりと明るい。俺の後から入ったメイシアが、驚きとも諦めともつかない嘆息を漏らした。

「エリヤ姫さま……」

 正面奥に置かれたソファのようなものに、黒髪の少女が座っている。緑色の左目だけを開き、俺と、メイシアを見ていた。閉じた右目からは、血の筋が流れているように見える。

 彼女の周囲には数人の人影があった。老婆、子ども、数人の女性。みな怯えたように身をすくませている。

「メイシアですか……」

 少女の左目がメイシアを見た。拘束されている様子はない。

「姫さま……」

 メイシアは何かを言いたそうに一瞬口ごもったように見えた。が、吹っ切るようにふぅっと息を吐くと、杖を下げ、姫の方へ数歩進み出る。周りの女たちがぎゅっと身を寄せ合う。

「お迎えに上がりました、姫さま」

 メイシアは、姫の正面でゆっくりとお辞儀をした。顔を上げたメイシアを、しかしエリヤ姫は表情ひとつ変えずに見やるばかりだ。メイシアの方も、驚く様子はない。なぜ、姫は動かないのだろうか。おかしな精神操作でも受けているのか、そう勘ぐったときだ。

「……歌を」

 エリヤ姫が口を開いた。

「歌を、歌っていました。フラハ族の……母の歌っていたはずの歌を」


 しばらく言葉を選ぶように押し黙っていたメイシアが、ためらいがちに口を開いた。

「いけません、姫さま。それは……禁呪です」

 分かっています、と姫が答える。

「視覚を遠くへ飛ばす歌です。彼らから習いました」

 メイシアは息を飲んだ。姫は僅かに俯くと、胸いっぱいに息を吸い込む。開いた口から、旋律が流れはじめた。


 開くは瞳、臨むは荒野

 想い人への憧憬が

 はるけき幻想、遠見の夢を

 風に依らずに結ぶ影

 ケシュルカ・ケシュケア

 カルラウ・リィト


 幻想的な旋律だった。今までに聞いたどの音楽とも似ていない。ゆったりとたゆたうようでいて、身体が浮き上がりそうな、揺り動かされているような、不思議なメロディーだった。

 旋律が続く。姫の右目に変化が現れた。睫毛が動き出したようにも見えたが、やがて閉じた瞼が盛り上がり、中からぬるりと黒い塊がまろび出た。一瞬だけ重力に引かれてから、ゆらりと空中に浮かぶ。

 びっしりと毛の生えた眼球。俺が石礫を当てた、あの化物だった。眼球の側面には血が滲んでいる。ぽたり、と滴って、姫の足下に例の血痕を作った。

「姫さま……!」

 叫びにも似た、悲痛な声をメイシアが上げる。姫の歌の曲調が変わった。とく、とく、とく、と繰り返すテンポのいいリズム。疾く戻れ、疾く、疾く、と歌っているらしいと気づく頃には、素早い動きで、空っぽの眼窩に眼球が収まっていた。

「いけません姫さま、禁呪をもてあそぶなど……!」

「もてあそんでいるつもりはありません」

 静かに、しかし決然と、姫は言った。

「私は、母の想いと、私のルーツを知っておきたかったのです」

 エリヤ姫の母親。そう言えば、メイシアもウォルス卿も、姫の母親については一言も話さなかった。母の歌、と称して姫が音楽魔法を使ってみせたということは、つまり。

「エリヤ姫の母親は……フラハ族なのか」

 俺が問うと、苦しそうに息を詰め、メイシアは強く目を閉じた。

「ただのフラハ族ではありません。ハロッズ様の奥方は、フラハ族の女王の血筋……エリヤ姫さまは、今となってはフラハ族の唯一の……」


 姫の後ろで子どもたちを抱きとめていた老婆が、ひときわ大きく目を見開いた。

「あたしらはね、返してもらったのさ。女王陛下を殺めて、陛下の孫を攫って自分の孫の女房に据えた男から、大切な最後の王位継承者をね!」

 エリヤ姫は、表情のない顔でじっとメイシアを見ている。メイシアは首を振った。

「いいえ、攫ってなどいません! フォートナム様は、フラハ族との融和を約束したはずです! その象徴として、幼いハロッズ様とレミア様の結婚をお決めになった!」

 レミアというのは、老婆が主張する女王の攫われた孫娘か。

「なにが融和じゃ。あの男め、女王陛下を殺め、御子が王子のみと知るや殺してレミア様をかどわかし、魔法を教えずに育てた挙句、若くして死なせてしまいよった」

 老婆の顔が歪む。強い、強い憎しみ。

「これで、結界歌を途絶えさせたつもりだったんだろうねえ。確かに結界魔法を発動できるのはフラハの女王だけだ。だがね、残念だね。あたしらは魔法を張れなくても、歌は覚えているんだよ、ひひ。エリヤ様は歌の覚えが早いねえ!」

 メイシアが息を飲んだ。まさか、と小さくつぶやく。エリヤ姫はメイシアをまっすぐ見たまま、こくりと頷いた。

「覚えました。まだ、試してはいませんが」

「そう……でしたか……」

 メイシアの杖が上がる。呪文が始まった瞬間に、ようやく俺は意図を理解した。

「待て!」

 俺が杖を押しのけた瞬間、火球が杖先から飛び出した。幸いエリヤ姫には当たらずに、あさっての方向に飛んで消える。

「邪魔をなさらないでください! 禁呪を使う者は火あぶりになるべきです!」

「馬鹿か、落ち着け!」

 俺は叫んだ。

「無駄に魔法ぶつけて、姫が結界張ったらどうする! お前に防ぐ方法があるのか!」

 それは……と口籠もるメイシアに畳み掛ける。

「姫がその気になっちまえば、領民全員が家を追われることになるんだろ!? ちったぁ後先考えろ!」

 下唇を噛んで、メイシアは杖を下ろした。

「だからこそ……奇襲が必要でしたのに……!」

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