09_魔法
一旦部屋に戻り、ベッドに横たわる。手押しの椅子を片付けてきたメイシアはしばらく何か考え込んでいたが、意を決するように口を開いた。
「ただのコウモリなどとは考えにくいですね、あの動きは」
そりゃまあそうなんだろうが、今はそれよりも気になることがある。メイシアの魔法だ。
「なあ、メイシア」
はい、と向き直ったメイシアに、俺はベッドに横になったまま訊いた。
「魔法、使えたんだな」
かすかに微笑んで、恥じらうようにええ、とメイシアは頷いた。
「使える、というほど大層なものでもありません。先ほどご覧いただいた、火球を投げる程度の術しかありませんから」
いや、充分だろ。火打石を使わずにいつでもどこでも火が使えるというのは、それだけでかなり重宝する。まして攻撃の手段まで持つとなれば。
ある程度以上の大魔法使いになるには素質が物を言うらしいが、魔法の習得は基本的に学習の賜物だと聞く。つまり、魔法を使えるということは、それまでにまとまった学習機会があったということになる。言い換えれば、何年も働かずに弟子入りし、衣食住を整えて師匠に謝礼を支払い続けることのできる財力だ。
「メイシアの家は、確か……」
叔母がエリヤ姫のメイドだと言っていた気がする。
「はい。実は、私の母は先々代フォートナム様の姪に当たります」
やっぱり、領主の血族だったか。しかし、お嬢様の花嫁修業にするには魔法修業はハードすぎる気もする。
「なんでまた、魔法を……?」
俺の問いに、メイシアは目を伏せた。あまり聞くべきことではなかったかもしれない。
しばらく押し黙っていたメイシアは、恥ずかしそうに口を開いた。
「……実は、魔術師を目指していたんです。フラファタ領の正統魔術師として、ウォルス様のお側を務めたいと考えていました。ですが……」
やはり、言いにくいことを聞いてしまったようだ。
「その、素質のほうが、あまり……。実は、火球を投げること以外がとにかく不得手なのです。かまどに火を点けようとしても、炎が暴れて厨房を燃やしてしまって……」
発生はできるのに制御がままならないのは稀有な特性だと師匠にも笑われました、と、苦笑しながらメイシアが告白する。
なるほど、小さな火を扱えないのは火の魔術師として致命的かもしれない。仮に冒険者になったとしても、旅先でいちいち森や宿屋を焼いていたら、稼ぐどころではないだろう。
「だったら、火じゃない属性の魔法を専攻すればよかったんじゃないのか?」
俺の素朴な問いに、えっ、とメイシアは目を丸くした。
「ご存じないのですか、魔法属性は生まれつき、一人一つしか習得できません」
「すみません、もう少しご存知なものと思い込んでおりました……」
いくつかの質問に答えた結果、俺の魔法知識が想定以下だったらしく、メイシアは驚きとも落胆ともつかない吐息を漏らした。確かに、A級ハンターとして世界中の魔物や悪党どもに立ち向かっていくには、俺の魔法知識は乏しすぎるのかもしれない。
「差し支えなければ、少しだけ、ご説明させていただいてもよろしいですか?」
望むところだ。俺が頷くと、メイシアは片手を広げて5本の指を見せた。
「正統魔術、正統魔法と言われる、帝国が正式に採用する魔法には、5つの属性があるのはご存知ですね」
いくら俺でも、それくらいは知っている。火、水、地、風、光、この5つだ。
「5つの属性で、この世の全ては作られています。その理に、魔力で介入するのが正統魔法です」
「この世の、全て……?」
「はい。例えば私たち人間は、火から体温、水から血液、地から骨や肉、風から呼吸、光から魂を作られています」
それらの一つでもバランスを失えば、人はたちまち命を落としてしまうでしょう、とメイシアは言う。なるほど、今まであまり考えたこともなかったが、属性ってのはそういうものだったのか。種火や飲み水を旅先で作ったり、風の刃や雷の一撃で敵を屠ったりするのが魔法とばかり思っていた。
「もちろん、生き物の身体というのは一種の結界ですので、人体内部の理を崩すのは簡単ではありませんが……」
そう付け足して、メイシアは少し考え込んだ。どこから話そうか、と考えあぐねているようだ。
「……魔法を学ぶにあたって、最初に行われるのが、属性鑑定です。詳細は省きますが、師から弟子へ、とある儀式を行うことで弟子の持つ属性を見抜くのが、師の役割でもあります」
敢えて伏せられると儀式の中身が気になるが、話の腰を折りたくないので頷くだけにしておく。
「血族内では属性が似通うものですが、必ずしも一致するわけではありません。また、私の師は、性格に属性がにじみ出る、とも言っておりました」
なるほど。冷静なようで大胆なメイシアの行動が、生まれ持った火属性に由来すると言われれば納得できてしまう気もした。
「つまり、メイシアは他の属性の魔法が使えない、ってわけか」
頷くメイシアを見ながら、俺の属性は何だろう、とぼんやり考える。父親が石礫の使い手だったと聞いたことがあるが、単にスリングの扱いが上手かっただけかもしれない。クレシュあたりに聞けば、その性格で火以外にあるわけなかろう、と言われそうではあるが。
「一人の人間が複数の属性を扱うことも不可能ではありませんが、それにはかなり高度な魔法理論の理解を要すると言われています。コアリアのケストラー師は、火と光、両方の使い手だとか」
あの爺さんなら確かに、それくらいやってのけそうな気はした。しかし、だとすると、残り3属性の魔法は、プライムの治療に試されていないということになる。それとも、たまたま俺が見ていないだけで、弟子が施術済みだろうか。
もっと、魔法についての情報が欲しくなった。プライムは何をされて、何をされなかったのか。
「なあ、そもそも魔法ってのは、どういうものなんだ。杖に何をすれば、魔法が出るんだ?」
メイシアはこくりと頷くと、背中に手をやった。大きな胸が大きく揺れる。
「杖をご覧いただくのが分かりやすいかと」
背中から引き抜かれた杖を観察する。ちょうどメイシアの指先からひじくらいまでの長さだ。杖の先には、鶏卵ほどの大きさの水晶玉がついている。
「この水晶が、発動体です。術者は魔力を発動体に注ぎ込み、増幅させます。必要な量の魔力を凝縮したところで、その魔力を開放するのです」
私は、注ぎ込む魔力量の調整と、開放の仕方がどうにも不得手でして、とメイシアは恥ずかしそうに付け加えた。
「発動体さえあれば、必ずしも杖である必要はありません。例えば重力整復師は、黒水晶を直接肌に当てますね。医術を志す者でありながらも、彼らは地属性の術者です。使う魔力は決して強くありませんが、彼らは独自の術法で、人体の結界をかいくぐることを可能にしていると聞きます」
経験を積んだ術者なら、その気になれば心臓を止めてしまうこともできるそうですよ、とメイシアは言う。止まった心臓。一瞬プライムを想ったが、それはあり得ない。重力整復師の魔力が、あの黒水晶を押し当てられていなければ作用しないのは身をもって知っている。それに、ただ心臓を止めただけならば、こうして体温を保ち続けている理由が見つからない。
「火の術者としては、なるべく自分の身体から離して、振ったり投げたりできる杖が一番扱いやすいのですけれどね」
確かに、水晶玉を直接握って火を出したら、術者自身が火傷してしまいそうだ。さすがのケストラーも、デカくて長い杖を持っていたしな。
ふと、ケストラーのこだわっていた魔力反応のことを思い出した。
「なあ、メイシア。魔力反応ってのは、つまり……何なんだ?」
ご説明しますね、と言いながら、メイシアはメイド服のポケットに手を滑り込ませた。取り出したのは、木彫りのペンダントのようなもの。意匠化してあるが、鳥の一種、恐らくフクロウだ。魔道具の一種だろうか。
「魔力反応というのは、魔力が使われた物や場所に残る痕跡のことです。こうした鑑定石をかざすことで、わずかに残ったその痕跡を可視化することができます」
フクロウの左目に開けられた穴に、大きめの砂粒ほどの石がはめ込まれている。微かに青みがかった、透明な色合い。覗き込むと、向こう側の光が透けて見えた。
ご覧に入れましょう、と言うと、メイシアは俺の折れた左腕の上に鑑定石を置いた。フクロウの左目が、青白い星のように輝く。これが、重力整復師の施術が俺の身体に残した魔力の跡、ということか。
「燃やし切ったランタンに、油の香りが残るようなもの。
なるほど、これなら確かに、魔法が使われたことを確認できる。ケストラーが魔力反応にこだわっていた理由は分かった。
「ですが」
ポケットに鑑定石を戻しながら、メイシアがトーンを落とした声でつぶやく。
「これで判るのは、魔力が直接作用した場合だけ。例えば、かまどに魔法で火を点けた場合、それで煮炊きされた料理や、そこから採られた松明の火に魔力反応は現れません。魔力反応が残るのは、かまどの中だけなのです」
さらに、時間が経つことでも徐々に薄れていきます、と付け加えたメイシアに、まさか、と俺はつぶやいた。
「もしかして、数日で消えちまったりするのか、魔力反応ってのは」
メイシアは首を振った。どんな小さな魔法でも、最低10日は反応が残るはずです、と言う。ならば、俺がプライムを帝都に運んでいる間に反応が消えてしまったということはなさそうだ。しかし、あの日の寝室にすぐ魔力鑑定をしていれば、何か分かったかもしれない。島に鑑定石があったかどうかは分からないが、魔力鑑定のことを事前に知っていて石を手に入れてでもいれば、事態はだいぶ違っていた可能性がある。クソ。俺が勉強不足なばっかりに、大きな手掛かりをひとつ失ってしまった。
大きなため息をついて、がりがりと頭を掻く。これが、無知の代償か。ならば、今できることは何か。今ならできること、今しかできないこと。
「あのコウモリ……」
それです、とメイシアが頷く。
「一般的に知られる正統魔法に、使い魔などの使役方法は含まれていません。オルセンキアでは実験として、人工魔獣や動物操作などが扱われることもあるとは聞きますが……ともかく、いわゆる普通の魔術によるものではない、ということは確実です」
「となると、あいつは人間とは無関係ってことか。たまたま魔獣が、たまたまウォルス卿の寝室を覗き込んでいた、と」
メイシアは首を振った。
「その可能性がゼロだとは申しませんが、やはり不自然ですね。ただ……」
一旦言葉を切って、メイシアは少し考え込んだ。
「確証はありませんし、詳しくもないのですが……禁呪の中には、魔力で身体の一部を切り離して使役する方法があると、聞いたことがあります」
「禁呪、ってのは、フラハ族の……?」
はい、とメイシアは頷く。
「正統魔法以外にも、この世には様々な魔法があります。フラハ族の禁呪もそうですし、ウォルス家に伝わる破魔の呪法もその一種と言えるでしょう」
言われてみればその通りだ。破魔の呪法が正統魔法の一種なら魔法学院でとっくに研究されているだろうし、いくら親子で属性が似通うとはいえ、子の属性が親と違った時点で一子相伝の呪法は失われることになる。
「正統魔法を学んだ者の多くは、他系統の魔法を邪法、偽物と蔑みます。確かに、魔法を名乗りながら魔力反応を持たない似非魔法や、正統魔法と同じ原理でありながら別の理論を唱える呪法などもありますから仕方のないことかもしれません。ですが、魔獣をはじめ、我々の魔法理論だけでは説明の難しい魔力の使い方も、確かにあるのです」
なるほど。だとしたら、フラハ族の斥候か、ウォルス卿との通信役である可能性がより強くなってくる。それ以外の魔法による使い魔である可能性は、無関係な魔獣が覗き込んでいた場合よりも低いだろう。
今のところ、あのコウモリがフラハ族につながる唯一の手掛かりというわけか。取り逃がしたのは痛いが、言っても仕方がない。今日の攻撃を受けて同じ使い魔をまた放つ確証もないが、今はあの化物をもう一度見つけるしか手はなさそうだ。
「なあ、メイシア」
はい、と答えた暗褐色の瞳を見上げて、俺は言った。
「明日も、夜の散歩に付き合ってくれるか」
もちろんです、とメイシアは目を細めた。
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