08_偵察
深夜、メイシアに起こされた。一瞬、昨晩のことを思い出してドキリとしたが、昼寝の前に交代したメイドに夜に起こすよう頼んでおいたのだった。晩メシ抜きで眠っていたせいで腹が減っていた。軽めの夜食を頼むと、ベッドテーブルに昨日の晩よりしっかりした料理が並んだ。
「なあ、メイシア。ウォルス卿のことなんだが」
はい、と答えたメイシアの胸は相変わらずデカい。
「ここんとこ、妙な動きなんかはないか? 例えばこっそりメモかなんか読んでるとか、夜中にどこかに出かけてるとか」
少し考え込んでから、いえ、と首を振る。
「私自身、この時間はスコウプ様のお側を勤めておりますので、確実なことは申し上げられませんが……」
確かにそりゃそうだ。となれば、自分で動いて確かめるしかない。手早く食事を終えて、食器を片付けさせている間に、俺はベッドから降りて立ち上がってみることにした。
昼間ほどのひどい目眩はない。が、背中の火傷が軋むような痛みを発する。試しに歩いてみようとすると、皮膚が裂けるような感覚に陥った。
戻ってきたメイシアが慌てて俺を支える。ベッドに腰を落として、俺はどうにもならない身体に苛立ち紛れのため息をついた。
「無理はいけません。まだお身体が完全ではないのですから」
うるせぇな、分かってるよ。乱暴な言葉を吐き出したくなるのを奥歯でかみ殺して、代わりに眉間に皺を寄せる。そんな俺をメイシアはじっと見ていた。
「……ですが、夜のお散歩くらいなら、気晴らしにちょうど良いかも知れませんね。無理のない範囲で」
少し悪戯っぽく、にっこりと微笑んでみせる。おいおい、この身体で、どうやって無理なく歩けってんだ? 見上げた俺に、メイシアが続ける。
「先代が晩年にお使いになっていた、車輪をつけた椅子がございます。お一人で動かすことは叶いませんが、差し支えなければ、私がお供させていただきます」
椅子というから簡単なものを想像していたが、豪華な玉座のようなものが出てきたのには驚いた。先代の領主が使っていたというんだから、考えてみれば当然か。
「お具合はいかがですか」
後ろで椅子を押すメイシアが問う。柔らかめのクッションが、痛む背中に優しい。悪くない、と答えると、メイシアは嬉しそうに声を弾ませた。
「では、まずは城内を少し散歩いたしましょう。痛むようでしたら、すぐにおっしゃってください」
ゆっくりと各部屋の案内でもしてくれるのかと思ったが、メイシアは領主の寝室前にいきなり直行した。いくらなんでも、ちょっと露骨すぎはしないか。扉の前で警護している二人の兵士が睨みつけてくる。
「この時間ですから、主人は床についておりますね」
部屋の前を素通りしながら、メイシアは当たり前のことを口にする。警護は二名、か。姫を攫った賊は二人の兵士を苦もなく瞬殺したというから、この程度では護っていることになるかどうか。室内にも護衛をつけてくれているといいが。
「では、外の空気を吸いにまいりましょう」
流石にこの時間に城の正門を開けさせるわけにはいかない。メイシアに押されるままに、厨房の脇を通って裏側の通用口の扉を抜けた。
久しぶりに外の空気を吸った気がした。星降る夜空に、ぴったり切り分けたような半月が浮かぶ。城壁に沿って半周ほどしたところで、メイシアが窓の一つを指した。
「あれが、主人の部屋ですね」
雨戸は閉じていないようだった。風のないせいではっきりとはわからないが、重めのカーテンが引かれているように見える。その隙間が微かに明るく、灯火が灯されているのがわかった。
「まだ、起きてるのか」
俺がつぶやくと、メイシアは頷き、不思議そうに首をかしげた。
「いつもなら、とうにお休みになっているはずなのですが……」
ランタンの消し忘れかもしれないし、警護の一環かもしれない。だが、しばらく眺めていると、不意に明かりが消えた。
「あ……」
メイシアと俺が同時に声を漏らす。ランタンの油が尽きたのでなければ、誰かが消したということになる。
一瞬、見逃しかけた。だが確かに見えた。黒く小さな影が、窓から上空に飛び出したのだ。
「メイシア!」
「はい!」
追ってくれ、と言いかけた俺の言葉は飲み込むことになった。突然、メイシアの背中から出てきた短めの杖が、呪文とともに一振りされたからだ。彗星のような火球が尾を引きながら飛んでいく。その火にあぶり出された黒い影は微かに緑色に光ったが、確かに実体を持って見えた。確実に命中すると思われる、速度と方向。撃ち落とせ、と念じた瞬間、影は空中でくるりと身をねじり、弾け散るような速さで飛んで消えた。
「……申し訳ございません。取り逃がしました」
杖を背中にしまい込みながら、メイシアがこうべを垂れる。いや、あの速さじゃ仕方がない。いやいや、それよりも。
「メイシア……お前、魔法を……?」
ええ、火魔法の初歩ですが、と、こともなげにメイシアは答えた。
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