10_探索

 それから毎晩、メイシアと夜の散歩に出かけるようになった。午前中に治療を受け、昼飯を食ってから夜まで眠る。昼夜が逆転したような生活だが、無茶な旅を強行しているときに比べれば、随分と規則正しいというものだ。

 流石に、翌日とその次の日は例の化物は現れなかった。ウォルス卿が外部と密かにやり取りするためのものだったとしたら領主側から何か動きがあるかとも思ったが、少なくとも俺に対しては何の接触もない。俺の動きに感づいているのなら夜の散歩を禁止してもおかしくないが、それもないとなればウォルス卿は一方的に監視されていただけだろうか。4日目の夜の散歩を終えて、部屋のベッドに潜り込みながら、ぼんやりと俺は考えた。


 いや、イマイチ考えがまとまらないのには理由があった。火傷の傷が、やたらに痒いのだ。治りかけですのでご辛抱ください、などと朝のメイドは言うが、眠っている間などはどうしても無意識に手が背中に回る。痒み止めの煎じ薬も飲んではいるが、あまり効いているとも思えなかった。自由の利く右腕で派手にひっかくのも問題だが、ようやく動かせるようになってきた左腕を無意識に動かしてしまうと、これが激痛なのだ。動かないままにならなかったのは助かったが、動くが痛い、というのもなかなかに厄介だった。

 例の化物には出会えていないが、ここ数日で俺の身体の方はかなり改善してきている。左腕の方も重力整復師は毎日来ているが、昨日あたりからはほとんど経過観察といった風で、今朝などは透明な水晶で中を覗いただけだった。強烈な痛みに耐えなくていいのはそれだけでだいぶ助かる。

 今晩までは念のためメイシアに椅子を押してもらったが、実は昨日の夜に立って歩けることを確認している。明日は、武器類を身につけた状態で荷重をかけて歩いてみるか。


 翌日の晩、久々に腰に剣を差して立ち上がってみた。剣のせいで左側が重くバランスが悪いが、腰のベルトがあるとやっぱり落ち着く。スリングとナイフも併せて装備して、俺はメイシアと一緒に外に出た。

 見上げ慣れてきたウォルス卿の寝室の窓。あ、とメイシアが小さく声を上げた。

「スコウプ様、左下の隅に、何か……」

 言われて気づいた。確かに、月明かりに照らされた影が、微かにうごめいているように見える。

 しかし、あれが前回見たものと同じなら、どうやら俺たちはかなりの見間違いをしていたようだ。大きさこそ小さめのコウモリくらいのものだが、その身体は不規則に波打っている。長い毛、だろうか? 控えめに身を隠しながら、窓を覗き込むように浮遊している。少なくとも、普通の動物でないことは間違いないだろう。


 だが、何であろうと前回と同じ轍を踏むつもりはない。俺は手頃な石をひとつ拾い上げ、投石用のスリングを構えた。前回見たあの素早い動きと、距離や標的の小ささを考えると決して自信があるとは言えなかったが、同じ手を使って同じ失敗をするよりはいい。

「メイシア、俺が石を投げたあと、一呼吸置いてから火球を飛ばしてくれ」

 言って、俺は怪しげな影に意識を集中した。的を外すのはともかく、石を窓に当てることだけは避ける必要がある。ウォルス卿に俺たちの動きを感づかれでもしたら面倒なことになるからだ。傷の痒みすら忘れるほど、窓の一点を凝視する。ウォルス卿の寝室から明かりが消える、その一瞬。


 飛んだ。

 スリングを回しながら、影が離れた方向と速度に、前回見た動きを重ね合わせる。推測なのか見えているのか、自分でもよくわからない。そこだ、と手放した紐から、手で投げるよりも力強く、石が解き放たれた。手応え。

 一瞬後を、火球が追う。中心こそ外していたが、長い毛の中にめり込む石が、火球の光に浮かび上がった。照明としての役割を終えた火球は、燃え尽きて虚空に消えた。


 声をかけるまでもなく、俺もメイシアも駆け出していた。落下地点と思われる場所はちょうど広めの通りになっている。ざっと見渡したが、毛むくじゃらが落ちている様子はない。くそ、逃がしたか。

 屋根の上にでも退避されると厄介だ。俺が通りの脇の建物を見上げていると、ランタンで地面を舐めるように照らしていたメイシアが声を上げた。

「スコウプ様、これを……!」

 駆け寄ってしゃがみ込む。血痕、だろうか。指先で触ってみると、路面の赤いしみは明らかに湿っていた。

「こちらです!」

 ランタンをかざしてメイシアが言う。同じ血痕が、道に沿って北西に向かって点々と落ちていた。


「未開となっている森は、街の北西と北東、それに南西に残っています」

 血痕を追いながらメイシアが話す。

「向かっているのは恐らく、北西の森でしょう」

 森に住むフラハ族のことだ、アジトが森にあるのは当然といえば当然だった。ただ、フラファタ城下町は事実上森に囲まれた形をしている。闇雲に探索していては埒が開かないから、住民からの聞き取りでもしながら当たりをつけるしかないかと考えていた。が、これはかなり有力な手がかりになりそうだ。もっとも、あまりに有力すぎて、罠を疑う必要もありそうだが。


 傷の痒みに苛立ちながら、俺は血痕を追って走った。

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