05_姫君

 運びこまれた部屋の豪華さにはたじろいだ。寝かされたベッドはどこまでも沈み込むやわらかさで、鳥の羽が詰まった掛け布団は雲のように軽いのに暖かい。寝返りを打てば、隣のベッドでプライムが眠っているのが見えた。真っ白なシーツが傷口から出る体液で汚れていくのが気になったが、メイドは気にかける様子もない。

「お怪我を拝見いたします。手当ては少し痛むかもしれませんが、ご容赦くださいね」

 本当に容赦がなかった。若いのにしっかりとした手つきで、俺の焼け爛れた皮膚をぬるま湯で洗って薬を塗っていく。思わず叫びそうになったが、若い娘の手前、大の男が大騒ぎするわけにはいかない。奥歯で必死に声をかみ殺し、どうにか痛みに耐えようとする。声は抑えられても、薬を塗りこまれるたびに激痛に身体がびくんと震えるのはどうにもならなかった。

 まともに脱ぐこともできず、切ってようやく取り除いた服は、背中側がほとんど焼け落ちていた。たぶん、服の背中が燃え上がった状態で、宿の主人を殴り続けていたんだろう。もしかしたら、溶けたろうそくか可燃性の油でも染み込んでいたかも知れない。そりゃ、背中も爛れるわけだ。火傷は他にも、腕やら足やら身体のいたるところに少しずつ、ぶち猫の斑点のよう広がっていた。

 全身を包帯だらけにされ、熱さましだという苦い煎じ薬を飲まされてようやく一息ついたところで、重力整復師がやってきた。帝都の年寄り重力整復師は黒水晶を自慢げに4つ使っていたが、フラファタの若い重力整復師は黒水晶を6つ、手品のように使い分ける。透明な水晶を腫れ上がった左腕に転がして皮膚の内側の状態を確認し、直径1センチ強の黒水晶を使って内部に魔法で重力をかけていく。要は折れた骨や筋の位置を直してつなげるわけだが、これが案の定、すこぶる痛い。許されるなら今すぐこいつを叩き斬りたいほど痛い。神経を引っ張るんだから痛むのも当然といえば当然だが、6つの黒水晶で3方向に引っ張られる痛みは尋常じゃない。ゴリゴリと折れた骨が擦れる音がして、痛みのあまり思わずオエッとえずいたところで、メイドが落ち着き払って胸元に洗面器を持ってきた。情けない。

 2時間以上の拷問を終えて重力整復師が帰っていったのを見届けると、俺は気絶するように眠りに落ちた。


 目が覚めたのは夜だった。腹が減っていた。俺が身じろぎすると、枕元に明かりがともった。

「お目覚めですか」

 昼とは違うメイドだ。俺より少し年上、20代半ばといったところか。ランタンの位置が悪いのか、やけに胸ばかりデカく見えた。

「なにか、食うものはあるか?」

 俺の問いに、メイドはにっこり笑って答える。

「すぐにご用意します。しばしお待ちを」

 ランタンと一緒にメイドが去ったほんの数分後、トレイに乗った夜食がやってきた。たぶん、いつ目覚めてもいいように用意されていたんだろう。

「お口に合いませんようなら、すぐに作り直しさせていただきますので」

 巨乳のメイドはなぜだか申し訳なさそうに言うが、食い物ならどんな味でも飲み込めるのが俺の特技でもある。味に文句をつけるつもりはなかった。

 スープ皿には、柔らかく煮えた麦粥。玉子が混ぜてあるようで、ほんのり黄色がかっている。付け合せには茹でた葉野菜。溶かしバターの香りが鼻を撫でた。もっと味の濃いものを思い切りドカ食いしたい衝動もないではなかったが、しばらく仕事をサボっていた内臓には、これ以上ないほどちょうどいいメニューだ。

 そういや、まともにメシ食うのは何日ぶりだ? 考えかけて、やめる。きゅうぅ、と小動物の鳴き声のような音を立てて胃が縮んだからだ。腹の小鼠を黙らせるため、俺は温かい麦粥をかきこんだ。玉子とミルクの香る、少し甘めの優しい味。野菜をつまむと、やや強めの塩味がバターと一緒に口の中に溶けた。舌に残った塩気に、甘い麦粥を重ねたくなる。

 夢中で料理を平らげて、ふう、と大きく息をついた。もっと食べたい気もするが、食いすぎて吐いたら元も子もない。食器を下げさせると、メイドは代わりに薬草茶を持ってきた。消化を助けるハーブと、炎症を抑えるハーブのブレンドだそうだ。煎じ薬の一種なら強烈に苦かったりするのかと警戒したが、拍子抜けするほど飲みやすく、味も香りもさわやかだ。瀟洒なカップだけはイマイチ落ち着かなかったが、食後に腹を落ち着かせるにはちょうどいい飲み物だった。


 一息ついてカップを返し、上体を起こしたまま、さて、と考える。妙な時間に起きてしまった。またすぐ眠ってもいいが、食ったばかりで腹が少し重い。腹ごなしも兼ねてなまった身体を動かしておきたかったが、あまり深夜にやることでもないだろう。

「いかがされましたか?」

 メイドが戻ってきて問う。俺は右腕だけでうーんと伸びをした。固定された左腕はまだ真っ黒に腫れあがっているが、指先の感覚は戻りつつあるようだった。

「いや、目が覚めちまったし、軽い運動でもしたい気分なんだけどさ」

 俺が言うと、メイドはそうでしたか、と答え、おもむろにエプロンを外しはじめた。

「主人からも指示を受けております。ご満足いただけるほど豊満な身体ではございませんが、どうぞご堪能くださいませ」

 え? と耳を疑ううちに、メイドはエプロンを脱ぎ捨て、ワンピースの背中の紐を解きはじめている。

「ちょっ、ちょっと待っ、待った!」

 俺が慌てて制止すると、ワンピースの上半身を脱ぎ、白い両腕とコルセットを露わにした姿で、メイドは小首をかしげた。これ以上脱がれたら、たまったもんじゃない。

「なんか勘違いしてないか!? お、俺には女房が、ほら、いま隣に……」

「存じております」

 やばいやばいやばい、メイドの服を脱ぐ手が全然止まらない。

「殿方の欲求をすべて満たすのがメイドの役目と心得ています。どうぞご遠慮なく」

「いやいやいやいやいや、いや、そういうんじゃなくて! あの、ちょっと、勘弁してくれねぇかなぁ!」

 不必要に頬が上気して、息が上がる。これじゃまるで、期待してるみたいじゃねぇか。背中の紐を解いたメイドが、胸のコルセットを押さえたままじっとこちらを見る。落ち着け、落ち着け俺。

「や、本当に、お気遣いありがたいんだけどさ。今はそういう気分じゃないから。悪いけど。ほんッとうに悪いけど」

 あのコルセットがはだけてデカい胸が飛び出してきたら、俺だってさすがに冷静でいられるか、正直自信がない。だけど、女房の隣で別の女を抱いたりしたら、きっと、俺は俺自身を許せなくなる。

「そんなことしたら、俺、なんのために生きてんのか、わかんなくなっちまうからさ……」

 メイドはしばらく無言で俺を見ていたが、やがて背中に手を回し、解いた紐を結びはじめた。

「大変失礼をいたしました。すぐに片付けさせていただきます」

 手際よく背中の紐を結んで、メイドは何事もなかったかのようにベッドサイドの椅子についた。


 とりあえず、取り返しのつかない危機は回避できた。が、ランタンひとつの暗がりにわだかまる、どうしようもない気まずさが残る。下がるように指示してもいいんだが、ただでさえ傷つけた彼女の尊厳をさらに踏みにじることになりはしないか。彼女はおそらくウォルス卿のお気に入りのはずだし、下手に傷つければ厄介なことにもなりかねない。

「あの……さ」

 間をもたせようと、その先の言葉も用意せずに俺は口を開いた。こういうの、本当に苦手だ。

「はい」

 当然、メイドは返事する。俺には話すことがない。なにか、なにか聞きたいことはなかったか。俺の知らない、彼女が知っている話。

「……そうだ。姫のこと。攫われた姫の話が聞きたい」

「姫さまの、ですか……?」

「ああ。話せる範囲で構わない」

 わかりました、とメイドは頷いた。メイドの名前を呼ぼうとして、まだ名前すら聞いていないことに気づく。危うく、名前すら知らない女を抱くところだったのか。メイシアと名乗った彼女は少し考えてから、口を開いた。

「どのようなことをお話しすればいいでしょう?」

「それじゃ、まずは誘拐事件について。いつ何が起こったのか」

 メイシアは頷いて、話しはじめた。


 一週間前の午後、白昼堂々、この城に賊が侵入してきたという。殺された二人の兵士は、いきなり喉を一突きにされ、声すら出す間もなかったそうだ。中庭で18歳の誕生日を祝われていたエリヤ姫をいきなり押さえつけたのは三人の男。毒物のようなものを無理やり飲ませてぐったりとしたところを連れ去った。手際が良すぎるな、と俺は思う。

「すべては私の叔母……姫さま専属のお世話係を務めていたメイドの目の前で起きたことです。姫さまのご友人がたも何名か、その場を目撃しておりました」

 まるで、暗殺を生業にする特殊部隊のような動き。少々腕が立つ程度のハンターでは、そんな仕事はまず無理だろう。噂に聞く、帝国の暗殺部隊だろうか? ウォルス卿と帝国の間で権利関係のいざこざがあるならあながちあり得ないこともないが……いや、だとしても少しおかしい。暗殺部隊なら姿を見てしまった者を殺さずに残していくのは不自然だし、そもそもそれだけの腕なら深夜人目につかない時間を狙うはずだ。なぜわざわざ、昼間の時間を使ったのか。

「まるで、誘拐を見せびらかしたいみたいだな……」

 言った俺を、メイシアは伺うように見た。言いにくそうに目を伏せてから、ゆっくりと口を開く。

「……おそらく、これは宣戦布告でございます」

「宣戦布告?」

「はい。……スコウプ様は、フラハ族をご存知ですか」

 初めて聞く名前だった。学者じゃあるまいし、各地の民族を全て把握しているわけもない。俺が首を振ると、メイシアは続けた。

「フラハ族は、この町が作られる前に一帯を占拠していた蛮族。ハロッズ様のおじいさま、フォートナム様のお力で駆逐され、フラファタに残る者はわずかです。禁呪とされる危険な魔法と、俊敏な身のこなしを得意とする一族でした」

 禁呪。帝国によりその使用を禁じられた呪法。帝都ではその存在すら口にするのがためらわれるタブー。もし使おうとすれば、術の成功失敗にかかわらず捕らえられ、火あぶりになるはずだ。

「音もなく忍び寄り、短剣による急所一撃。フラハ族の典型的な狩りの方法でございます」

 なるほど。追い出された原住民による襲撃というわけか。存在をアピールして、領主に揺さぶりをかけるには、目立つ特徴を見せて目撃者を残したほうがいい。もし領主が彼らの存在を認めず、姫を失う覚悟があったとしても、目撃者がいれば隠蔽はしにくくなる。誰も見ていなければ、姫を出奔したことにも、病死したことにもできるだろうが。

「この地を棄てていったフラハ族の多くが、各地を荒らす野盗となったと聞いております。そんな蛮族が集結してウォルス家に刃を向けるとは……恐ろしいことです」

 そう言ってメイシアは首を振った。


 相手さえ分かれば、あとは場所を突き止めてぶっ叩くだけだ。普通の人攫いなら一週間も経てば、売られるか、もてあそばれて殺されるかしているだろうが、交渉材料として誘拐された姫ならまだ希望はある。まあ、貞操は諦めたほうがいいかもしれないが。

 あくびがひとつ出た。そろそろ眠ってもよさそうだ。動けるようになったら、アジト探しから始めるか。

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