07_禁呪
「そんなに恐ろしい魔法だったのか、その、音楽魔法ってのは」
返答の代わりにウォルス卿は小さくため息をついた。
「恐ろしく強力であった、という点では間違っていないかもしれぬな。だが、音楽魔法は……あれは、森と人を守る魔法。人を傷つけることができる魔法ではなかった」
そんな魔法が、どうして禁呪なんかに。問いかける前に、ウォルス卿は再び口を開いた。
「最も強力なのは……結界を作る歌だ」
「結界……、外部からの侵入者を弾くっていう、あの結界か?」
ウォルス卿は静かにうなずいた。
「つまり……、フラハ族の森には外部の人間が入ることすらできなかったってわけか?」
「そうだ。ひとたび術者が歌えば、森の木々が共鳴し、空気に見えない防壁を作ったと言われている」
不可侵の結界。そうして見えない壁を作ることで、帝国の支配から逃れていたわけか。帝国が禁呪に指定したくなるのも分かる。
「そして、その魔法を打ち破ったのが、ウォルス家に伝わる、ある呪法だった」
ウォルス卿は一旦言葉を切って、自らに確認するようにゆっくりと深呼吸した。
「詳しくはあまり話せぬが、わがウォルス家には、あらゆる魔法を無効化する、破魔の呪法が代々、一子相伝で受け継がれている。祖父フォートナムはその呪法で森を開き、町を造ったそうだ」
破魔の呪法。プライムの治療に使えないだろうか。真っ先に俺が考えたのはそれだった。だが、戦争や討伐において破魔というのはあまりにも地味だ。強い魔法を使う敵というのはそう多くはない。剣や弓が主役の戦場で活躍することはまずないだろう。フラハ族の討伐は、ウォルス氏にとって絶好の活躍機会だったと言える。
「フラハ族はほとんど抵抗しなかったと聞く。フラファタに残って町づくりに参加したものもいたが、多くは周辺地域に散り散りになり、野盗に身を堕としたようだな」
メイシアの話と一致した。野盗狩りなら、まだ低ランクだったころに俺も参加したことがある。もしかすると、あの時斬りつけたうちの何人かは、フラファタ出身のフラハ族だったのかもしれない。
「それじゃ、姫を攫った奴らの目的はやっぱり……フラハ族の再興、か?」
ウォルス卿は答えなかった。答えたくなかったのかもしれない。それを認めさせること自体が、フラハ族の目的でもあるのだから。
「でも……」
フラハ族は今後、どうするつもりだろうか。姫を人質に取ることで脅しをかければ、ウォルス卿が使う破魔の呪法をひとまず封じることはできるかも知れない。だが、時間の問題だ。音楽魔法の結界とやらがどんなものか分からないが、仮に町の住民を閉め出して領地を占拠したとしても、そんなことをすれば帝国の耳にも入る。帝国としては自治領とはいえ国内の内乱を放置するわけにもいかず、簡単に税収を諦めるはずもないから、おそらくは掃討の『協力』を申し出てくるだろう。実質的には武力鎮圧の命令となる帝国からの揺さぶりに、ウォルス卿が耐えかねて娘を諦めれば、結局結界は破られて、今度こそフラハ族は全員拘束されて火あぶりになる。そこまで考えているだろうか。
感情だけで動いた結果か、それとも、機をみてウォルス卿を暗殺するつもりか。暗殺する気なら最初に、姫を攫う前のほうが都合がいいはずだが、領内に揺さぶりをかけて隙を作るつもりとも考えられる。しかし、だとしたら、エリヤ姫を連れ去ったりせずその場で殺したほうが衝撃は大きかったような気もするが。
考え込む俺に、ウォルス卿が何か言おうとした。要するにこれ以上、詮索されたくないということだろう。
「その……破魔の呪法ってやつだが」
ウォルス卿に制される前に、俺は言葉を繋いだ。ダメもとでも願い出ておきたい。
「女房の治療に効かないか、試させてもらえないか」
魔力による魂の封印、という見方もあったくらいだ。かなり有力な手立てに思えた。
だが、ウォルス卿は申し訳なさそうに首を振る。
「すまないが、破魔の呪法は門外不出の秘法。国家的な問題でない限り、使用してはいけない決まりだ」
決まり、か。法的なものではなさそうだから、代々の戒めの一種だろう。プライムに降りかかる災厄が業魔に認定されれば、改めて頼み込むこともできるかもしれないが。
「そうか……。ま、とりあえず俺自身、まだこの有様だ。身体が動かなきゃなんにもできねぇ。もう少し休ませてもらうぜ」
俺が自嘲気味に言ってみせると、ウォルス卿は確認するように小さく頷いた。それでも何か言おうと口を開きかけたようだったが、ノックの音とともに、重力整復師が部屋に入ってきていた。
下手な拷問より、要求がないだけタチが悪い。怒鳴って、叫んで、罵って、懇願して、それでも一切手を抜かないこの重力整復師は間違いなくプロ中のプロだ。しまいには声を上げる気力もなくなって、浅い呼吸にぼんやりと気が遠くなりかけたころに、ようやく今日の治療が終わった。メイドに出された冷たい薬草茶がなかったら、昼飯も食わずに気を失っていたかもしれない。
真っ白なパンに挟まれた、たっぷりのチーズと野菜。何を煮出したのかわからないくらい複雑な旨味のする茜色のスープ。鶏より少し大きめの鳥肉料理の香辛料は、一度だけ食ったことがある。確か帝都で、A級ハンターに昇格した日の晩餐会に出てきたやつだ。飾り切りを施した新鮮な果物に、甘蜜をたっぷり使ったバタークリームのケーキまで。どれを取っても、いちいち金と手間がかかっていた。申し訳ないほど豪華な昼飯を食いながら、俺はメイシアとウォルス卿の話を整理してみることにした。
少なくとも、フラハ族が姫を攫ったのはまず間違いないだろう。相手は結界を張る禁呪を持っていて、それを破れるのはウォルス卿だけ。だが結界を張られてしまえば、ウォルス卿は人質に取られた姫の身を案じてそれを破ることができない。
いや、あの歯切れの悪さだ。もしかしたら既に、フラハ族からの接触があって何か指示をされている可能性すらある。内容はわからないが、姫と引き換えに領主の座を明け渡せとか、深夜に一人で指定場所へ来いとか、あるいは自ら死を選べとか、まあそんなところだろうか。
仮に、俺がこのまま放っておけばどうなるか。フラハ族の思惑通りになるなら、ウォルス卿を降ろすか殺すか、そうでなくても何らかの方法でフラファタは乗っ取られることになる。最初にぶちかますか仕上げにおっ立てるかはわからんが、最終的には結界を張って侵入できない場所にするつもりだろう。だがそれは、かつての未開の地とは意味が異なる。一度平定した土地が奪われたとなれば、これはもう帝国に対する反乱だ。各地の蜂起を誘発しないためにも、帝国としては放置できなくなる。徹底的に潰しにかかるだろう。禁呪にまで指定した結界に勝ち目があるかはわからんが、仮にウォルス卿が破魔を拒否したとしても、最終的に帝国軍を動かして戦争をおっぱじめる可能性は高い。
ウォルス卿の思惑は……正直、読めない。フラハ族の指示に従うふりをしてアジトの場所を探っているのか、それとも別の策でもあるのか。フラハ族の言いなりになる気がないとしたら、姫を諦めてアジトを手勢で攻め潰すことを考えているかもしれない。帝国が出るよりはマシだが、それでもそこそこ大規模な殺し合いにはなるだろう。
なんにせよ、方法はひとつだ。フラハ族が結界を展開する前に姫を見つけ出し、奪還する。もちろん、無傷で救出するのがベストだが……既に手遅れ、という可能性も念のため考慮しておく必要があるだろう。ウォルス卿が娘への懸念を捨てて破魔を使えるようにすることだけを目的とするなら、最悪の場合、姫の遺体を回収することでも一応の解決にはなるはずだ。
領主のプライドだかなんだかわからんが、正式に兵を出せないというならそれこそ、ハンターの出番だ。依頼がない以上首を突っ込む必要もないが、うまくいけば破魔の呪法をプライムに試してもらえないか再度頼めるかもしれない。それに、俺一人が動くことで帝国の正規軍を動かさずに済むなら、それも帝国に任命されたA級ハンターとしての責務の一つとも言える。
とりあえず、今晩あたりが心配だ。どちらが動くにしても、秘密裏に行動するなら夜を選ぶ確率が高い。ウォルス卿の身に何かあってからでは手遅れだ。
今のうちに休んで、夜に動くか。空になった皿を眺めながら、俺はあくびをひとつした。
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