06_領主
翌朝、目が覚めると隣には新しいメイドがいた。早朝に交代したのだろう。メイシアよりだいぶ若い。
昨日遅かったせいか、かなり日が高く上っている。用意された朝食を平らげて、俺はベッドを降りようとした。ぐるん、と、平衡感覚が崩れる。
「お待ちください! スコウプ様は、まだ、お身体が……!」
駆け寄ってきたメイドに抱き起こされて、ベッドに戻された。あまりのんびりしてもいられないんだが、さすがに半日と少しではどうにもならないか。損傷のない部分のストレッチくらいならとベッドの上で脚の筋を伸ばしてみたが、まだ治っていない背中の皮膚が引きつれる。どうやら、おとなしく回復を待つしかなさそうだ。毛布にもぐり込もうとすると、若いメイドが大量の包帯と塗り薬を持ってきた。
汚れた包帯を剥がすように交換され、塗りこまれた薬の痛みにぐったりとベッドに沈み込んでいると、昼前に意外な来客があった。
「まだ早いかと思ったが、会話には支障がないと聞いたものでな」
ハロッズ・ウォルス卿はそう言って、ベッドサイドの椅子にどっかりと座り込む。最初に見たときには観察する余裕もなかったが、どうやら、かなり疲れているようだ。起き上がろうとした俺を押しとどめ、ふう、と大きくため息をつくと、ウォルス卿は話しはじめた。
「まずは改めて、今回のこと、お詫び申し上げたい。無関係な人物に危害を加える結果となった三人は、捕らえて牢に封じてある」
あいつら、捕まったか。
「だが、彼らの心情も慮ってやってほしい。彼らは、誘拐が外部の犯行であって欲しいと望みすぎたのだ」
「……どういうことだ?」
ウォルス卿は眉間の皺をさらに深くし、一旦言葉を切った。一呼吸置いて、ゆっくりと息を吐く。
「とにかく、だ。土地には土地の問題がある。微妙なバランスを保った力関係や、住民の思いもある。貴殿のような腕利きのハンターが娘の捜索に協力してくれるというのは頼もしい話だが、体調も万全ではなかろう。しっかりと休んで、今は治療に専念して欲しい」
要するに、よそ者は首を突っ込むな、ということか。
依頼がない以上、報酬もないわけだし、わざわざ勝手に動いて煙たがられる必要もない。が、これだけひどい目に遭わされて、ああ勘違いでしたかと引き下がるのも癪だ。
「そんなに、触れられたくねぇのか……フラハ族に」
鎌をかけた俺の言葉に、ウォルス卿は険しいまなざしを返した。おいおい、バレバレじゃねぇか。
「いいのかよ。愛娘かっ攫われて、完全に主導権持ってかれて、いまさら力関係も住民感情もねぇだろうがよ」
畳みかけたつもりだったが、ウォルス卿の目には逆に冷静さが戻った。
「娘を案ずる気持ちは、私の個人的な感情でしかない。個を重んじて全体を見誤れば、まつりごとは必ず失敗する」
まるで、自分自身に言い聞かせているような言葉。だが、俺は納得できなかった。
「駆逐したはずの先住民に姫を攫われて黙ってるのが領主のやることか? ここの住民はそんな腰抜けに治められてさぞ嬉しいだろうな」
やりすぎかとも思ったが、これくらい挑発しないと動かない、そう俺は判断した。目線を落としたまましばらく動かなかったウォルス卿が、静かに口を開いた。
「……フラハ族のことは、メイシアから聞いたか」
「ああ。この辺に昔住んでいた蛮族らしいな」
ウォルス卿は自嘲するように、ふっと頬を緩める。
「蛮族。そうだ。蛮族ということになっている。帝都にはそう、報告したからな」
どういうことだ? 怪訝な顔をした俺に、ウォルス卿は小さく咳払いしてみせた。
「スコウプ殿は、このウォルス・フラファタ自治区のできたいきさつをご存知かな」
いきなり大きな話になった。あまり詳しくはないが、一般的な知識くらいならある。
「ああ、確か、一帯を占拠する蛮族を討伐したのがウォルス卿で、その褒美に自治権をもらったとか」
そう、とウォルス卿はうなずく。
このリージェルク帝国には、大小さまざまな自治領が存在している。経緯もいろいろだが、その多くが、もともと周辺を取り仕切っていた有力者をそのまま帝国に取り込んだものだそうだ。帝都から遠い場所は帝の威光も届きにくいし、戦を起こしてまで無理に直轄するより、現地に任せて言うことを聞かせたほうがなにかと便利ということもあるんだろう。税収や法律なんかをどこまで勝手にやっていいかは自治領ごとに取り決められているらしいが、細かいことに俺はあまり興味がない。A級ハンターともなると、中途半端に発言力がつくせいで、政治に絡んでくるんじゃないかと怯えた大臣どもがあらぬ疑いをかけてくる。変に詳しいと、どんな勘違いをされないとも限らないから、なるべく知らないでおきたいというわけだ。もっとも、そういうしち面倒な話ははじめから俺の苦手とするところだ。
で、フラファタ地方は珍しく、既に帝国領土になっていた未開の地を、あとから下賜される形で自治領になっている。といっても、当時は実質的に蛮族に支配された深い森だったらしいから、帝国自身が血を流してまで平定する気はなかったんだろう。切り開いて町を造り、そこから少しでも税を納めてくれるというなら、自治権くらいは安いものだったかもしれない。有力者のいない一帯を討伐して治めたのがウォルス卿となれば、空白地帯にやっと話せる有力者が現れたとも言える。
「しかし……本当のフラハ族は違う。彼らは蛮族などではなかった」
え、と俺は一瞬戸惑う。ウォルス卿は話を続けた。
「彼らは森の民。自らをエルフの末裔と信じ、狩りと薬草と歌を愛して樹上に暮らす、高潔な一族だったのだ」
イメージがまるで違う。蛮族というから、無知蒙昧で話が通じず力任せの、コボルトから毛を毟ったような奴らだとばかり思っていた。
「でも、そんなやつらだったら、帝国がとっくに平定していたんじゃないか?」
俺の問いに、ウォルス卿はにやりと笑う。
「流石に賢明だな、A級ハンター殿は。その通り。当家の手勢などより、帝国軍のほうが何十倍も強力なのだからな」
帝国なら、その気になれば森の一つや二つ焼き払うことくらい朝飯前だったはずだ。
「彼らには、強い魔法があったのだ。身を守るために生み出された、音楽魔法が」
「音楽魔法? ……そいつが、もしかして」
ああ、とウォルス卿はうなずいた。
「禁呪、だ」
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